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猪熊さん

 大ヒット上映中の『人のセックスを笑うな』美術学生の19歳みるめと、美術学校の非常勤講師39歳ゆりを軸にした恋愛もの、でありますが、実は実はこの物語を語る上で忘れてはならない、重要な人物が、 猪熊さん。

 この 猪熊さん 何を隠そう、本作の隠れボスキャラ だと私は思っています。
彼がいないとユリが 活きない、んだな これが。K1035845288
大人の色気と包容力が、このふわあとした風貌の下に隠れている。

 『人のセックスを笑うな』は監督もおっしゃっているように、(初日舞台挨拶の模様をご参照ください)
1回目はみるめくん、2回目はえんちゃん と登場人物に気持ちを乗らせてみると最低4回は観れるのですが、そうしていくごとに知らず知らずにはまってしまうのが、猪熊さん。かめばかむほどに味が出て来るのが猪熊さん。
 実に。いい味です。猪熊さん。彼がいないと成り立たない。こういう実はひっそりじゃないのに、ひっそりキャラで描くのが井口監督はたまらなく上手い!と私は思います。
(余談ですが『犬猫』での隠れボスキャラは親友アベちゃんだと思う)

 で。この猪熊さんがシネマテークたかさきにいらっしゃる!なんてこと。
なんてすばらしいんだろう。
あがた森魚さんですが、あえて猪熊さんと呼びたいのです。

楽しみでならないっ。

皆さん是非猪熊さんに会いにいらしてください。
楽しい事が待ち受けていますよ。

詳しくはトップページでご確認ください。



22日『眠り姫』七里圭監督・舞台挨拶について

あさって22日『眠り姫』14:45の回上映時に行われる七里圭監督舞台挨拶のご予約方法について詳しくご説明します。

 ご予約は劇場受付、または電話(027-325-1744)にて行っております。定員に達し次第、終了とさせていただきます。なお、ご予約が定員に達した場合、当日券の販売はございませんので、ご了承下さい。みなさまのご参加をお待ちしております。料金は通常料金です。1人2名様までご予約いただけます。
 昨日の熱のこもったブログにも書かれているとおりの才能あふれる七里監督のトークが聞ける、またとないチャンスです!『眠り姫』については昨日分のシネマテーク通信を是非お読みください。『眠り姫』に対するシネマテークたかさきの意気込みが詰め込まれております。皆さん、どうぞお聞き逃しなく!

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話は変わって・・・

1996年公開の『イングリッシュ・ペイシェント』から12年。
18日、アンソニー・ミンゲラ監督がお亡くなりになりました。
1968年公開の『2001年 宇宙の旅』から40年。
19日、アーサー・C・クラークもお亡くなりになりました。
1968年といえば、カール・ドライヤーが亡くなった年。
そういえば、カール・ドライヤーと川島雄三は生まれ年はもちろん違えど、
2月3日と2月4日で誕生日がわずか1日違い。
川島雄三は今年が生誕90年にあたります。
誕生日といえば、大ヒット上映中の『人のセックスを笑うな』の井口奈己監督は、
シネマテークたかさきと誕生日が同じで12月4日。
人と暦と運命の巡り合わせ。

そしてまさに今日はカール・ドライヤーの40回目の命日。

ご冥福をお祈りします。

眠り姫:幻が息づく時

 

Photo_3 七里圭監督を高崎にお呼びしたのが4年前、第18回高崎映画祭の若手監督特集で『のんきな姉さん』を上映したときだ。姉と弟の美しく、幻想的な愛の物語。どこか曖昧さを美徳とした風合いにまとめられた映画で、独特の映像センスと音楽の使い方からしても他のものとは一線を画すアーティスティックな作品とも言えた。映画の端々に、演劇的な空間の絵づくりや、美術に相当こだわっているとみえる<造り込み>が見えて、一種独特な現実制と異空間がまじりあっている。こんな映画を撮る方はどんな芸術肌の神経質そうな人が現れるかと思いきや、監督自身はとても柔らかな物腰の方。用意した控え室で一言「すいません、皆さんのところにいてもいいですか」と、わざわざ私たちスタッフがわいわいがやがやといるところの片隅に座り、にこにことその様子を眺めていたのが印象的だった。
 映画の不思議な魅力も然ることながら、七里監督自体に惚れ込んでしまった私は、その後の作品を楽しみにしていた。正直、商業的な映画に進出する事はないだろうと思っていたので、次回作がいつになるのだろうという気もしていた。それがほどなく、2005年5月に一通のお便りが届いた。『のんきな姉さん』の公開時、山本直樹の小部屋展というのを開催したのだけれど、そのイベントのために製作した映像作品を、映画にした、というのだ。この『眠り姫』は、室内楽団の生演奏付きで2日間だけ開催するという。ご連絡をいただいて、もう飛び上がる程嬉しかった。絶対行くぞ!とおもったものの、当時の私は仕事をしていたし、どうにもこうにも空けられなくて断念。もう二度とこの作品は見られないのだろうと、思っていた。室内楽団の生演奏付きなんて、きっと七里色一杯の映画に違いない、あの、幻想的でかみあうような噛み合ないような音楽の使い方…、でも私は好きなのだあの世界が。328750_01_02_02
 『眠り姫』は漫画家山本直樹さんの作品が原作、そしてその原点は内田百閒の「山高帽子」。せめてもと、内田百閒なんて作家その当時の私は知らなかったが、探し求めて一気に読んだ。なんとも不思議な世界。内田百閒は夏目漱石の門下、彼自身であろう青地という教師と、同じく門下であった芥川龍之介とおぼしき同僚の教師が登場し、なにやら不可思議な会話で成り立つ物語だ。
 顔が膨らんでいますよ、伸びていますよといった会話と、活字でもってその奇妙さ自体を演出する物語、そこに潜む人間と精神への探求。これがどんな映画になるのか…。
 声だけの出演でこの物語をどのように色付けるのか、興味が膨らむばかりでも、もう観られない。いつか、いつかまた上映の機会があれば、と思っていた。そうして、3年後、劇場公開されるという知らせが。
 待ちに待った作品は、幻想と瞑想の中に呼ばれるごとく、その映像に惹き込まれ、美しさに酔いしれた。人間が生活しているはずの空間に、その姿はなくぼんやりとした存在感だけが、嘘か真かのごとく映像に落とし込まれる。青地演じるつぐみさんの低くけだるい声、同僚の教師演じる西島秀俊さんのおどけたような、飄々としたものの言い、青地と山本浩司さん演じる彼氏との噛み合ない会話…、人間の虚ろさ空虚さが漂う空気とリズム。人間は絶え間なく騒がしい世界で過ごしているはずなのに、一歩さがってしまうとその騒がしさは頭上でぽわんぽわんと揺れているだけなのかもしれない。それが、人のいない景色となって浮き上がってくるようだ。
 言葉が悪いかもしれないが、この作品に対しての感想と言えば、向き不向き、肌馴染みがいい悪い、といった表現を使った方が早いのかもしれず、そういう意味でも私は間違いなく前者だったわけですが。
 作家性という色合いの作品のなかでも、どこかひっそりとした世界を感じさせる、自分色の映画の撮り方。公道をそれても我が道を行く、というよりは、公道の1m程離れた舗装されていない小道を、ゆっくりと、平行して進んでいく。そんな感じ。七里監督にしか出来ないわざ。
 とにもかくにも。
 こんな素敵な、でもおそらく大々的に世にはばかる事のないこの映画を、シネマテークたかさきで、上映出来る事が私は嬉しい。
 皆の反対を受けてでも(受けてないけど、)上映したかった映画だ。
是非多くの方にご覧頂きたい。すべてはまずは、観てから、ということで。

 初日14時45分の回、上映終了後には七里監督にお越しいただいて、舞台挨拶をして頂きます!とてもとても、穏やかな朴訥とした監督にまたお会い出来る事が今からとても、楽しみです。是非皆さん、七里監督に会いに来てください。お待ちしております。

井口奈己監督 舞台挨拶

2008年3月15日(土)『人のセックスを笑うな』初日には、井口奈己監督、西ヶ谷プロデューサー、撮影の鈴木昭彦さん、井口組のみなさまに高崎にお越しいただきました。

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13時と15:50の回上映後に舞台挨拶が行われました。

―この作品を作る経過をお聞かせ下さい。
井口監督:小説を渡されて、まずタイトルを見て、私のフィルモグラフィーに「セックス」って入るのはどうなのかな?と始めは思ったけれど、原作を読んだら青春恋愛映画だったので、映画にできるかなと思いまして。

―この最高のキャスティングはどのように決まったのですか?
西ヶ谷P:堂本役の忍成修吾さんはアテ書きの段階から決まっていて、ユリは原作のイメージとは違う女性だけど、永作さんに是非演っていただきたい!ということで決まりました。今、恋愛映画で観てみたい20代でこのコンビが観たい!ということで、松山ケンイチさん、蒼井優さんが決まりました。

―観ていると思わずはずかしくなってしまいますが、どんな演出をされたのですか?
井口監督:現場では本当に何もしていなくて、どうしてですか?と言われてもわからないのですが、脚本を書いている時に、まわりの人の恋愛ネタを嫌がっているのに聞き出したりしていました。それでリアルな感じが出ていると思います。

―キスシーン凄かったですよね!
井口監督:そうですね。実は、カットかかった後の方がもっと凄くて、人が恋におちる瞬間を見てしまった!すごいはずかしいという気持ちになりました。

―桐生でロケされていて、上州の空気感がありますね。
井口監督:前作『犬猫』は東京のベッドタウンが舞台。今回は都会じゃないところで、漠然と北関東をイメージしていて、実は、高崎にもロケハンに来ました。カッパピアが閉園していて遊園地がなかったので、桐生に決まりました。

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―さいごに、メッセージをお願いします。
井口監督:この映画を何度か観てくれている方がいらっしゃるそうで、
その人たちの感想を聞くと、
1回目は、みるめ
2回目は、えんちゃん・・・
というように登場人物に気持ちを乗らせて観ると最低4回は観れるのではないでしょうか。引きの画が多いのでぜひ劇場の大きな画面でよい音で観て下さい!

13時の回には、わたらせフィルムコミッションより贈られた大ヒット祈願のダルマに都内での大ヒット達成と高崎でのヒット祈願を込め、井口監督にダルマの目入れをしていただきました!その記念すべきダルマは現在、シネマテーク1F受付でみなさまのお越しをお待ちしております。
井口監督をはじめ井口組のみなさま素敵な作品を本当にありがとうございました!
また来て下さいね!

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『人のセックスを笑うな』大ヒット上映中です!

「最高」の「再考」

Kawashima_2 「誰だって下手なもの創ろうと思っていないのでげすよ」
 ・・・川島雄三が"愛弟子"の藤本義一氏に語った言葉

 今日で「川島雄三レトロスペクティブ」は8作品のうち5作品が終了。残るは『女は二度生まれる』『洲崎パラダイス 赤信号』『雁の寺』の3作品。各作品ともに3日間で6回ずつの上映がある。最終上映は20:00~。時間に縛られている社会人の皆様も何とか仕事を片付けて、この3日間、是非とも駆けつけていただきたい。
 さて「レトロスペクティブ」とは、ラテン語の"retro(後ろ:後ろを向く)"に"specto"から派生した"spective(見る)"を合成した単語である。「回顧的な」という意味の形容詞であり、これが名詞として機能すると「回顧展」となる。しかしこういった企画の本来意図するところは、「回顧」というよりは「再考」であろう。中にははじめて出会う作品もある訳だから「考察」という場合もありうる。今回の「川島雄三レトロスペクティブ」にあたり、僕は作品を観ながら「最高傑作」というものについて「再考」し、「考察」している。
 「川島雄三といえば『幕末太陽傳』」、一般的にはこう言われている。『幕末太陽傳』は川島雄三を語る上でついて回る形容詞的な作品であろうし、川島の「最高傑作」であると評する人や文章は数多い。しかし、今回の「再考展」から得た僕なりの実感は、『幕末太陽傳』は川島の最高傑作ではない、というものだ。玉石混交といわれる川島の作品を観ていると、「川島雄三とは×××な監督だ」という定義付けをあきらめざるを得ない。女の生き様を描くにあたっても『女は二度生まれる』という「軽やかさ」と『花影』という「絶望」を、同一年にこの世に送り出した監督である。このあたりの変わり身の妙と作品ジャンルの幅広さが川島雄三という監督の面白さだと思う。「最高傑作」という作品評価は、その作家の位置を整理するための、ひとつの印付けに過ぎないだろう。社会が作家の最高傑作を暗黙のうちに決め、やがてその作家の形容詞とすることで、その作家の評価を縛り上げる。音楽のベストアルバムがよく売れるのと同じで、「最高傑作」と呼ばれる作品には誰もが飛びつき、そしてその「最高傑作」を自分の内に取り込むことで、その作家を理解したかのような錯覚に陥る。最高傑作もそうでないものも、横一列に上映してしまう「レトロスペクティブ」とは、そのような呪縛や錯覚を断ち切るための、いわばナイフのようなものだ。それまで名も知らなかったような作品から、僕らはその作家の中に新たな発見をすることとなる。「下手なものを創ろうと思っていない」作家の様々な趣向を様々な作品の中に見ることで、そこから「最高」の「再考」がはじまり、「最高」という位置づけの無意味さを知る。「レトロスペクティブ」とはそのような場ではないだろうか。
 
※明日から上映の3作品と『幕末太陽傳』
『女は二度生まれる』は、色とりどりの着物を着こなし、次から次へと男を乗り換える小悪魔・小えん(若尾文子)の終着点が必見。『洲崎パラダイス 赤信号』は『青べか物語』同様、橋の上のシーンに始まり、橋の上のシーンに終わる。男と女の間にかかる「橋」の物語であり、川島がもっとも愛したといわれる一品。閉ざされた空間で人間のエゴと情欲がむきだしにされる『雁の寺』は、坊主の「生臭さ」と若尾の妖艶な「匂い」が入り混じる業の世界。どれもお見逃し無く。そして「最高傑作」ではないと述べた『幕末太陽傳』は高崎映画祭での上映。もともとこの傑作に「最高」などという陳腐な形容詞は要らないのだ。『貸間あり』と並び立つ、川島喜劇の奥深さをご覧いただきたい。

再びの『いのちの食べかた』

Inochi Bakusyu  いつもお世話になっているメンバーズ会員の方から、現在当館で『いのちの食べかた』の予告篇がかかっていることについて問い合わせをいただいた。あの予告は間違いではないかと。上映を終えて間もない映画の予告が再びかかっているのだから、そう思われるのも無理のない話だ。きっと同じことを思われたお客さまが、他にも随分いらっしゃったのではないだろうか?いやはや、きちんとしたご案内が遅くなり申し訳ありませんでした。実は『いのちの食べかた』のアンコール上映が決定しております。4月19日~の再上映です。
 他劇場の『いのちの食べかた』の上映状況を眺めてみると、渋谷・イメージフォーラムでは11月10日からの上映開始以来、今も終了日未定のままロングランで上映続行中だ。先輩格の名古屋シネマテークでは4月26日から再々上映とのこと。恐るべし、『いのちの食べかた』・・・。
 さて、『いのちの食べかた』は、「本当のいのちの食べかた」を見失いつつある現代人に対するメッセージであり、自分たちの食物について何も知らされていない現代人への「報告」でもある。僕らが食についてここまで鈍感になってしまったのは、いったいいつ頃からなのだろう。日本人のそれについて、ひとつの興味深いヒントが小津の『麦秋』の劇中に見受けられる。『麦秋』は、当時(昭和26年)の結婚適齢期をやや過ぎてしまった女性・紀子(原節子)にふりかかる縁談をきっかけに、紀子とその家族の日常が静かに離散へと向かうありさまを描いた、言わずと知れた小津の代表作である。
 劇中、勤務医の兄・康一(笠智衆)がお土産を持って帰宅するシーンがある。康一の小学生の長男は、そのお土産を以前から両親にせがんでいた鉄道模型のレールだと思い込み、喜び勇んで封を開けたところ、中からでてきたのは一斤のパンであった。長男はそのパンを蹴飛ばし、「何でレール買ってくれないんだよ!」と父に抗議する。父は食べ物を粗末にした行為を咎め、長男を平手打ちする。ひもじい生活を強いられた太平洋戦争の終結から、たった6年でこんな映画が作られている。実に驚きだ。また紀子が銀座の帰りにいかにも高級そうなホールケーキをお土産に買ってくるというシーンもある。セリフの中で、ケーキの値段は確か900円と言っていた。もちろん当時、日本全国津々浦々まで食へのこんな意識が広まっていたなどとは思っていないが、なるほど、こうして『麦秋』を振り返ってみると、日本の復興、そして日本の食卓と日本人の食への意識の変化について、小津がつぶさに描いていることに気づかされる。紀子の嫁入り後のラストシーン、大和の間宮家の本家周辺では麦の穂が風にゆれ、夏の訪れを告げている。そうか、パンやケーキの源である麦の穂が見事に実って風にゆれるさまは、戦火をくぐりぬけた日本の復興と、日本人の食生活の変化の象徴だったか。いくらなんでも、斜めに見過ぎか。しかし、終戦からわずか6年で製作された『麦秋』に登場し、子供に蹴飛ばされボロボロになったパンは、当時より忘れられつつあった「本当のいのちの食べかた」のメタファーのようにも思えるのである。

 『いのちの食べかた』の前回上映を見逃された方、今度こそはどうぞお見逃しなく。

「映画の中のリトグラフ3人展in高崎」芳野/マツモトヨーコ/石坂しづか

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永作博美演じるユリは、リトグラフという技法の版画家です。
劇中には実際にリトプレスで制作し、「ギャラリーリノ」という名前の架空の画廊で仲間と3人展をするシーンもあります。映画の中で実際に使用されたイラストレーター芳野さんの作品をはじめとするリトグラフ3人展を開催します。slow timeでお茶をしながら、映画の余韻にひたっちゃって下さい!

slow time(tel:027-325-3790)
高崎市鞘町78-1 2F
営業時間:11:30 〜 22:30
slow time URL→http://slowtime.petit.cc/
リトグラフ作家芳野さんHP→http://nocodico.com/
期間:3月15日(土)〜30日(日)*月曜定休

※大好評につき期間延長が決定しました!

「人セク」ダルマがやってきた!

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2008年1月15日にヤクルトホールにて行われた『人のセックスを笑うな』試写会にて、ロケ地のわたらせフィルムコミッションより、ヒット祈願のダルマが送られました。
主演の永作博美さんと松山ケンイチさんにより目入れ式が行われましたが、勢いよく墨がつき、まるでダルマが泣いているように見えます。大ヒットでダルマさんもうれし泣きといったところでしょうか。
今回、その記念すべきダルマがダルマの地元高崎にやってきました!
高崎でのヒット祈願を込め、『人のセックスを笑うな』上映期間中展示いたします。
ご鑑賞とともに、ダルマさんも見にきてください!

女の「覚悟」と「潔さ」

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Palm_3  2007年のベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞を獲得した『トゥヤーの結婚』が、渋谷のBunkamura ル・シネマで上映されている。シネマテークたかさきでも上映を予定している作品だ。舞台は中国の内モンゴル自治区。下半身不随の元夫と子供ふたりを抱えながら、大草原の中を強く逞しく生きる牧畜民の女性・トゥヤーの再婚をめぐる物語である。劇中、吹雪の中、数十頭の羊と草原に出たまま戻らない息子を、母であるトゥヤーが探しに出かけるシーンがある。草原に生きる牧畜民にとって、羊は大切な収入源であり、 財産だ。ラクダの背に乗ってあちこちを駈けずりまわり、やっとのことで羊たちとともにいる息子を見つけたトゥヤーは彼を強く抱きしめ、こうつぶやく。「家に帰ろう。羊はいいよ。」と。彼女の"覚悟"を垣間見た瞬間だった。いのちを育む女性でなければ身につかない潔さだろう。この潔さの前では、男は為す術なしである。
 『トゥヤーの結婚』が最高賞に輝いたベルリンのコンペティションに一緒に出品されていたのが、現在当館で上映中の『やわらかい手』である。この『やわらかい手』で僕が目にしたのもやはり、この種の「覚悟」と「潔さ」であった。マリアンヌ・フェイスフル演じるごく普通の主婦マギーは、難病を患う孫・オリーの治療費をまかなうため、歓楽街のソーホー地区で、"接客業"をはじめる。マギーの第1の覚悟と潔さがここで見られる。それは「母性」によって導かれたものである。なぜ「覚悟」を必要とするのかといえば、"接客"とは婉曲表現であり、その実態は壁に空けられた穴を通して、男たちの"アレ"を"アノ方法"で"イカせる"風俗業だったからだ。戸惑いながらもマギーは次第次第にその"仕事"を自分のモノにしていく。そうやって稼いだ金を渡された父親である息子・トムは増幅した戸惑いを怒りに換え、母であるマギーを怒鳴りつける。それでもマギーは言うのだ。「自分のしたことに後悔はしていない」と。そうしてなお、こういった行為を"しでかした"ことから訪れる周囲のまなざしの変化にも、マギーはきっぱりと立ち向かっていく。
 さて、ありきたりの作品であれば物語がこのあたりまで進展したところで、チャンチャンとエンディングを迎えるのが普通であろう。しかし、この作品の素晴らしき点は、マギーが見せる第2の覚悟と潔さにあると僕は見ている。それは「母性」によってではなく、女というジェンダーによって導かれたものである。そうして迎えた見事な"潔い"エンディングに僕は思わず涙が溢れた。
 映画はすべて観ることからはじまる。この作品が含むセクシャルな表現、マリアンヌ自身ののスキャンダラスな過去、作品紹介にあたって触れられるそういった要素のひとつひとつが、『やわらかい手』という作品のエッセンスを見えにくくさせているように思えてならない。マギーが周囲との気まずい関係に屈することなく生きようとするその姿は、マリアンヌ・フェイスフル自身による彼女を取り巻く視線からの解放をも思わせる。観る前と観た後でこんなにも印象の違う映画は久しぶりだった。103分の後、思いもよらない"潔い"ラストシーンによって、マギーの"やわらかい手"があなた自身のこころを包み込むこととなる。

★『やわらかい手』は昨年のベルリン国際映画祭では『トゥヤーの結婚』に最高賞を奪われたかたちとなったが、ここ日本では観客によって非常に高い評価を得ることとなった。2007年度のキネマ旬報ベストテンでは、洋画部門で第6位にランクされている。

接吻

Seppun2  今日8日は渋谷・ユーロスペースにて、"待ちに待った"と言うべき万田邦敏監督の新作『接吻』の公開初日。大いなる期待を胸にこの映画を観た。黒沢清監督の『CURE』、青山真治監督の『EUREKA』、塚本晋也監督の『ヴィタール』、西川美和監督の『ゆれる』…。これら、ここ十年の邦画界に放たれたどのインパクトとも違う、しかしながら、それらの作品名を引き合い出すことを十分に許されるであろう紛れもない傑作であった。小池栄子が素晴らしい。あまりに筆舌に尽くし難く、観たばかりの今日の段階で具体的な言葉をもってこの作品の何たるかを表現することはできそうにない。
 当館でも近日、上映を予定している。上映のその日まで、何度かここでこの作品については書かざるを得まい。