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1/8『ヘヴンズ ストーリー』舞台挨拶レポート


1月8日(土)
『ヘヴンズストーリー』の瀬々敬久監督、山崎ハコさん、崔岡萌希さんによる舞台挨拶が行われました。

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1

―まずお一人ずつお言葉を頂きたいと思います。

瀬々監督(以下Z):監督をやりました瀬々です。皆さんお疲れ様でした。もううんざりしてるかもしれないですけれども(笑)。この映画は2008年から約一年半かけて撮影しました。5回に分けて撮影しています。1回は約10日間くらいで、のべ50日くらいで撮影しているんですけれども、一度撮影するごとに編集してそれを見て、次の撮影に活かして作るようにしました。
色々、現状の事件をモチーフにしてますけど、今こういうふうな世の中になっているのはどういう事かなと始めた映画で、その答えは見つからずに作って、それが最終的に見つかったかどうかは自分のなかでもわからないですが、こうやって皆さんと上映に参加して探しているというようなところもあります。
ぜひ見終わって、日常に戻って、またどこかで思い出してもらえればと思います。どうもありがとうございます。

2

崔岡さん(以下T):サト役を演じさせていただきました崔岡萌希です。いかがだったでしょうか。
ひとつでも心に残るシーンがあればいいなって思います。一年半かけて撮影したので、私はこの映画の中で成長しています。それは外見だったり心だったりします。社会の見方や考え方も変えられた作品です。この作品を、一人でも多くの人に観ていただきたいと思っています。もしこの作品を観ていいなと思った方がいらっしゃったら、一人でも多くの人に広めて下さい。よろしくお願いします。

3

山崎さん(以下Y):恭子役をやりました山崎ハコです。35年シンガーソングライターをやっています。初めて歌と関係なく映画をやらせてもらいました。今本当に、やってよかったと思っています。自分の中で記念の作品です。自分の歴史のなかで大きな出来事で、人生観が変わりました。
声をかけてくれたことを監督に本当に感謝しています。この作品がすごく好きで、自分もいるけど、この映画の全部が好きで好きでたまらないです。一生好きだと思います。長い時間ありがとうございました。

4
―ありがとうございます。
いくつか質問させていただきながら話を進めたいと思います。最初に撮ろうと思ったときをふり返って、当時と今とどのような感情の違いがありますか。

Z:そうですね、やっぱりどこか人との繋がりの中で人間て生きているんだろうなとこの映画を作って思い直しました。
いろんな人が絡んで、世の中が動いているっていうこの映画の構造自体が自分達の人生そのものだと改めて思い直すようになりました。一人では人間生きていけないんだなと。

―なんでそんなことを聞きたかったかというと、私自身は、自分の人生の中で映画を観るんだとずっと思ってきたんです。自分の経験値が観た映画の中でどうなるかと考えて観ていたんですけど、『ヘヴンズ ストーリー』に出会ったとき、自分の人生を映画がつくるという感覚に初めて陥りました。自分の中でそういう衝撃を受けた作品だったものですから。

崔岡さんは先程、自分も成長したとおっしゃっていましたが、はじめに脚本を頂いて臨むときの気持ちは相当ハードルが高かったと思います。
サトと一緒にどのように成長していったのですか。

T:最初に台本を頂いて読んだ時は、全く意味がわからなくてどうしようという気持ちでいっぱいだったんですけど、監督とも相談しながら周りの人にもたくさん影響されて。崔岡萌希ちゃんは考えなくても、サトちゃんはこうなんだと思ったので現場では崔岡萌希ちゃんは完全に捨てました。

―-撮影が何段階にも分かれていて、日常に戻るときは大変でしたでしょうね。

T:そうですね、サトちゃんは捨てられなかったです。撮影していた一年半は、ずっとどこかにサトちゃんがいて、勉強していても次のシーンの時はどうしようとかずっと考えていたので、サトちゃんは離れなかったです。

―-今こうやって上映というかたちで、一歩作品が外に届けられているわけですが、こういうときはサトを客観的にどのようにみられているんですか。

T:今の私だったらこのときのサトちゃんは演じられなかったという思いはすごくあります。

―ありがとうございます。
そして山崎ハコさん。インタビューで「『存在がそこにいるだけでいい』と言ってくださったから私はできた」とおっしゃっていましたが、こんなに人の存在というものが映るものなんだなと感じました。
ハコさんからみた恭子像と、自分が完全に同化していた部分があると思うんですが。

Y:たぶん自分が想像して、恭子と自分といいように一緒にしたと思います。
私のなかに恭子がいて、恭子のしぐさとかは普段の私なのかもしませんね。
恭子を「やる」ってことはなくて恭子に「なる」。恭子になれば勝手に恭子が動くはずで、それがおかしかったら監督が違うって言うと思ったら、それがなかったんですよね。「好きに」みたいなかんじだったので、ずーっと恭子でしたね。
双子のお姉ちゃんみたいで「ちょっと病気なんだけど」、「だけどすごい人形つくるんだけど」「だけど病気なんだけど」・・・とかいう。

私は記憶が命だと思っていたんです。子どものころの事を歌えるのもすべて記憶ですから。それが当たり前ではないのだと気づいて、今が一番大事と胸にきっちり刻んだ、そういう意味では人生観が変わりました。
恭子はこの世にいないんだけど、あの顔で歩いてやしないんだけど、だから余計にいとしくて、サトちゃんなんかがか歩いてやしないんだけど可愛くて「つらかったねー」ってそういう気になってしまって。
映画のこの世界が大好きですね。めちゃくちゃ楽しくて、勉強になった映画でした。

―監督、今のお二人のご意見を受けられて。

Z:いや、もう本当に感謝しております。

―作品を繰り返して観た時にひとつ思ったことを質問したいんですが。私の勝手なイメージなんですが人を殺すというのは内向的なものだというかんじがするんですね。家の中や暗がりだったりとか。
それがこの作品を観ていると空に近い、だだっ広いところとか、いくつかの殺人といわれるシーンは解放された世界という気がしてしまって。それは意図されたものなのかお聞きしたいです。

Z:最初のシーンで、幼いサトが赤ん坊を空に掲げているお母さんの銅像に出会うんですが、そのあとミツオも赤ん坊を抱え上げて同じようなポーズをとるわけなんですよね。ミツオは赤ん坊がわんわん泣き叫ぶ生命の力にわけもわからず恐怖を覚えた、逆に小さいサトは命みたいなものを新しい息吹として感じる。

ある人にとっては命は恐いものであるし、ある人にとっては命は素晴らしいものというところがあって、両方だと思うんですよ。裏表というか。そういう意味では、殺人というものを扱っていますが、そういうこととこれから生きるんだぞってことは裏表だという気がしてるんですね。
だから殺人というものが描かれていますけど、もう少し広く考えていきたいなというのが自分のなかにあったんです。それはどうして起こるのか、というところを暗闇に押し込めるのではなくて、もっと広い立場で捉えなおすことで、これから自分達の生きる力になるとどこかで思っていたのでああいうふうになったのだと自分では思っています。

9

ーありがとうございました。

司会進行:シネマテークたかさき支配人・志尾睦子
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瀬々監督、山崎さん、崔岡さんありがとうございました。
皆さんの作品への想いが伝わってくる、素晴らしいお話を伺うことができました。
なお『ヘヴンズストーリー』は第25回高崎映画祭でも4部門の受賞が決定いたしました。皆さんもぜひこの作品の世界をお楽しみ下さい。

1月21日(金)までの上映です!