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街の残像を『夜顔』に見る

Akaihuusen_2Yorugao  1956年のカンヌ国際映画祭の短編部門でパルム・ドールに輝いたアルベール・ラモリス監督作品『赤い風船』が、7月にシネスイッチ銀座で公開される。とあるひとりの男の子(ラモリス監督の実の息子)と、彼の"友達"である真っ赤な(赤の"色"が実に美しい!)風船の素敵な友情の物語だ。大きな赤い風船がふわふわと浮きながら、自らの意志で、まるでいのちあるもののように、男の子と一緒に学校に行ったりパリの街を闊歩?する。その様がとても可愛らしく、スクリーンから幸せがこぼれ落ちるかのようだ。"ふたり"が練り歩くのはパリ・モンマルトルの街並み。この街並みの美しさといったら、言葉にあらわすことができない。この街並みがこの不朽の名作を生んだと言っても言い過ぎではないだろう。 
 さて、パリの街並みといえば、公開中の『夜顔』も、もちろんパリが舞台。都市は進化するものだから、きっと38年前の『昼顔』撮影時の風景とはあらゆるものが変わったことだろう。主人公ユッソンとデヴィッド・ベッカム似の?バーテンダー(オリヴェイラ監督の実の孫)の会話によれば、『昼顔』の舞台ともなった娼館も姿を消したようだ。だけど不思議なことに、僕らは『夜顔』を通じて、そこに旧きパリの面影を見る。たとえ僕らが『赤い風船』に登場する50年前のパリ、そして『昼顔』に登場する40年前のパリを知らなかったとしても。パリとはそういう街ではないだろうか。
 映画という残像現象の中に、旧き街の残像を見る。都市の変容と邦画の育成、芸術の醸成について、パリから学ぶべきことは少なからぬものがある。映画の誕生には土壌というものが大きく関わるからだ。パリ自身が魂を残しながら進化を遂げているからこそ、『夜顔』は生まれたのだろう。パリがどこかで急変し、パリがパリでなくなっていたとしたら、『夜顔』はきっと生まれなかった。また、パリが進化を止め、その魅力を放出してしまっていたとしても同じことだろう。『夜顔』ではシーンとシーンの間に、たっぷりと長く映されたパリの夜景が用いられ、1日の経過が表されている。パリに帰ってきた女と、パリで女を待っていた男。そしてそのパリの灯がふたりの再会を照らす。これはまさしく、38年前もそして今も、確かに呼吸を続けるパリという街の物語だ。
 オリヴェイラ同様、侯孝賢が『赤い風船』とアルベール・ラモリスにオマージュを捧げた映画がこの夏、『赤い風船』と同時に公開される。それがフランス・オルセー美術館の開館20周年事業『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』だ。人形劇師のスザンヌ(ジュリエット・ビノシュ)は7歳の息子・シモンと共に暮らしている。仕事に追われるスザンヌは別れて暮らす夫、部屋を貸している友人のとの関係に悩んでいる。そんな毎日を変えようと、彼女は台湾人のソンを、シモンのベビーシッターに迎える。ソンはシモンと仲良くなり、映画『赤い風船』のことをシモンに話して聞かせる。そしてソンは『赤い風船』の舞台であるこのパリで、シモンを主人公にした映画作りをはじめる・・・。
 『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』公式サイトには、「絵葉書のようなパリ、絵葉書にないパリを心に焼き付ける至福のアニバーサリー・フィルム」とある。パリでは映画が40年、50年の時を超えた。同じことが激変を遂げるアジア、そしてこの停滞気味の日本の都市でも起こりうるだろうか。是非ともジャ・ジャンクーあたりに尋ねてみたいものだ。

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