何がカトリーヌ・ドヌーヴを美しくしたのか
C:昨日は喜びと言ったわ
J:喜びと苦痛だ
トリュフォーの1969年の作品『暗くなるまでこの恋を』のラストシーンでは、見つめ合うジャン=ポール・ベルモンドとカトリーヌ・ドヌーヴの間でこんなセリフが交わされる。見ているのが苦しくなるほどの、ドヌーヴの危険なまでの美貌を適格に表現した名セリフだと思う。1970年前後といえば、20歳代後半のカトリーヌ・ドヌーブが美しさの絶頂にあった時期で、代表作のいくつかがこの時代に生まれている。ルイス・ブニュエルという映画の天才料理人と脚本家ジャン=クロード・カリエールのコンビが『哀しみのトリスターナ』(1970)で、後期のブニュエル作品には欠かせない存在であったフェルナンド・レイを親子ほども年の離れたドヌーブと向かい合わせ、空疎な愛のかたちとして見事に調理したのもこの時代だ。ドヌーヴはこの作品で、病で片足を切断し、養父であり夫でもある男の愛を徹底的に拒む冷徹な女性を演じた。また、マルコ・フェレーリが、やはりカリエールとの共同脚本である『ひきしお』(1971)でドヌーヴに演じさせたのは、首輪を付け、M.マストロヤンニに犬のごとく服従する女の役だった。役に対するこれらカトリーヌ・ドヌーヴの挑戦が、当時のヨーロッパ映画界の可能性を押し広げたことに異論はないだろう。何せこれだけの美人女優が前衛的な映画作家たちと、当時を代表する男優たちとの仕事の中で、汚れた役に挑み続け、結果を残してきたのだから。
そしてこのような、ドヌーヴの「役」というものに対する彼女なりの姿勢と、ヨーロッパ映画界での女優としての座標を決定的なものにしたに違いないのが、ブニュエルとドヌーヴの最初の仕事であった『昼顔』という作品だろう。この作品が生まれた1967年は、トリュフォーの『柔らかい肌』(1964)のニコル役で知られ、前年の1966年には『ロシュフォールの恋人たち』で双子の姉妹役として共演も果たしたカトリーヌ・ドヌーヴの実の姉、フランソワーズ・ドルレアックが交通事故で亡くなった年でもあった。『昼顔』が生まれた1967年とは、ドヌーヴが喪失感から苦痛とも受け取れる美しさをまとい、女優として生きる覚悟を決めた年だったのではないだろうか。
日本では若尾文子がこれより数年先に、『妻は告白する』『清作の妻』など、増村保造とのコンビによる作品の中で果敢に「女」と「生」についての追及をしていた。作品数では及ばないものの、ドヌーヴとブニュエルの映画には、若尾と増村の映画に見られたような観客志向に陥ることのない芸術性を発見することができる。そしてそこから一気に飛躍し、「女」をめぐる僕の映画と時間の旅は、万田邦俊監督の『接吻』へと辿り着く。挑戦的な映画ほど心揺さぶるものはないし、役に挑んでいる女優ほど美しいものもない。まずは今週末公開の『昼顔』と『夜顔』、是非併せてお楽しみいただきたい。
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