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再びの『いのちの食べかた』

Inochi Bakusyu  いつもお世話になっているメンバーズ会員の方から、現在当館で『いのちの食べかた』の予告篇がかかっていることについて問い合わせをいただいた。あの予告は間違いではないかと。上映を終えて間もない映画の予告が再びかかっているのだから、そう思われるのも無理のない話だ。きっと同じことを思われたお客さまが、他にも随分いらっしゃったのではないだろうか?いやはや、きちんとしたご案内が遅くなり申し訳ありませんでした。実は『いのちの食べかた』のアンコール上映が決定しております。4月19日~の再上映です。
 他劇場の『いのちの食べかた』の上映状況を眺めてみると、渋谷・イメージフォーラムでは11月10日からの上映開始以来、今も終了日未定のままロングランで上映続行中だ。先輩格の名古屋シネマテークでは4月26日から再々上映とのこと。恐るべし、『いのちの食べかた』・・・。
 さて、『いのちの食べかた』は、「本当のいのちの食べかた」を見失いつつある現代人に対するメッセージであり、自分たちの食物について何も知らされていない現代人への「報告」でもある。僕らが食についてここまで鈍感になってしまったのは、いったいいつ頃からなのだろう。日本人のそれについて、ひとつの興味深いヒントが小津の『麦秋』の劇中に見受けられる。『麦秋』は、当時(昭和26年)の結婚適齢期をやや過ぎてしまった女性・紀子(原節子)にふりかかる縁談をきっかけに、紀子とその家族の日常が静かに離散へと向かうありさまを描いた、言わずと知れた小津の代表作である。
 劇中、勤務医の兄・康一(笠智衆)がお土産を持って帰宅するシーンがある。康一の小学生の長男は、そのお土産を以前から両親にせがんでいた鉄道模型のレールだと思い込み、喜び勇んで封を開けたところ、中からでてきたのは一斤のパンであった。長男はそのパンを蹴飛ばし、「何でレール買ってくれないんだよ!」と父に抗議する。父は食べ物を粗末にした行為を咎め、長男を平手打ちする。ひもじい生活を強いられた太平洋戦争の終結から、たった6年でこんな映画が作られている。実に驚きだ。また紀子が銀座の帰りにいかにも高級そうなホールケーキをお土産に買ってくるというシーンもある。セリフの中で、ケーキの値段は確か900円と言っていた。もちろん当時、日本全国津々浦々まで食へのこんな意識が広まっていたなどとは思っていないが、なるほど、こうして『麦秋』を振り返ってみると、日本の復興、そして日本の食卓と日本人の食への意識の変化について、小津がつぶさに描いていることに気づかされる。紀子の嫁入り後のラストシーン、大和の間宮家の本家周辺では麦の穂が風にゆれ、夏の訪れを告げている。そうか、パンやケーキの源である麦の穂が見事に実って風にゆれるさまは、戦火をくぐりぬけた日本の復興と、日本人の食生活の変化の象徴だったか。いくらなんでも、斜めに見過ぎか。しかし、終戦からわずか6年で製作された『麦秋』に登場し、子供に蹴飛ばされボロボロになったパンは、当時より忘れられつつあった「本当のいのちの食べかた」のメタファーのようにも思えるのである。

 『いのちの食べかた』の前回上映を見逃された方、今度こそはどうぞお見逃しなく。

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