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ゼロの詩(うた)

Kagawa  つい先ほど、覚和歌子さんの物語詩集『ゼロになるからだ』を読了。映画『ヤーチャイカ』の原作。その世界観に圧倒され、その素晴らしさに言葉を失う。
 映画を撮られた方だもの、「覚和歌子監督」とお呼びしなくてはならないのが通例。でも僕は、実はこの「カントク」というカクカクした響きがあまり好きではない。覚さんの「カク」という音に、さらにまたカクカクを上塗りすることもないだろうし、本と昨日の舞台挨拶でのあまりにもやわらかな印象から、その通例は捨てたいと思う。その方にふさわしい呼び方があるってもんだ。さて・・・、

 呼吸する映画、それも寝息のリズムで。

 僕の、『ヤーチャイカ』を観ての印象だ。大変多くの写真をつないで構成されているこの作品は、その一枚一枚の"つなぎ目"のところで、映画が確かに呼吸をしている。それも寝息のリズムで。正午と新菜、主人公2人の名に込められた"ゼロになること"と"新たな始まり"は、そのままこの物語の核となっている。ところがだ、僕ら現代人の生活は、いくら眠っても"ゼロ"になることを許されていない上、インダス文明が獲得して以来の"ゼロの概念"は肉体と精神のバランスの維持向上に、あまりにも応用されていないままだ。僕らは前日の鬱蒼とした思いを引きずるだけ引きずって眠り、また「前日の続き」としての朝を迎える。そして、"ゼロになる"ことの意味を"自殺"という行為だと捉え、命を落とす日本人が毎年3万人もいる。かつて高校教師であった正午も、校内暴力事件の果てに生徒をひとり死なせてしまい、落胆の末、自らの命を絶つべく物語の舞台となる村にやってきたのだった。
 覚さんと共同監督の谷川俊太郎さんには、同じ「からだ」という題名の詩がそれぞれの作品として存在する。全文をここに書くことができないのが歯がゆいが、『ゼロになるからだ』に収められている覚さんのそれには、人の胴体手足にはそれぞれに生かされている意味があると詠われている。キスするためのくちびる、キスされるための頬、そして朝焼けを見るため瞳だと。また谷川さんのそれは、たったひとつの分子にもいのちはひそんでおり、それは死の沈黙よりも深く、くりかえす死のはての今日によみがえりやまぬもの、と詠われている。僕らを取り巻く大気と空と宇宙とが一連のものであるとすれば、呼吸とはからだに宇宙を摂取することだろう。僕らは寝ている間も、呼吸することを忘れはしない。なんと偉大なことだろうか。
 『ヤーチャイカ』、"わたしはかもめ"。 女性初の宇宙飛行士テレシコワが、宇宙から地球に送った最初のことば。いったい僕らが何のために、そしてどういう経緯で、悠久の時の流れの中、この果てしない宇宙の片隅で、2本の足で立ち、呼吸をしているのか?テレシコワが空の彼方から見たものとは?2人の映像詩人の試みによって、僕もまた宇宙を飛ぶための翼を得た気分だ。

街の残像を『夜顔』に見る

Akaihuusen_2Yorugao  1956年のカンヌ国際映画祭の短編部門でパルム・ドールに輝いたアルベール・ラモリス監督作品『赤い風船』が、7月にシネスイッチ銀座で公開される。とあるひとりの男の子(ラモリス監督の実の息子)と、彼の"友達"である真っ赤な(赤の"色"が実に美しい!)風船の素敵な友情の物語だ。大きな赤い風船がふわふわと浮きながら、自らの意志で、まるでいのちあるもののように、男の子と一緒に学校に行ったりパリの街を闊歩?する。その様がとても可愛らしく、スクリーンから幸せがこぼれ落ちるかのようだ。"ふたり"が練り歩くのはパリ・モンマルトルの街並み。この街並みの美しさといったら、言葉にあらわすことができない。この街並みがこの不朽の名作を生んだと言っても言い過ぎではないだろう。 
 さて、パリの街並みといえば、公開中の『夜顔』も、もちろんパリが舞台。都市は進化するものだから、きっと38年前の『昼顔』撮影時の風景とはあらゆるものが変わったことだろう。主人公ユッソンとデヴィッド・ベッカム似の?バーテンダー(オリヴェイラ監督の実の孫)の会話によれば、『昼顔』の舞台ともなった娼館も姿を消したようだ。だけど不思議なことに、僕らは『夜顔』を通じて、そこに旧きパリの面影を見る。たとえ僕らが『赤い風船』に登場する50年前のパリ、そして『昼顔』に登場する40年前のパリを知らなかったとしても。パリとはそういう街ではないだろうか。
 映画という残像現象の中に、旧き街の残像を見る。都市の変容と邦画の育成、芸術の醸成について、パリから学ぶべきことは少なからぬものがある。映画の誕生には土壌というものが大きく関わるからだ。パリ自身が魂を残しながら進化を遂げているからこそ、『夜顔』は生まれたのだろう。パリがどこかで急変し、パリがパリでなくなっていたとしたら、『夜顔』はきっと生まれなかった。また、パリが進化を止め、その魅力を放出してしまっていたとしても同じことだろう。『夜顔』ではシーンとシーンの間に、たっぷりと長く映されたパリの夜景が用いられ、1日の経過が表されている。パリに帰ってきた女と、パリで女を待っていた男。そしてそのパリの灯がふたりの再会を照らす。これはまさしく、38年前もそして今も、確かに呼吸を続けるパリという街の物語だ。
 オリヴェイラ同様、侯孝賢が『赤い風船』とアルベール・ラモリスにオマージュを捧げた映画がこの夏、『赤い風船』と同時に公開される。それがフランス・オルセー美術館の開館20周年事業『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』だ。人形劇師のスザンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は7歳の息子・シモンと共に暮らしている。仕事に追われるスザンヌは別れて暮らす夫、部屋を貸している友人のとの関係に悩んでいる。そんな毎日を変えようと、彼女は台湾人のソンを、シモンのベビーシッターに迎える。ソンはシモンと仲良くなり、映画『赤い風船』のことをシモンに話して聞かせる。そしてソンは『赤い風船』の舞台であるこのパリで、シモンを主人公にした映画作りをはじめる・・・。
 『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』公式サイトには、「絵葉書のようなパリ、絵葉書にないパリを心に焼き付ける至福のアニバーサリー・フィルム」とある。パリでは映画が40年、50年の時を超えた。同じことが激変を遂げるアジア、そしてこの停滞気味の日本の都市でも起こりうるだろうか。是非ともジャ・ジャンクーあたりに尋ねてみたいものだ。

何がカトリーヌ・ドヌーヴを美しくしたのか

Hirugao J:君は美しい 見てると苦痛だ

C:昨日は喜びと言ったわ

J:喜びと苦痛だ

 トリュフォーの1969年の作品『暗くなるまでこの恋を』のラストシーンでは、見つめ合うジャン=ポール・ベルモンドとカトリーヌ・ドヌーヴの間でこんなセリフが交わされる。見ているのが苦しくなるほどの、ドヌーヴの危険なまでの美貌を適格に表現した名セリフだと思う。1970年前後といえば、20歳代後半のカトリーヌ・ドヌーブが美しさの絶頂にあった時期で、代表作のいくつかがこの時代に生まれている。ルイス・ブニュエルという映画の天才料理人と脚本家ジャン=クロード・カリエールのコンビが『哀しみのトリスターナ』(1970)で、後期のブニュエル作品には欠かせない存在であったフェルナンド・レイを親子ほども年の離れたドヌーブと向かい合わせ、空疎な愛のかたちとして見事に調理したのもこの時代だ。ドヌーヴはこの作品で、病で片足を切断し、養父であり夫でもある男の愛を徹底的に拒む冷徹な女性を演じた。また、マルコ・フェレーリが、やはりカリエールとの共同脚本である『ひきしお』(1971)でドヌーヴに演じさせたのは、首輪を付け、M.マストロヤンニに犬のごとく服従する女の役だった。役に対するこれらカトリーヌ・ドヌーヴの挑戦が、当時のヨーロッパ映画界の可能性を押し広げたことに異論はないだろう。何せこれだけの美人女優が前衛的な映画作家たちと、当時を代表する男優たちとの仕事の中で、汚れた役に挑み続け、結果を残してきたのだから。
 そしてこのような、ドヌーヴの「役」というものに対する彼女なりの姿勢と、ヨーロッパ映画界での女優としての座標を決定的なものにしたに違いないのが、ブニュエルとドヌーヴの最初の仕事であった『昼顔』という作品だろう。この作品が生まれた1967年は、トリュフォーの『柔らかい肌』(1964)のニコル役で知られ、前年の1966年には『ロシュフォールの恋人たち』で双子の姉妹役として共演も果たしたカトリーヌ・ドヌーヴの実の姉、フランソワーズ・ドルレアックが交通事故で亡くなった年でもあった。『昼顔』が生まれた1967年とは、ドヌーヴが喪失感から苦痛とも受け取れる美しさをまとい、女優として生きる覚悟を決めた年だったのではないだろうか。
 日本では若尾文子がこれより数年先に、『妻は告白する』『清作の妻』など、増村保造とのコンビによる作品の中で果敢に「女」と「生」についての追及をしていた。作品数では及ばないものの、ドヌーヴとブニュエルの映画には、若尾と増村の映画に見られたような観客志向に陥ることのない芸術性を発見することができる。そしてそこから一気に飛躍し、「女」をめぐる僕の映画と時間の旅は、万田邦俊監督の『接吻』へと辿り着く。挑戦的な映画ほど心揺さぶるものはないし、役に挑んでいる女優ほど美しいものもない。まずは今週末公開の『昼顔』と『夜顔』、是非併せてお楽しみいただきたい。

全然大丈夫じゃない世の中で

Zenzenok  『グループ魂のでんきまむし』という幻の作品がある。バカバカしさとハチャメチャを極めた映画であった。大人計画の劇中映像を制作していた藤田秀幸監督の作品で、主演があのグループ魂。上映当時は大人計画もグループ魂も、ファンの間では絶対的なものになりつつあったけれど、一般的にはまだまだ知られていなかった頃だったと思う。幻といったのにはワケがある。この映画にはグループ魂が実際に「笑点」に出演したときの映像が無断で使用されているためにDVD化できないのだとか。つまり、いろんな意味でハチャメチャな作品だったということだ。『グループ魂のでんきまむし』は2000年の第14回高崎映画祭で上映された。当時、藤田秀幸監督と出演されていた井口昇さんに舞台挨拶をいただき、市内のおでん屋でご一緒させていただいたことを覚えている。井口昇さんは『人のセックスを笑うな』の井口奈己監督とイメージフォーラムの同期でもある。だから『犬猫』にも出演されている。4年後、井口昇さんは監督として『恋する幼虫』という、これまた奇怪な作品を荒川良々主演で撮ることになる。
 あれから8年。藤田秀幸監督は藤田容介と名を改め、井口昇監督に続く荒川良々主演作品を世に送り出す。それが現在上映中の『全然大丈夫』だ。僕はまず『全然大丈夫』というこのタイトルに惹かれた。「全然大丈夫」って必要な言葉だよなあ、としみじみ思った。世の中が多様化しすぎたことから沸き起こる不安感ってないだろうか?根拠なんてなくたっていいから、「全然大丈夫だよ」と誰かに声をかけてもらうことを今を生きる僕らはどこかで必要としてはいないか。この映画を彩るのはそんな多様化の波にノリにノッてしまった、一般社会の常識からズレた人たちばかりだ。ホームレス、オカルトマニアの造園屋、新品のティッシュボックスを開けられない程の不器用人間、鬱の古本屋店主、顔に大きな痣のある陶器修復士・・・。多様化といってもどちらかといえば社会から嘲笑されがちな人たち。劇中で荒川良々演じる照男がしばしば吐く「上から目線」というセリフにも象徴されるが、スクリーンの向こうには多様化された格差社会をいくらかデフォルメした世界が広がっている。そこでこの"全然大丈夫"というタイトルの意味を考えたとき、その意味の深さに気づく。この作品は社会に馴染めず、いまにもドロップアウトしそうなすべての大人たちに向けた愛のメッセージだ。一本芯の通った面白可笑しさとバカバカしさが作品を貫いていて、しかしながら愛の押し売りにはなっていないし、説教じみてもいない。そこがまたいい。社会がいつでも普通じゃないことや異質なものを受け入れられる器であってくれるといい。なんだか『靖国』上映問題にも繋がっていきそうな話である。
 こういう作品だもの、決して傑作とは言うまい。僕にとっては、冬の寒い日に見知らぬ誰かから黙ってそっと渡されたカイロのような、そんな偶然の拾い物のような、「ほっこりとした」プレゼントであった。

22日『眠り姫』七里圭監督・舞台挨拶について

あさって22日『眠り姫』14:45の回上映時に行われる七里圭監督舞台挨拶のご予約方法について詳しくご説明します。

 ご予約は劇場受付、または電話(027-325-1744)にて行っております。定員に達し次第、終了とさせていただきます。なお、ご予約が定員に達した場合、当日券の販売はございませんので、ご了承下さい。みなさまのご参加をお待ちしております。料金は通常料金です。1人2名様までご予約いただけます。
 昨日の熱のこもったブログにも書かれているとおりの才能あふれる七里監督のトークが聞ける、またとないチャンスです!『眠り姫』については昨日分のシネマテーク通信を是非お読みください。『眠り姫』に対するシネマテークたかさきの意気込みが詰め込まれております。皆さん、どうぞお聞き逃しなく!

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話は変わって・・・

1996年公開の『イングリッシュ・ペイシェント』から12年。
18日、アンソニー・ミンゲラ監督がお亡くなりになりました。
1968年公開の『2001年 宇宙の旅』から40年。
19日、アーサー・C・クラークもお亡くなりになりました。
1968年といえば、カール・ドライヤーが亡くなった年。
そういえば、カール・ドライヤーと川島雄三は生まれ年はもちろん違えど、
2月3日と2月4日で誕生日がわずか1日違い。
川島雄三は今年が生誕90年にあたります。
誕生日といえば、大ヒット上映中の『人のセックスを笑うな』の井口奈己監督は、
シネマテークたかさきと誕生日が同じで12月4日。
人と暦と運命の巡り合わせ。

そしてまさに今日はカール・ドライヤーの40回目の命日。

ご冥福をお祈りします。

「最高」の「再考」

Kawashima_2 「誰だって下手なもの創ろうと思っていないのでげすよ」
 ・・・川島雄三が"愛弟子"の藤本義一氏に語った言葉

 今日で「川島雄三レトロスペクティブ」は8作品のうち5作品が終了。残るは『女は二度生まれる』『洲崎パラダイス 赤信号』『雁の寺』の3作品。各作品ともに3日間で6回ずつの上映がある。最終上映は20:00~。時間に縛られている社会人の皆様も何とか仕事を片付けて、この3日間、是非とも駆けつけていただきたい。
 さて「レトロスペクティブ」とは、ラテン語の"retro(後ろ:後ろを向く)"に"specto"から派生した"spective(見る)"を合成した単語である。「回顧的な」という意味の形容詞であり、これが名詞として機能すると「回顧展」となる。しかしこういった企画の本来意図するところは、「回顧」というよりは「再考」であろう。中にははじめて出会う作品もある訳だから「考察」という場合もありうる。今回の「川島雄三レトロスペクティブ」にあたり、僕は作品を観ながら「最高傑作」というものについて「再考」し、「考察」している。
 「川島雄三といえば『幕末太陽傳』」、一般的にはこう言われている。『幕末太陽傳』は川島雄三を語る上でついて回る形容詞的な作品であろうし、川島の「最高傑作」であると評する人や文章は数多い。しかし、今回の「再考展」から得た僕なりの実感は、『幕末太陽傳』は川島の最高傑作ではない、というものだ。玉石混交といわれる川島の作品を観ていると、「川島雄三とは×××な監督だ」という定義付けをあきらめざるを得ない。女の生き様を描くにあたっても『女は二度生まれる』という「軽やかさ」と『花影』という「絶望」を、同一年にこの世に送り出した監督である。このあたりの変わり身の妙と作品ジャンルの幅広さが川島雄三という監督の面白さだと思う。「最高傑作」という作品評価は、その作家の位置を整理するための、ひとつの印付けに過ぎないだろう。社会が作家の最高傑作を暗黙のうちに決め、やがてその作家の形容詞とすることで、その作家の評価を縛り上げる。音楽のベストアルバムがよく売れるのと同じで、「最高傑作」と呼ばれる作品には誰もが飛びつき、そしてその「最高傑作」を自分の内に取り込むことで、その作家を理解したかのような錯覚に陥る。最高傑作もそうでないものも、横一列に上映してしまう「レトロスペクティブ」とは、そのような呪縛や錯覚を断ち切るための、いわばナイフのようなものだ。それまで名も知らなかったような作品から、僕らはその作家の中に新たな発見をすることとなる。「下手なものを創ろうと思っていない」作家の様々な趣向を様々な作品の中に見ることで、そこから「最高」の「再考」がはじまり、「最高」という位置づけの無意味さを知る。「レトロスペクティブ」とはそのような場ではないだろうか。
 
※明日から上映の3作品と『幕末太陽傳』
『女は二度生まれる』は、色とりどりの着物を着こなし、次から次へと男を乗り換える小悪魔・小えん(若尾文子)の終着点が必見。『洲崎パラダイス 赤信号』は『青べか物語』同様、橋の上のシーンに始まり、橋の上のシーンに終わる。男と女の間にかかる「橋」の物語であり、川島がもっとも愛したといわれる一品。閉ざされた空間で人間のエゴと情欲がむきだしにされる『雁の寺』は、坊主の「生臭さ」と若尾の妖艶な「匂い」が入り混じる業の世界。どれもお見逃し無く。そして「最高傑作」ではないと述べた『幕末太陽傳』は高崎映画祭での上映。もともとこの傑作に「最高」などという陳腐な形容詞は要らないのだ。『貸間あり』と並び立つ、川島喜劇の奥深さをご覧いただきたい。

再びの『いのちの食べかた』

Inochi Bakusyu  いつもお世話になっているメンバーズ会員の方から、現在当館で『いのちの食べかた』の予告篇がかかっていることについて問い合わせをいただいた。あの予告は間違いではないかと。上映を終えて間もない映画の予告が再びかかっているのだから、そう思われるのも無理のない話だ。きっと同じことを思われたお客さまが、他にも随分いらっしゃったのではないだろうか?いやはや、きちんとしたご案内が遅くなり申し訳ありませんでした。実は『いのちの食べかた』のアンコール上映が決定しております。4月19日~の再上映です。
 他劇場の『いのちの食べかた』の上映状況を眺めてみると、渋谷・イメージフォーラムでは11月10日からの上映開始以来、今も終了日未定のままロングランで上映続行中だ。先輩格の名古屋シネマテークでは4月26日から再々上映とのこと。恐るべし、『いのちの食べかた』・・・。
 さて、『いのちの食べかた』は、「本当のいのちの食べかた」を見失いつつある現代人に対するメッセージであり、自分たちの食物について何も知らされていない現代人への「報告」でもある。僕らが食についてここまで鈍感になってしまったのは、いったいいつ頃からなのだろう。日本人のそれについて、ひとつの興味深いヒントが小津の『麦秋』の劇中に見受けられる。『麦秋』は、当時(昭和26年)の結婚適齢期をやや過ぎてしまった女性・紀子(原節子)にふりかかる縁談をきっかけに、紀子とその家族の日常が静かに離散へと向かうありさまを描いた、言わずと知れた小津の代表作である。
 劇中、勤務医の兄・康一(笠智衆)がお土産を持って帰宅するシーンがある。康一の小学生の長男は、そのお土産を以前から両親にせがんでいた鉄道模型のレールだと思い込み、喜び勇んで封を開けたところ、中からでてきたのは一斤のパンであった。長男はそのパンを蹴飛ばし、「何でレール買ってくれないんだよ!」と父に抗議する。父は食べ物を粗末にした行為を咎め、長男を平手打ちする。ひもじい生活を強いられた太平洋戦争の終結から、たった6年でこんな映画が作られている。実に驚きだ。また紀子が銀座の帰りにいかにも高級そうなホールケーキをお土産に買ってくるというシーンもある。セリフの中で、ケーキの値段は確か900円と言っていた。もちろん当時、日本全国津々浦々まで食へのこんな意識が広まっていたなどとは思っていないが、なるほど、こうして『麦秋』を振り返ってみると、日本の復興、そして日本の食卓と日本人の食への意識の変化について、小津がつぶさに描いていることに気づかされる。紀子の嫁入り後のラストシーン、大和の間宮家の本家周辺では麦の穂が風にゆれ、夏の訪れを告げている。そうか、パンやケーキの源である麦の穂が見事に実って風にゆれるさまは、戦火をくぐりぬけた日本の復興と、日本人の食生活の変化の象徴だったか。いくらなんでも、斜めに見過ぎか。しかし、終戦からわずか6年で製作された『麦秋』に登場し、子供に蹴飛ばされボロボロになったパンは、当時より忘れられつつあった「本当のいのちの食べかた」のメタファーのようにも思えるのである。

 『いのちの食べかた』の前回上映を見逃された方、今度こそはどうぞお見逃しなく。

女の「覚悟」と「潔さ」

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Palm_3  2007年のベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞を獲得した『トゥヤーの結婚』が、渋谷のBunkamura ル・シネマで上映されている。シネマテークたかさきでも上映を予定している作品だ。舞台は中国の内モンゴル自治区。下半身不随の元夫と子供ふたりを抱えながら、大草原の中を強く逞しく生きる牧畜民の女性・トゥヤーの再婚をめぐる物語である。劇中、吹雪の中、数十頭の羊と草原に出たまま戻らない息子を、母であるトゥヤーが探しに出かけるシーンがある。草原に生きる牧畜民にとって、羊は大切な収入源であり、 財産だ。ラクダの背に乗ってあちこちを駈けずりまわり、やっとのことで羊たちとともにいる息子を見つけたトゥヤーは彼を強く抱きしめ、こうつぶやく。「家に帰ろう。羊はいいよ。」と。彼女の"覚悟"を垣間見た瞬間だった。いのちを育む女性でなければ身につかない潔さだろう。この潔さの前では、男は為す術なしである。
 『トゥヤーの結婚』が最高賞に輝いたベルリンのコンペティションに一緒に出品されていたのが、現在当館で上映中の『やわらかい手』である。この『やわらかい手』で僕が目にしたのもやはり、この種の「覚悟」と「潔さ」であった。マリアンヌ・フェイスフル演じるごく普通の主婦マギーは、難病を患う孫・オリーの治療費をまかなうため、歓楽街のソーホー地区で、"接客業"をはじめる。マギーの第1の覚悟と潔さがここで見られる。それは「母性」によって導かれたものである。なぜ「覚悟」を必要とするのかといえば、"接客"とは婉曲表現であり、その実態は壁に空けられた穴を通して、男たちの"アレ"を"アノ方法"で"イカせる"風俗業だったからだ。戸惑いながらもマギーは次第次第にその"仕事"を自分のモノにしていく。そうやって稼いだ金を渡された父親である息子・トムは増幅した戸惑いを怒りに換え、母であるマギーを怒鳴りつける。それでもマギーは言うのだ。「自分のしたことに後悔はしていない」と。そうしてなお、こういった行為を"しでかした"ことから訪れる周囲のまなざしの変化にも、マギーはきっぱりと立ち向かっていく。
 さて、ありきたりの作品であれば物語がこのあたりまで進展したところで、チャンチャンとエンディングを迎えるのが普通であろう。しかし、この作品の素晴らしき点は、マギーが見せる第2の覚悟と潔さにあると僕は見ている。それは「母性」によってではなく、女というジェンダーによって導かれたものである。そうして迎えた見事な"潔い"エンディングに僕は思わず涙が溢れた。
 映画はすべて観ることからはじまる。この作品が含むセクシャルな表現、マリアンヌ自身ののスキャンダラスな過去、作品紹介にあたって触れられるそういった要素のひとつひとつが、『やわらかい手』という作品のエッセンスを見えにくくさせているように思えてならない。マギーが周囲との気まずい関係に屈することなく生きようとするその姿は、マリアンヌ・フェイスフル自身による彼女を取り巻く視線からの解放をも思わせる。観る前と観た後でこんなにも印象の違う映画は久しぶりだった。103分の後、思いもよらない"潔い"ラストシーンによって、マギーの"やわらかい手"があなた自身のこころを包み込むこととなる。

★『やわらかい手』は昨年のベルリン国際映画祭では『トゥヤーの結婚』に最高賞を奪われたかたちとなったが、ここ日本では観客によって非常に高い評価を得ることとなった。2007年度のキネマ旬報ベストテンでは、洋画部門で第6位にランクされている。

接吻

Seppun2  今日8日は渋谷・ユーロスペースにて、"待ちに待った"と言うべき万田邦敏監督の新作『接吻』の公開初日。大いなる期待を胸にこの映画を観た。黒沢清監督の『CURE』、青山真治監督の『EUREKA』、塚本晋也監督の『ヴィタール』、西川美和監督の『ゆれる』…。これら、ここ十年の邦画界に放たれたどのインパクトとも違う、しかしながら、それらの作品名を引き合い出すことを十分に許されるであろう紛れもない傑作であった。小池栄子が素晴らしい。あまりに筆舌に尽くし難く、観たばかりの今日の段階で具体的な言葉をもってこの作品の何たるかを表現することはできそうにない。
 当館でも近日、上映を予定している。上映のその日まで、何度かここでこの作品については書かざるを得まい。

小さな大人

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 「母をたずねて三千里」ファンはきっと、『この道は母へとつづく』というタイトルに少年マルコの物語を重ね合わせることだろう。そして、この作品をまだご覧頂いていない皆さんにとっては、物語の主人公であるワーニャが果たしてお母さんに会えるのか会えないのか、そのことが何より気になるところだろう。僕もそうだった。しかし、この作品を観終わって冷静に振り返ったとき、この作品の映画としての魅力は、結末とはまったく別のところにあると感じた。特に、少年ワーニャが母親探しに旅立つ前の、孤児院をめぐる社会の描写がすばらしいのだ。不遇な孤児同士が肩を寄せ合って力強く生きているというような、美化され過ぎたイメージからはかけ離れた孤児院の世界がそこにはある。年少者と年長者の間には厳しい"ルール"に基づい た上下関係が存在し("ルール"を破った者には制裁が待っている)、窃盗を働く少年や金のために身体を売っている少女もいる。孤児たちのふるまいに目が行き届かない院長ら大人たちがいて、養子縁組のため孤児を外国人の養父母に斡旋し利益を得る業者までいる。わずか6歳の少年ワーニャがたったひとりで母親探しの旅に出るという物語の根幹のみがある意味非現実的であり、その他の部分については徹底した現実が描かれている。少年がどのような現実から旅立ったのか、ということについて細部にわたった事細かな描写があるのだ。しかし今や日本の映画界で好まれているのはとかく、旅立ったその後の"非現実"世界の側の方だ。製作、配給、上映、そして観客の大半が、そういった傾向を好む。もちろんそういう"歯ごたえのない"傾向を憂いて、もう片方の側を見つめようとしている人たちは確かにいるけれど、その流れの勢いはあまりにも強い。
 劇中、大切な事柄を物語の行間に込めるというロシア映画らしい手法も用いられている。何よりもこの映画はあまり多くを語らない。暗喩とまでは言わないが、僕らはワーニャのこころの内側を彼の行動から連想しなければならない。これは作り手による、観客の想像力への期待のあらわれだ。こういう期待は観客としてうれしいものだ。真逆の映像文化にさらされ過ぎているせいだろうか。
 つまり、この映画は子供を描きながらも、しっかりと大人のための映画になっていると言える。映画とは大人のための文化であって、そうであり続けなくてはならないと僕は個人的に思っている。子供たちはそれに背伸びをしてついて来るくらいがちょうどいい。この作品は文部科学省の特別選定(青年向き、成人向き)、選定(少年向き、家庭向き)を得ている。僕らは幸か不幸か、生きてゆく上でのあらゆる何かを与えられて"しまって"いる。大人でさえこの映画の奥行きを想像し、環境の違いを乗り越えたところへたどり着くのは容易ではあるまい。子供のために用意された歯ごたえのない映像に飼いならされた日本の子供たちは、この映画に何かを求めてくれるだろうか。劇中の孤児たちの置かれる環境はあまりにも厳しい。だからこの地では子供たちが過ぎた子供扱いをされることがまったくない。まるで、子供というものは"小さな大人"なのだと、映画が僕らに告げているかのようだ。