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グレゴリー・モギ

Pale_horse_2  昨年11月に総支配人 茂木正男が亡くなって以来、実に様々な方々の様々な思いを頂戴した。僕の知らない茂木正男像を、言葉としてたくさん聞かせていただいた。「いくつもの思考と視点を体験する」という意味で、それはまさに映画的な体験であった。そしてそんな体験を映画的だと感じた瞬間、映画をもっともっと観なければいけないと反射的に思った。「自分以外の思考と視点を得ること」、それこそが僕らの人生にふくらみをもたらすと、今ははっきり思うのだ。
 本日2月11日は『日曜日には鼠を殺せ』の上映日。茂木さんの追悼上映の日である。とうとうこの日が来てしまった、というのが正直なところだ。もともと僕も『ジャッカルの日』が好きで、茂木さんも『日曜日には鼠を殺せ』が好きだったものだから、シネマテークたかさきがオープンする前に、いつかフレッド・ジンネマンの特集でもやりましょうなんて話もしていたのだけれど、よもやこんなかたちでこの作品を上映することになるとは思ってもいなかった。
 『日曜日には鼠を殺せ』は、ミニシアター総支配人が生涯の1本というにはあまりにも大味なキャスティングではあるが、この作品の面白さはむしろ、その細やかな心理描写にあるだろう。こんな褒め言葉はこれ限り言うこともないだろうが、笑われるのを承知であえて言うと、僕には190cmを超えるグレゴリー・ペックの背中と165cmの茂木正男の背中が見事に重なって見えた。それどころか、その理にかなわぬ行動や精神的な脆さや弱さ、ときおり見せる迷いの表情、そして言葉や思いを飛び越えて、最後までその感性で何かを貫き通す姿勢まで、すべてがそんなふうに見えてしまった。話の筋は複雑でもなんでもなく実にストレートなものだ。しかしその中にも、ひとりの人間の弱さと強さ、また出会いがもたらす心の移りかわりなどなど、実に多面的に人物を捉えようとするフレッド・ジンネマンの仕事ぶりが見え、映画の面白さの原点を見せつけられた。ああそうか、僕らの普段の生活では得ることのできないこのような視点を獲得するために、カメラというものは、そして映画というものは生まれたのだ。『日曜日には鼠を殺せ』はそんなことを思わせてくれる実に"映画的な"1本である。
 
 さてさて話は変わって、本日1日限りなのですが、今日は劇場2階に茂木さんの遺影と記帳台を用意させていただきます。館内には舞台挨拶に立ち、満面の笑みをつくる茂木さんの大きな写真も掲示します。グレゴリー・ペックとグレゴリー・モギのまなざしに会いに是非劇場にお越しください。

メリエスの末裔

Geneishi

現実の歴史は我々の夢を満たしえない。

スティーブン・ミルハウザー著
『幻影師、アイゼンハイム』より
 
 時は19世紀末、ハプスブルク帝国の終末期。皇帝フランツ・ヨーゼフ時代のウィーンにひとりの天才奇術師が現れる。その名はアイゼンハイム。現スロヴァキアの首都、プラティスラヴァのユダヤ系家具職人一家の長男として生まれた彼は、家具職人のせがれらしく、若い頃から手先が器用であった。10代の終わりにはすでに奇術に没頭し始め、そのすぐれたものづくりの才能によって、様々な奇術の仕掛けを作り上げていた。彼は24歳になっても奇術師として人前に立とうとはせず、腕のいい家具職人に留まっていたが、28歳のとき、突如としてウィーンの街に現れ、その後人々を混乱に陥れるほどの幻想世界を舞台で展開していくことになる。彼の最後の公演となった、あの伝説の舞台の日まで・・・。
 時同じくして、フランスではオーギュストとルイのリュミエール兄弟が、シネマトグラフを発明し、映画の歴史が幕を開けた。1895年12月、ロベール=ウーダン劇場の劇場主であった奇術師ジョルジュ・メリエスは、リュミエール兄弟の『工場の出口』を観て興奮し、映画の世界へとのめり込んでゆく。そしてここに、世界初の職業映画監督が誕生する。そう、プロの映画監督の歴史は、奇術師から始まったのである(後にメリエスは、SF映画の走りとなる『月世界旅行』という驚くべき想像力に満ちた作品を世に残すことになる)。
 アイゼンハイムが得意とした「オレンジの木」という芸は、映画『幻影師アイゼンハイム』の劇中において、物語の行方を左右する芸となるのだが、ミルハウザーの原作によれば、この芸はジョルジュ・メリエスが買い取った劇場の元オーナーである伝説の奇術師・ロベール=ウーダンが得意とした芸であるようだ。また原作には、あまりにも見事なアイゼンハイムの術の謎を解き明かすため、批評家たちはこぞって考察を試みたが、中にはリュミエール兄弟のが発明したばかりのシネマトグラフの利用も検討した批評家がいたというくだりもある。
 もちろん、幻影師アイゼンハイムは架空の人物であるが、時期的に重なる映画芸術の黎明と併せてこの映画を眺めるのは、実に面白い。第1次世界大戦により、絶対権力であったハプスブルク家が完全崩壊するその前夜、人々は奇術や映画に何を求めていたのだろう。世界が絶望的な世界戦争に向いつつあったこの頃、すでに人々の夢は現実世界では満たされることなく、現代と同じように街のあちらこちらに浮遊していたのだろうか。映画『幻影師アイゼンハイム』においても、重く暗い空気が街を漂う中、その悲劇は起こってしまう。アイゼンハイムが悲しみに暮れる程の・・・。しかしながら、職業監督ニール・バーガーが用意したのは、そんな絶望的な空気を引き裂くように現れる、まさに胸のすくようなラストシーンであった。メリエスが今に生きていたならば、きっとこんな映画を撮りたいと思ったに違いない。現代のジョルジュ・メリエス、ここにあり。必見の大傑作ならぬ、"大快作"である。

『ぐるりのこと。』 その3

Kataokareiko_2  「家庭」と「法廷」、韻を踏みながらも全くの別物に映るこの2つの空間が『ぐるりのこと。』の主な舞台だ。この2つの空間はねじれながらも、作品中に登場する2人の女優よって、僕らに興味深いつながりを見せつける。その女優のひとりは、まず家庭の側から、主演の木村多江。そしてもうひとりは、法廷の側から、橋口作品の常連・片岡礼子だ。
 とは言っても、片岡礼子が登場したのは、ものの1~2分だっただろうか。とても僅かな時間だった。そんな僅かな時間の中で、彼女は凄まじい存在感を僕らに見せつける。彼女が演じたのは、1999年に実際に起こった音羽幼女殺人事件の被告人の女だ。長男同士が同じ幼稚園に通う、当時彼女と友人関係にあった女性の2歳の次女を殺害した、あの事件の女である。映画の中で片岡礼子演じる女は法廷内でひたすらに謝罪の言葉を述べ、涙を流し続けている。
 それにしても、『二十才の微熱』『ハッシュ!』と過去の橋口作品でメインキャストを張ってきた女優に、橋口監督はなぜ、こんな"チョイ役"を用意したのか。そこには、橋口亮輔のミューズ・片岡礼子が演じなくてはならない理由があると考えるのが自然だろう。9年前の事件発生当時、テレビの報道はこぞって、これは「お受験」が引き起こした犯罪だと騒ぎ立てた。被害者の子が「お受験」に合格し、被告人の子が不合格となったことよる嫉妬心から引き起こされた事件との見解が先行したが、その一方で、地域住民や幼稚園の母親グループ、そして家族からも孤立した被告人が迷い込んだ孤独の世界にも注目が寄せられていった。この孤独の世界は、不器用ながらも決して離れることなく歩みを続けるカナオと翔子の夫婦が築く世界と表裏一体の関係を結ぶ。つまり、木村多江と片岡礼子は同じメビウスの輪の。その帯の上に立つ女性を演じていることになる。
 昨日、久しぶりに『二十才の微熱』を観た(残念ながらビデオでだったが)。橋口監督のデビュー作である本作は、片岡礼子の映画デビュー作でもある。1992年公開のこの作品で、片岡礼子はゲイバーで体を売る後輩に心を寄せる女子大生を演じている。セリフ回しも顔つきも、そのすべてが女優と呼ぶには早過ぎたけれども、若い俳優たちのそんな未熟な部分あってこその、この見事な青春映画でもあった。16年の後、完全な女優となった彼女は、幼子を殺した女の役でスクリーンに現れ、一瞬で観客の心を凍りつかせる程の芝居を見せつける。まるでそれが法廷ドキュメンタリーかと思わせる程の。
 法定画家のカナオは「法廷」で、そんな片岡らが演じる犯罪者たちの横顔を見つめつつ、「家庭」に戻れば妻・翔子を静かに支え続けている。「庭」にあって「廷」に無い、「广」の何たるかを『ぐるりのこと。』は、"ぐっ"と僕らに突きつけてくる。そして「广」を見失った女の目からこぼれた涙が、僕らとカナオの頭上に降り注ぐ。カナオはそこで何を思っただろうか。短いながらも、片岡礼子のそんな圧巻の場面は、いよいよ今日からスタートとなる『ぐるりのこと。』の白眉のひとつと言えるだろう。

『ぐるりのこと。』 その2

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 『ぐるりのこと。』を観たとき、なぜか『ジョゼと虎と魚たち』を観たときのことが、ふと頭に浮かんだ。主題歌「Peruna」の雰囲気とその本編との絡み具合が、『ジョゼと虎と魚たち』の「ハイウェイ」のそれとよく似ていたからだろうか?、と思ったのだがそうではなかった。僕が『ジョゼと虎と魚たち』を観たのは、忘れもしない4年半前の2003年12月30日だ。僕はこの日、渋谷のシネクイントで『ジョゼと虎と魚たち』を観ようと都内に向かったのだが、この日の上京にはもうひとつの"お目当て"があった。それは、その年の10月、六本木ヒルズにオープンした森美術館の開館記念展・「ハピネス展」を観ることだった。さらにその「ハピネス展」を訪れた目的はというと、近年再評価が進んでいる18世紀の画家・伊藤若冲の「鳥獣草木図屏風」(写真)を観るためだった。「升目描き」と呼ばれる画法で描かれたこの作品は膨大な数のマス目(一辺約1cm)で構成されており、その"ドット"ひとつひとつに色が塗られている。僕はその何万という升目の前で、その集合体である"モザイク画"から発せられる動物たちの生命力のたぎりにただもう圧倒され、そこに立ちすくしてしまった。こんな絵が200年以上も前の日本で描かれたとは・・・。近年は人が人の生命力を疑う時代だ。個人も社会も、"病む"ということにあまりにも慣れすぎている。僕はその若冲の仕事の前で、そんな現代社会の負の歯車の回転が"ぴたっ"と止まったような感覚を覚えたのだった。
 『ぐるりのこと。』のカナオと翔子は、学生時代に日本画を専攻したふたりである。予告編をご覧になった方はお気づきかと思うが、その予告編の最後にふたりがどこかの広間で仰向けに寝そべるシーンがある。そんなふたりが寝ころびながら、そして笑いながら見つめているのは、日本画で描かれた"天井画"。そこには色とりどりの草花が描かれている。予告編はその"天井画"を映して終わっている。
 芸術のちからは時を超える。先人たちの仕事の中に、こんな世の中の生き抜いていくためのヒントが隠されているかもしれない。伊藤若冲の仕事は『ぐるりのこと。』で、その"天井画"ではないところで登場してくるのだが、それが作品内でどう扱われているか、是非そこのところを見ていただきたい。人の生命力は失われた訳じゃない。くすぶりながら個々のハートに眠っているだけだ。僕は『ぐるりのこと。』からそんなことを思い、歯車が軋みながら停止した『2003年12月30日のこと。』を思い出したのだった。

『ぐるりのこと。』 その1

Gururi1  前作『ハッシュ!』から6年。26日(土)、期待の橋口亮輔監督の新作『ぐるりのこと。』が満を持しての登場となる。

 "ぐるりのこと"とは、身辺のこと、身のまわりの環境のことだという。この物語は、靴修理店で働く、能天気で楽天家の夫・カナオ(リリー・フランキー)と、出版社勤務のちょっと生真面目で几帳面な妻・翔子(木村多江)の身辺で起こる様々と、ふたりの心の内側のゆらめきから、崩壊、再生へと辿る道のりを綴った、この夫婦の10年史である。
 "めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい"。これがこの映画のキャッチコピーである。そういえば、2日前のブログでも僕は"休漁"のテーマで、"面倒"について書いたのだった。なるほど、人生を語る上で、"人生はとは面倒なもの"ということを、まずは認めてしまう必要があるのかもしれない。僕らはその"面倒"の上に粛々と、日常という他愛もない積み木を積み上げているようなものだから。
 幸福の象徴たるはずの出産が死産となってしまったことによって、翔子の積み木は徐々に崩れ始める。結果、彼女は精神を病んでしまう。"面倒"は我が子の"死"につられて、この夫婦のもとにやってきた。そして数年が過ぎ、翔子に突如訪れた"面倒"は、日常の一部にすりかわり、癒えることなく翔子の内面に留まっている。彼女は仕事を辞めていた。カナオも靴修理屋を辞め、裁判所で被告人の横顔を描く法定画家として、90年代の犯罪史を生で見つめる毎日を送っている。それは、殺人の罪で法廷に立つ犯罪者たちと、我が子に命を与えられなかったことを心の傷として抱える翔子を、交互に見つめる毎日だ。
 "どんな困難に直面しても一緒に生きてゆく"というこの映画の紹介文に、特に"しても"の"も"の字に、いささかの違和感を覚える僕がいる。使い方が間違っているということじゃない。だって、個々の困難を解消するために夫婦というユニットがあるんでしょ、ということを言ってみたいだけかもしれない。たとえば、そんな困難を"面倒"と呼ぶのなら、夫婦生活とはそれをバラ色に塗ってみたり、土に植えて花を咲かそうとしてみたり、つまりは極めて具体的ではない理解不能な"面倒"と付き合っていく術を模索する旅ではないか。よりコンパクトに、より手軽になんてものばかりが評価されがちなこの時代に、それでも僕らがコンパクトにも手軽にも変容しないそんな"面倒"を、却ってひたすらに愛でようとする本能的な心の核の部分に、この映画は迫っている。幸せな結婚生活を送っている人、結婚生活に疲れている人、結婚生活を面倒だと思っている人、結婚を否定している人、結婚にあこがれている人、かつて結婚していた人、これから結婚する人、そんなすべての人たちに、シネマテークたかさきはこの『ぐるりのこと。』を贈りたいと思っている。

休漁

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 原油価格高騰から来る全国一斉休漁のニュースとセットで、日本人の魚離れが巷で話題になっている。原因は肉料理に比べて、魚料理は手間がかかるからだとか。裁く手間もそうだが、食事の際に骨を除く手間、食後に焼き網を洗う手間などが総じて、「面倒」ということになっているらしい。そして、これに子供たちの「魚嫌い」が加わり、子供の好みが優先される食卓では特に「魚離れ」が進んでいるようだ。
 「手間」と「子供の好み」、これらには映画業界も悩まされてきたことだし、またこれらにすり寄るように解決を導き出し、なんとか生きながらえてもきた。もう何年も「肉体的にも、時間的にも不自由な映画館で映画を観る」ことが「手間」とされ、家庭内でビデオ・DVDを気楽に視聴したがる傾向は変わらないし(それで映画を観たことにしてしまう勘違いの傾向も)、夏休みともなれば、劇場が「子供向けの作品ラインナップ」で集客を求める傾向も変わってはいない。
 さて、魚を食すことは、僕らが誇る文化だ。文化というものは繁栄もするが、簡単に衰退もする。大人たちが子供たちに魚を食す喜びを教え、伝える努力をしなければ、この文化はきっと滅びる。すでに「魚がなければ代わりの何かで」というような家庭の声が、「魚離れ」の記事の後に続いている。そこには、本当に魚が売り場から消えてなくなるとまでは思ってはいない余裕が感じられる。
 『靖国 YASUKUNI』がスタートして3日が過ぎた。平日の今日も、多くのお客様にご来場をいただいた。平日は常に苦戦を強いられている劇場としては、大変にありがたいことである。しかし(やはり)、お越しいただいているお客様の多くは年配の方々。劇場で映画を観るという「手間」を、喜びと感じられる大人の方々だ。当館では『靖国 YASUKUNI』終了後、やはり戦争を題材としたドキュメンタリー、『ひめゆり』の上映が控えている。そして、26日からの『ぐるりのこと。』、その後に続く『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『接吻』『歩いても、歩いても』など、骨が多くて簡単には食べにくいラインナップで、僕らはこの夏を勝負しようと考えている(もちろん、そうでない作品もあるが)。夏休みだというのに。
 日本全国一斉休漁の犯人が、原油価格の高騰を招いた投機筋であることに間違いはないだろう。しかし、果たして犯人は本当にそれだけか。僕は日本全国の映画館が上映を止める日のことを想像してみる。阪本順治の『闇の子供たち』や黒沢清の『トウキョウソナタ』のフィルムが、映写機に掛けられることなく放置されている映写室で、僕は映画が当たり前に上映されていたときの喜びを空想し、落胆している。こんな日が来ないことを祈るばかりだ。
 傑作は、良質の観客と上映環境から生まれる。末端の現場こそが、業界全体を変えることができる、僕はそう考えている。「映画離れ」を食い止めるために、僕らは何ができるだろうか。明日15日、日本全国で"漁"が止む。

どちらでもない世界

Park2  『パーク アンド ラブホテル』の素晴らしさについて、もう少し続けよう。ラブホテルのオーナー・艶子と関わることになる3人の女性にはそれぞれに事情があって、それぞれに人生の壁にぶつかっている。彼女たち3人の生き方やものの考え方にも、多少の問題はあるだろう。もう少しなんとかならないものか、そんな思いがあたまをよぎらないわけではない。しかしこの映画は、そんな彼女たちに宿る問題の良し悪しを語ることなく、そこはかとなく淡々と綴る。「問題あり」の3人を決して悪者(わるもの)にすることもない。彼女らを迎える艶子も、観察者でも傍観者でもない目線でそれに応えている。まさにこのフラットな感覚こそが、この映画のリアリティを生んでいるのだと思う。
 物語の登場人物を悪く仕立てるのは容易い。そこに善人を創り出すのも。しかし、その2つを明確に描いた上で、「ほら、やっぱり善人にこそ幸せは訪れるのです」というようなオチをつけることには甚だ疑問だ。そんなストーリーは、現実世界のどこにだって転がっちゃあいない。誰もかれもが善であって悪であって、そのどちらでもない。それが現実だろう。この映画が僕らを惹きつけるのは、そんな「見極めることができない現実」をしっかりと見極めている点にあると思う。
 今週が上映最終週の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』も、そういう意味では実に見事に物語の内に「悪」を創っていない。たぶんそれは若松監督がもっとも気をつかったポイントではなかっただろうか。僕はこんな風に思っている。簡単に何かを「悪」と決めつけられなかったからこそ、『実録・連合赤軍』が誕生したのだと。被害者でもあると同時に加害者でもあるという彼らの抱える不確定要素こそが、まさしくこの事件が現実世界で起こったものとしての何よりの証拠であり、事件をいまだに「わからないもの」とし、総括から遠ざけている理由ではないか。
 この2つの作品は、善と悪とそのどちらでもないものが混じり合う現実から逃げていない。今年のベルリン国際映画祭が、この2作品に最優秀アジア映画賞・国際芸術映画評論連盟賞(『実録・連合赤軍』)と最優秀新人作品賞(『パーク アンド ラブホテル』)を贈ったことはとても興味深いことだ。たとえば世界がわかりやすく単純な二元論でできているならば、映画を観ることにはきっと意味がない。だけど僕らはいま、映画を観ずにはいられないような、わかりにくく複雑怪奇な世界に生かされている。そのことだけは確かだ。

パーク アンド シネマテーク

Park  李相日監督の『BORDER LINE』、内田けんじ監督の『運命じゃない人』、群青いろの『14歳』などなど、PFFスカラシップから生まれ出る作品にはずっと心を踊らされてきた。若手監督の作品とはいえ、見事に唸ってしまうような作品ぞろいである。このPFFスカラシップとは、PFFアワードの受賞監督から企画を募り、厳しい審査を勝ち抜いたただ1つの企画に制作の機会が与えられる制度だ。現在上映中の『パーク アンド ラブホテル』は、昨年度の第17回PFFスカラシップ選出作品である。そしてご覧いただければ分かるとおり、この映画は紛れもない傑作だ。
 とある街の一角に建つ昭和の香り漂うラブホテル。まるで吸い寄せられるかのように、なぜか子供や年寄りがここへ入っていく。その訳はこのラブホテルを経営する艶子が、ここの屋上を近所の人々の憩いの場たる公園として解放しているからだ。物語はオーナーであるその中年女性・艶子(りりィ)と、それぞれの理由で思い悩みながら、ここで人生の寄り道をすることになる3人の女性(梶原ひかり・ちはる・神農 幸)とのかかわりを描く。
 この映画は3人の女性たちがこのラブホテルに立ち寄ったことをきっかけに果たす再生と、そこで彼女たちに訪れる幸せのかたちを描いてゆく、つまりはそういう話であることには間違いない。しかしこの映画は、よくありがちな傷つき傷つけられた女性の単なる再生神話ではない。熊坂監督の握ったペンは、従来とはその姿を変えつつある「幸せ」のかたち、それがどういうものであるかを見事に描ききっている。そこが素晴らしい。
 では、その姿を変えつつある「幸せ」とはいったいどんなものか。それは物質的で、具体的で、明確なもの、どうやらそれはそんなものではない。ましてや手に入れるという類のものでもない。ここで語られているのは、そんな手のひらに乗ってしまうような、はっきりとしたかたちある何かではない。ここはそういうかたちある幸せや足し算の幸せを語る場ではなく、彼女たちが背負ってきた積荷をその肩から降ろす場所だ。そのような荷を降ろす行為、そしてふと日常のどこかで荷を降ろせるような場所を知っているということ、そのことが大切だ。足し算よりも、むしろそのような引き算について、僕らはそのことをより「幸せ」と呼ぶようになってきたということだ。

 「いいですね、ここ・・・」
ちはる演じる主婦・月が、ベンチに腰かけながら、この空中公園に集う人々を眺めながらふとこう漏らす。おそらく彼女はそうつぶやいた瞬間に、その重い荷をそっと足下に置いたことだろう。さて、これを読んでいるあなたには、「いいですね、ここ」と呼べる場所があるだろうか?「あります」という答えが聞ければ嬉しい。ひょっとしてそれが僕らの映画館であれば、もっと嬉しい。映画を観て感慨に耽る、涙を流す、笑う、昔の何かを思い出す、つまりは新しいイメージを新たに脳裏に刷り込む場所、それが映画館だ。しかし映画館とは単にそれだけの場所ではない。席を立つとき、あなたはきっと知らず知らずのうちにあなたが抱えてきた荷のいくつかを、座席の下に置いているはずだ。そしてその荷はそのままに、あなたは帰る。あなたが置いた荷は劇場スタッフが毎日当たり前のように掃除しているから大丈夫。だってほら、スクリーンの中でも、艶子が毎日ホテルの前に吹き溜まるどこからきたのか分からないような塵やゴミをやはり掃除しているじゃないか。
 
 「日が暮れたら人間は家に帰るものなの」
 そう艶子に急かされて、公園に集う面々は(まだ帰りたくないけれど仕方なしに)それぞれの家路に着く。そして誰もいなくなった公園で、艶子はひとり静寂を聞く。エンドロールが上下に流れ、やがて映画が終わる。場内が明るくなり、ついさっきまで公園を映していたスクリーンは今はもう真っ白だ。ああ、とてもいい映画を観た。さっきまで重かった肩が何だか軽い。余韻とともにあるこの時間が好きだ。今感じた素晴らしさを僕は(わたしは)まだかたちにもことばにもできていない。何だかまだ帰りたくない。そういうすべて、そういう映画が呼び込むすべてと、そういう時間を知っていることのすべてをひっくるめて、「幸せ」と呼ぶのだと思う。映画館とは、そういう「幸せ」を呼び込む場であり、そんな「幸せ」を呼び込んでくれる『パーク アンド ラブホテル』のような映画をかけ続ける場でなくてはならないだろう。

 『パーク アンド ラブホテル』・熊坂出監督のティーチイン、開催決定!くわしくはこちら

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Arata_4   『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が好調だ。その理由は語るまでもなく、うやむやにされてきた視界の利かないその先の世界、学生運動から山岳ベース、あさま山荘にいたる事件の内側を僕らがどうしても視認したいがためだろう。この群像劇のあまたの登場人物の中でひとり。どうしても他人に思うことができないあるひとりの男性に僕の心が傾く。「総括」という名の粛清が行われた榛名の山岳ベースで、彼は上から数えて3番目の幹部としてそこにいた。幹部とはいえ、おそらくは疑問を感じながらも最高幹部の森や永田に逆らうことができず、「総括」を幇助し、仲間を血祭りにあげた。あさま山荘では、銃による殲滅戦を貫徹しようとしたか、はたまた走り出した感情を抑えることができなかったのか、森・永田の逮捕の後、半ば「最高幹部」に押し上げられたかたちで、彼は国家権力に銃口を向けた。その人物の名は、坂口弘という。

 自立をした人間になれと言われても、僕らの意思決定がどれだけ自己発生的なものであり続けることができるだろうか。そんな赤色に染まる強靭な意志を持つ人間がどれだけいるというのか。「連合赤軍」と名乗りつつも、その各々の心の色までが果たして、鬼や炎や血液の赤色だったろうか。映画の中の坂口弘は、少なくともそうではなかった。そこに透けて見えたのはむしろ青だ。若さや理性や冷静さや誠実さの青。そういう青を内に抱える人物像だ。

 そんな坂口弘を映画の中で演じたのが、ARATAだ。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は「赤」の映画ではない。エンドロールが流れるスクリーンに、僕は深い「青」が滲み出てくるのを見た。グラフィックデザインの世界では、印刷物等の上下に同色の帯を用いることを「締める」という。こうすることでデザイン全体が引き締まることがあるからだ。ARATAの存在感により、この作品の天地には青の帯が敷かれた。憂いと哀しみの青。眼に見えずとも天地を青に締められたスクリーンに、僕は不思議な安らぎを覚えた。

 そして、これは「たら・れば」の話になってしまうのだが、あの山岳ベースに「緑」の大地のような包容力のある存在がいてくれたらと、いま心から思う。連合赤軍が年齢の近い者同士の集団だったことを考えれば、それは男性でも女性でもいい、森や永田や坂口らとは別の視座を得ている年長者がいれば、彼らの運命は違ったものになっていたかもしれない。社会は様々な年齢層によって構成されてしかるべきなのだから。光の赤、青、緑はそれぞれ混ざり合うと白になる。白になり得なかった空間で、赤と青がせめぎ合い、12人の命が失われた。そして皮肉にも、連合赤軍最後の戦闘の舞台はあさま山荘、白色の雪景色の中での銃撃戦となってしまった。

 死刑が確定している坂口氏は1986年から現在に至るまで、獄中で短歌を詠み続けている。作品を観て、昨年11月に出版された氏の歌集『常しへの道』(角川書店)を読んだ。彼の師匠・佐佐木幸綱氏が綴るあとがきの言葉通りに、僕はこの歌集を死刑囚としてではなく、歌人・坂口弘の著作として読み進めた。この歌集からいくつかの歌を紹介したい。

好みの色は 赤色と無理に答えにき 感性よりも思想の吾は

染みのある白きセーターを 他の色に染むるごときか 事件の総括は

一夜明けて 雪化粧せるアルプスよ 連赤の名も厳かに変れ

 彼を他人と認めることができなかった理由は簡単だ。走り、叫び、苦しみ、悩むその姿。他でもない僕が坂口であり、僕らが坂口であるからだ。幸か不幸か、1972年2月、彼はあさま山荘で銃を手にしていた。幸か不幸か、2008年6月、僕らはそこからほど近い高崎の街で彼の映画を観ている。もしかしたら僕らが銃を手にして、彼が映画を観ている人生だってあり得たかもしれない。白銀の世界を背にしたARATAという白く、透明感のある役者の一挙手一投足に、僕はそんな幻を見た。  

※6月20日(金)『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』16:30の回 ARATAさんの舞台挨拶が決定。詳しくはこちら→click!

I'm not there.

Heathledger  昨日10日、改正・性同一性障害特例法が衆議院を通過した。この改正により、心と体の性の不一致に苦悩している方々のうち、お子さんがいらっしゃる場合でも、その子が成人すれば戸籍上の性別を変えることができるようになった。これまでの法律では、それが適わなかったのだ。この改正案が通ったことを大きな前進だと思いたい。今後の動きにも注目したい。
 さて、社会における映画の役割は実にさまざまだ。性同一性障害を扱った映画といえば、ヒラリー・スワンクの衝撃的な演技と、カーディガンズのニーナの哀しみを湛えた歌声が印象深い『ボーイズ・ドント・クライ』(1999)がその代表だろうか。さまざま存在する映画の役割のひとつとして、不当に蓋をされている何かに光を当て、あるべき道筋と照らし出すという極めて大切な役割があることは映画ファンならずともご承知の上だろう。しかし、このような社会的役割を映画が実現するには、あのときのヒラリー・スワンクのように、それなりの役者がどうしても必要なのだ。
 今年1月、ヒース・レジャーが多種の薬物の併用による中毒で亡くなった。享年28歳。『チョコレート』では人種差別主義者である父親のアンチテーゼとして自殺を遂げる心優しい刑務官を、『ブロークバック・マウンテン』では同性愛に生きる寡黙なカウボーイを、『キャンディ』では薬物中毒のスパイラルに陥る青年詩人を演じ、これからの将来を嘱望されていた役者であった。彼は現代社会がオートマチックに創り出してしまう断崖の"へり"に立つ若者を演じ続けてきた。これからの映画界にどうしても必要な俳優であった。なぜならば、そういった断崖の存在や、断崖のへりに追い込まれ、その際に立つ人たちがこの世の中に少なからずいる、そのことを世に知らしめるという仕事を映画が果たすためには、それに相応しい役者がいなくてはならないからである。ヒースは現在上映中の『アイム・ノット・ゼア』で「6人のボブ・ディラン」のひとりとして、家庭崩壊に苛まれる男・ロビーを演じ、またもや断崖のへりに立っている。そのヒースが、もうこの世にはいない。演じ続けなければいけない役者であったと思う。"I'm not there"というタイトルが空しく心に響く。秋葉原の事件の衝撃を受け、社会がその断崖と対峙せざるを得ない状況下、僕らの劇場のスクリーンでは"そこにいない"はずのヒース・レジャーが、不敵な眼差しを観客席に向けて突き刺している。