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1/8『ヘヴンズ ストーリー』舞台挨拶レポート


1月8日(土)
『ヘヴンズストーリー』の瀬々敬久監督、山崎ハコさん、崔岡萌希さんによる舞台挨拶が行われました。

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1

―まずお一人ずつお言葉を頂きたいと思います。

瀬々監督(以下Z):監督をやりました瀬々です。皆さんお疲れ様でした。もううんざりしてるかもしれないですけれども(笑)。この映画は2008年から約一年半かけて撮影しました。5回に分けて撮影しています。1回は約10日間くらいで、のべ50日くらいで撮影しているんですけれども、一度撮影するごとに編集してそれを見て、次の撮影に活かして作るようにしました。
色々、現状の事件をモチーフにしてますけど、今こういうふうな世の中になっているのはどういう事かなと始めた映画で、その答えは見つからずに作って、それが最終的に見つかったかどうかは自分のなかでもわからないですが、こうやって皆さんと上映に参加して探しているというようなところもあります。
ぜひ見終わって、日常に戻って、またどこかで思い出してもらえればと思います。どうもありがとうございます。

2

崔岡さん(以下T):サト役を演じさせていただきました崔岡萌希です。いかがだったでしょうか。
ひとつでも心に残るシーンがあればいいなって思います。一年半かけて撮影したので、私はこの映画の中で成長しています。それは外見だったり心だったりします。社会の見方や考え方も変えられた作品です。この作品を、一人でも多くの人に観ていただきたいと思っています。もしこの作品を観ていいなと思った方がいらっしゃったら、一人でも多くの人に広めて下さい。よろしくお願いします。

3

山崎さん(以下Y):恭子役をやりました山崎ハコです。35年シンガーソングライターをやっています。初めて歌と関係なく映画をやらせてもらいました。今本当に、やってよかったと思っています。自分の中で記念の作品です。自分の歴史のなかで大きな出来事で、人生観が変わりました。
声をかけてくれたことを監督に本当に感謝しています。この作品がすごく好きで、自分もいるけど、この映画の全部が好きで好きでたまらないです。一生好きだと思います。長い時間ありがとうございました。

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―ありがとうございます。
いくつか質問させていただきながら話を進めたいと思います。最初に撮ろうと思ったときをふり返って、当時と今とどのような感情の違いがありますか。

Z:そうですね、やっぱりどこか人との繋がりの中で人間て生きているんだろうなとこの映画を作って思い直しました。
いろんな人が絡んで、世の中が動いているっていうこの映画の構造自体が自分達の人生そのものだと改めて思い直すようになりました。一人では人間生きていけないんだなと。

―なんでそんなことを聞きたかったかというと、私自身は、自分の人生の中で映画を観るんだとずっと思ってきたんです。自分の経験値が観た映画の中でどうなるかと考えて観ていたんですけど、『ヘヴンズ ストーリー』に出会ったとき、自分の人生を映画がつくるという感覚に初めて陥りました。自分の中でそういう衝撃を受けた作品だったものですから。

崔岡さんは先程、自分も成長したとおっしゃっていましたが、はじめに脚本を頂いて臨むときの気持ちは相当ハードルが高かったと思います。
サトと一緒にどのように成長していったのですか。

T:最初に台本を頂いて読んだ時は、全く意味がわからなくてどうしようという気持ちでいっぱいだったんですけど、監督とも相談しながら周りの人にもたくさん影響されて。崔岡萌希ちゃんは考えなくても、サトちゃんはこうなんだと思ったので現場では崔岡萌希ちゃんは完全に捨てました。

―-撮影が何段階にも分かれていて、日常に戻るときは大変でしたでしょうね。

T:そうですね、サトちゃんは捨てられなかったです。撮影していた一年半は、ずっとどこかにサトちゃんがいて、勉強していても次のシーンの時はどうしようとかずっと考えていたので、サトちゃんは離れなかったです。

―-今こうやって上映というかたちで、一歩作品が外に届けられているわけですが、こういうときはサトを客観的にどのようにみられているんですか。

T:今の私だったらこのときのサトちゃんは演じられなかったという思いはすごくあります。

―ありがとうございます。
そして山崎ハコさん。インタビューで「『存在がそこにいるだけでいい』と言ってくださったから私はできた」とおっしゃっていましたが、こんなに人の存在というものが映るものなんだなと感じました。
ハコさんからみた恭子像と、自分が完全に同化していた部分があると思うんですが。

Y:たぶん自分が想像して、恭子と自分といいように一緒にしたと思います。
私のなかに恭子がいて、恭子のしぐさとかは普段の私なのかもしませんね。
恭子を「やる」ってことはなくて恭子に「なる」。恭子になれば勝手に恭子が動くはずで、それがおかしかったら監督が違うって言うと思ったら、それがなかったんですよね。「好きに」みたいなかんじだったので、ずーっと恭子でしたね。
双子のお姉ちゃんみたいで「ちょっと病気なんだけど」、「だけどすごい人形つくるんだけど」「だけど病気なんだけど」・・・とかいう。

私は記憶が命だと思っていたんです。子どものころの事を歌えるのもすべて記憶ですから。それが当たり前ではないのだと気づいて、今が一番大事と胸にきっちり刻んだ、そういう意味では人生観が変わりました。
恭子はこの世にいないんだけど、あの顔で歩いてやしないんだけど、だから余計にいとしくて、サトちゃんなんかがか歩いてやしないんだけど可愛くて「つらかったねー」ってそういう気になってしまって。
映画のこの世界が大好きですね。めちゃくちゃ楽しくて、勉強になった映画でした。

―監督、今のお二人のご意見を受けられて。

Z:いや、もう本当に感謝しております。

―作品を繰り返して観た時にひとつ思ったことを質問したいんですが。私の勝手なイメージなんですが人を殺すというのは内向的なものだというかんじがするんですね。家の中や暗がりだったりとか。
それがこの作品を観ていると空に近い、だだっ広いところとか、いくつかの殺人といわれるシーンは解放された世界という気がしてしまって。それは意図されたものなのかお聞きしたいです。

Z:最初のシーンで、幼いサトが赤ん坊を空に掲げているお母さんの銅像に出会うんですが、そのあとミツオも赤ん坊を抱え上げて同じようなポーズをとるわけなんですよね。ミツオは赤ん坊がわんわん泣き叫ぶ生命の力にわけもわからず恐怖を覚えた、逆に小さいサトは命みたいなものを新しい息吹として感じる。

ある人にとっては命は恐いものであるし、ある人にとっては命は素晴らしいものというところがあって、両方だと思うんですよ。裏表というか。そういう意味では、殺人というものを扱っていますが、そういうこととこれから生きるんだぞってことは裏表だという気がしてるんですね。
だから殺人というものが描かれていますけど、もう少し広く考えていきたいなというのが自分のなかにあったんです。それはどうして起こるのか、というところを暗闇に押し込めるのではなくて、もっと広い立場で捉えなおすことで、これから自分達の生きる力になるとどこかで思っていたのでああいうふうになったのだと自分では思っています。

9

ーありがとうございました。

司会進行:シネマテークたかさき支配人・志尾睦子
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瀬々監督、山崎さん、崔岡さんありがとうございました。
皆さんの作品への想いが伝わってくる、素晴らしいお話を伺うことができました。
なお『ヘヴンズストーリー』は第25回高崎映画祭でも4部門の受賞が決定いたしました。皆さんもぜひこの作品の世界をお楽しみ下さい。

1月21日(金)までの上映です!

11月27日(土)『トルソ』舞台挨拶レポート

11月27日(土)
山崎裕監督と、主演:ヒロコ役の渡辺真起子さんによる舞台挨拶が行われました!
そのときの様子をレポートしたいと思います!

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司会(以下―):山崎監督は日本を代表するカメラマンの一人なんですが、今回は監督ということでお呼び致しました。
『トルソ』の企画の段階から順を追ってお話をお聞きしたいと思います。『トルソ』の企画自体は30年前に浮かんだというエピソードを読んだのですが。

山崎裕監督(以下Y):ちょうど70年代頃にテレビのドキュメンタリーをやっていて、ヨーロッパのコペンハーゲンかハンブルクの取材だったと思うのですが。その頃ヨーロッパは性が解放されている頃で、街にはポルノショップがあったり、映画館ではポルノ映画を上映していたりしていていました。そういった社会情勢みたいなものを取材したときがありまして、そのときポルノショップで見たトルソにすごくショックを受けまして。それを通じてその時代の女性達がセックスについて、男性についてどう捉えているかということで映画が作れるんじゃないかと思ったのがきっかけです。

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―それからの三十数年というと監督ご自身のなかにも色々あったと思いますし、日本自体も色々変わってきたところで、いま、映画をつくろうと思った大きなきっかけというものがあったら教えて頂きたいのですが。

Y:たまたま仕事の関係でその後10年ぐらいロンドンに住んでいました。そのときイギリスで自主映画の人達と一緒に映画を撮ったことがあって。そこの環境でヨーロッパのその頃の女性たちの意識を追ったら、わりと簡単に撮れるなと思って。短編を撮ろうと思って準備はしていたんですが、その後、結果的に実現できなくてそれで日本に戻って来てずっとテレビの仕事をしながらインタビューなどしていて。すぐに映画の世界に入っていかなかったのですが。
是枝監督と一緒に映画をするようになってから何本か映画を続けて撮りました。もともと僕がカメラマンになったきっかけというのも、子供の頃から映画が好きだったので。いつかは僕も映画を作るぞ!という気持ちはあり、いつもそのエピソードを思い出していました。たまたまタナダユキ監督の『俺達に明日はないッス』を一緒に撮影をしまして。とても低予算だったのですが、そのときの身軽に低予算で撮ったという経験のなかで、低予算の映画をフットワークよくつくるという今の日本の状況のなかで、これなら出来るなと思いまして。それで70年代のときの日本の社会状況と変わってきた女性達の姿を観察していると、ふと今回の『トルソ』の姉妹の話を思いつきました。

―聞いたところによると脚本はぱっとすぐに書けてしまうと伺ったのですが、脚本を書いていく段階で主演は渡辺さんにという風に浮かばれたのでしょうか。

Y:渡辺さんとは短編作品『Share』で撮っているということもあって、それ以外にも個人的にいろいろと・・・

渡辺真起子さん(以下W):いろいろって言うと怪しいじゃないですか(笑)

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Y:怪しいことはなくって(笑)いろいろなことを相談したり、話を聞いてもらっている関係で。書いているときに、30代後半で40歳にさしかかる女性を主人公にしようっていうときに、実際に彼女がやってくれるかどうかってことは別にして、頭のなかに渡辺さんを主役でということはありました。『俺達に明日はないッス』の安藤サクラさんとも仕事をしてて、組み合わせとしては面白い姉妹がつくれるかなと書いているときに思いました。実際にやれるかわからないけれど、イメージとしては有力候補でした。

―監督からお話を頂いて、渡辺さんは率直にどう思われたでしょうか。

W:最初、本を読む前に「こんな感じで考えているんだけどどうだろう。」と監督から具体的に話を聞いていて、それで本を読んで、本当に作れるのかなあなんてモタモタ考えていたら「モタモタしてたら作れないぞ!」と言われちゃいまして(笑)上手く巻き込まれたというか(笑)

―山崎さんが監督をされるということに驚きなどはありましたか?

W:それは全然ないですね。もともと交流があったということもあったりして、普段制作の現場以外にお話をさせて頂いたりしていたし。短編の作品の時はカメラを持っていらっしゃいましたけど、監督として思っていましたし。違和感はなかったですね。

―山崎さんが作品を撮るっていうところで、すごく期待が大きくて。あのカメラの方が監督をする、しかも渡辺真起子さんが主演だということで、どんな作品になるのだろうと、正直、すごく期待をしていました。それが本当に期待を上回る作品で、すごく嬉しかったんですけれども。
本作は女性映画だという感じがしまして、こんな風に繊細に撮られるんだという感覚を私は一番初めに思ったのですが。監督のなかで撮り始めるときに一番気をつけようというというところはありましたか?

Y:僕は基本的に女性が大好きですから(笑)日常生活のなかで、女性の不思議な点だとか、素晴らしい点だとか観察していまして。フェミニストを自称していますけれども。いわゆる、男性監督が撮っている女性の描き方は、男性にとっての女性が誇張されていたり、ゆがんだりしている姿が多いと思っていて。また、女性監督が女性を撮っている場合、僕は男性が撮ったものよりも共感する部分が多いのですが。なんだかそれも、女性独特の自虐的な、女性はいじわるであったりというような感じがします。そういう目線ではない、僕なりの感じている女性の素敵さとか面倒くささとかいやらしさとかも含めて、女性そのものをもっと捕まえたいなというつもりでは撮っていました。今回、女性の観察映画という風に言っていますが、そこは気をつけました。誇張はしたくないという。

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―すごく共感する部分というか、こういう感覚があるなというところが非常にあったのですが。渡辺真起子さんがヒロコを演じるときにどんな風な気持ちづくりというか、役づくりと言っていいのかわからないのですが、どのように臨まれたのかお聞きしたいのですが。

W:そうですね。役づくりが自分はいつも上手くできないんですが、自分だけの気持ちをつくるのが難しくて。やっぱり監督と打合せをしていくなかだったり、衣装さんだったりヘアメイクさんだったりが入ってきてだんだん出来て行くような感じですね。山崎監督には「のびのび女の人を観察できればいいんじゃないかなあ。」みたいな感じでと言われまして(笑)やってるときは具体的に演出があったので、それを素直にやってました。あんまり構えないでラフにやってました。

―プレスを読んだ時に、衣装が渡辺さんの自前のお洋服を持ち込んだということが書いてありましたが。

W:でもそんなにいっぱいない(笑)

Y:自前のものもありましたね。衣装合わせの時に参考にして。他に中村さんとか安藤さんとかも自前で持ってきてもらって、衣装さんに持ってきてもらったものと混ぜこぜで使っていました。

W:みんなで、コレいいんじゃないとか言いながら決めました。

―本当に渡辺さんははつらつとした、すごく笑顔の素敵な方だという印象があるのですが。作品だとわりと気持ちを押し込めるという、非常に心の機微を繊細に演じられる方だからそういった役が多くなると思うのですが。今回の『トルソ』は、またちょっと違う印象を受けまして。笑顔があまりないんだけれども、何かこう最初と最後の表情が格段に違うというところで、観ているこっちも一緒に成長できたという感覚があるのですが。渡辺真起子さんはこの作品に参加して、何が残りましたか。

W:撮ってる最中は、山崎さんに振り落とされないように、正直に言えばどっか褒められたいという思いもあるわけじゃないですか。でも山崎さんの先回りをしてドーンと立ちたいくらいの意気込みもあったんですけど、でも人としての経験もまだまだ足りず、必死で付いていって。文句も出たし。「なんだったんだろう!」って自分でも思ったりしたんですけど、少し時間が経ってから、私ではないヒロコさんていう人、確実に私ではないんだけど、一緒に成長したなというか、すこし世界を上手に受け入れられるようになったなということは思いました。『トルソ』のなかの彼女の輝きはそういうところにあったのかなとも思いました。

―時間が足りないくらいいくつもお話を伺いたいシーンがあるんですけれど。ARATAさんが出てこられるシーンは大きなきっかけのある部分なのかなと思うのですが。映画全体で男性の姿を消しているところで、彼が出てきたというところが非常にポイントになっていると感じるのですが、そのあたりの演出についてお話を聞かせてください。

Y:もともと男性をなるべく消すというのは、初めから考えていて。最初ぱっと書けた本というのはほとんど男性なしというもので。それは、ああいうストーリーのなかに男性を描くということはこちらに責任があって。そうするとヒロコとかジロウとかお父さんとかの存在をリアルに描かなければならないという責任があって。その葛藤をドラマにしたいというわけではない。そういうものを背負った女性の生き様みたいなものを、なるべく皆さんの想像でつくってほしいなと思っていました。
ただなんとなく、ヒロコがトルソとか性的なものに入り込んでいるというものではなくて、基本的に生身の男性に対するアンテナを捨ててるわけではないっていう。
参加している脚本の佐藤有記さんとディスカッションしながら、やっぱり生身の男性との接触を映画構成にいれることになり、ARATAくんを起用しました。
だけど、ヒロコはそこで器用な関係性をつくることは出来なくて。すべての男性を否定しているわけではないし、性的な何かにのめり込んでいるマニアックな女性でもないし。普通の女性なんだけどっていうところを感じさせたくてこのシーンをつくりました。

―なんでもARATAさんが提案してきたものをその場で採用したとか。そして真起子さんにはお伝えしなかったとか・・・

W:何それ!?(笑)

Y:(笑) もともと、完成台本を書いているときに佐藤さんとキャッチボールしていたんですけど、ああいったバーでいやらしくなく女性をナンパする術を僕も佐藤さんも知らなくて。いやらしくなく、キザに声をかけるシーンをつくるにはどうしたらいいのかということで。基本的な部分は僕がつくったんですけれど、そこでARATAくんのキャラクター、動物的にギラギラしているわけでもない、端整で美しく嫌味の無い魅力的な男性というキャラクターで、最後の最後に二人がふっと接触するきっかけを台本上では書かないから考えてきてくれ、宿題にする。というふうに言いまして(笑)そしたら彼が実体験で、何年か前に失神して助けられたことがあると言ってまして。その後どうなったかは僕は知りませんが(笑)
そういったきっかけで二人が接触できる経験があったからそれをやっていいですかって言って。じゃあ内緒でやろうかって言って(笑)驚かせてやろうって(笑)それで他の人には一切言わず、エキストラで来ている騒がしい人達にも何も言わず、確かマスターも知らなかったかな。

W:すっごい驚きましたよ!あの人どうしちゃったんだろうって(笑)しばし静かな緊張感のなか撮影が続いていたんで、破壊したわけですよARATAさんが、ばーんと。普通に素でみんな「大丈夫?」って(笑)カメラが回ってるとかどうでもいいくらい大丈夫ですかってなって。あまりにも最初、救急車を呼ばれそうな倒れ方をしたんで、次は抑えてもらって(笑)

Y:2回やりました。倒れる瞬間は最初のを使って、起き上がるところは2回目を使いました。

W:勇気のいることだと思うんですよ、それを俳優がやるのっていうのは。あのー・・・、変な言い方をすればハズしちゃえば手が読まれてしまってアレ?ってなってしまうと思うんですよ。その勇気もすべてむきだしの役者さんです。

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Y:僕はドキュメンタリーもやってるし、是枝監督の『DISTANCE/ディスタンス』のときARATAくんとか他の役者さんが勝手気ままに動き回るのを撮るっていうのもやってきたし、河瀬監督もそういうところがあったから、そういう雰囲気には僕は慣れていたし。面白そうなのがあったら撮って、「今のいただき!」みたいな(笑)

W:で、そういうことがあって、私は何も知らないからいいやと思ってそのまま任せてみて、あるときふとカットがかかって「ああ、そういうことだったんだ!」ってわかったんです。

―楽しいお話がたくさんして頂いているのですが、時間となりましたので最後に一言ずつお願いしたいと思います。

Y:本日、お集まり頂いてありがとうございます。お友達、ご家族、ご親戚にお声をかけて頂いて、一人でも多くのお客様と物語を共有できたらこの夏の私が救われます(笑)女性という生き方というか、人としての生き方がすこしでも豊かになればいいなあと思います。どうもありがとうございました。

W:右に同じくというか(笑)2週間で多くの人に観ていただけたら嬉しいと思います。よろしくお願い致します。

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山崎監督、渡辺さん、
貴重なお話を聞かせて頂きどうもありがとうございました!

『トルソ』は12月10日(金)までの上映です!
皆さまのご来場お待ちしております!

10月3日 『ビューティフル アイランズ』舞台挨拶レポート

10月3日(日)

16:00の回に
『ビューティフル アイランズ』海南友子(かな ともこ)監督
による舞台挨拶が行われました。
今回はこの舞台挨拶の模様をお伝えします。

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司会(以下S):本日は海南友子監督にお越しいただきました。

:海南監督登場

海南監督(以下K):皆さんこんにちは。今日は何本もあるうちの映画から私の映画を選んで観ていただいてありがとうございます。

S:本日は質疑応答の時間もできたらもちたいなと思いますので、何を聞こうかなと思いながらお時間過ごしていただけたらと思います。
 まずは私からの質疑応答に応えていただく形で進めていきたいと思います。

まず最初にどこでも聞かれることだとは思うんですけれども、本当の最初にこの作品を撮ろうと思ったきっかけと、3つの島(ツバル・ヴェネツィア・シシマレフ)を取り上げることのどこにポイントを置いて作ろうと思われたのでしょうか?

K:もともと最初にこういうものを作ろうと思ったのは2002年、8年前の事なんですけれども。

南米のチリ、今鉱山の地下に人が埋まってしまっていて大変なところですよね。そのチリの下の方のパタゴニアという地域にテレビのロケで行っていて、氷河トレッキングの取材だったんですね。で、氷河の撮影が終ってパッと振り返ったら自分の立っていた場所の一角が、サーッと音がして8階建てのビルくらいの高さの氷河が全部無くなったんです、一瞬で。

もちろんそういう映像って皆さんもご覧になったことがあると思うんですけど、私もそうでした。だけど、初めてこう自分の立っている足元と繋がっている場所が無くなるという感覚を初めて味わいまして、凄く恐かったんですね。

で、恐かったのと同時に、その地域にも勿論普通に生活している人もたくさんいらっしゃるので、これたまたま今は、日本から遠く離れた南米の南極の近くのことですが、いつか形をかえて自分のまちにも同じことが起こるんじゃないかという風に、その時強く思ったのが始まりで、それで次に企画ができるときがあったら、気候変動、地球温暖化といった方がわかりやすいかも知れませんが、気候変動の影響を撮ろうと思いました。

それから本当にプロジェクトを始めたのが2006年で、4年くらい経ってるんですけれども、色々考えていく中でやっぱり影響が凄く強く出てるところを考えていくと、やっぱり島の方が良いんじゃないかなという風に思っていて、それで島を撮ることに決めました。

最初はツバルを撮ろうと思っていたんです。ツバルがその時は今ほど有名じゃなかったんですけれども、地理的にも。世界で最初に無くなる国と言われています。日本も島国ですから島がたくさんありますけど、ツバルで起きていることは日本ですと淡路島だとか、沖縄がなくなるという事ではなくて、国全体が消えるって言う状況なんです。ツバルは国連の籍も持っていますから。なのでそこは絶対に撮ろうと思ってツバルに決めました。

それで、ツバルだけでも十分に作品が作れるなと思ったんですけども、もしツバルだけで作品を作ってしまうと、皆さんも名前くらいは聞いたことがあると思うんですが場所が正確にどこにあるかわかる人はほとんどいないと思うんですね。で、場所も定かではない小さな島の国があってもなくても、世界の大半の方にとってみると、まぁかわいそうだけど関係ない、っていう風に思われるんじゃないかなぁと思って、そうしないためにはどうしようっていう事を考えていく中で、なるべく大陸を分けまして、人種も少しずつ変えて、暑い島、寒い島、華やかな島という感じでこの三つの島に辿りついたという感じです。

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S:その時他に候補として考えられた地域は例えばどこかありましたか?

K:バングラディッシュとか、南アジアの辺りとかも検討しましたし、もっと北米もう少し他のところは無いかと色々考えたんですけど、でもヴェネツィアは途中からどうしても入れようと。やっぱりもしツバルとアラスカだけだとやっぱり暑い中と寒い中って感じだと思うんですね。でもヴェネツィアが入ることで、都会の生活っていうか、それがちゃんとバランスとして入るし、本当に全体の事を考えて今の三つという感じです。

実はツバルに行くまで私もツバルのことはあんまりちゃんと知らなくて、なんか沈んでしまうかわいそうな国ってくらいにしか思ってなくて出かけたんです。それで行ってみたら実は片道、日本からだと3日かかります。週に二便しか飛行機が無いので、ちょっと機材トラブルがあるとすぐフィジーとかで乗り換えるときに足止めを食らってプラス4日とかで片道一週間とかかかるところなんですけれど、なのでちょっと遠いところなんですよね。距離じゃなく、アクセスが悪くて。

そうするとアクセスが悪い分だけ、リゾート開発とかがされてないので、本当に美しい海。それから、テレビも新聞も無いですし、インターネットと電話はあるんですけど、あんまり通じないですね。ほとんど通じない。政府の方とかは使えますけど、一般人はほとんど使えないですね。

それでそういうところに行ってみたら、なんか物凄いいいところで。さらにそういう電気的な通信手段が無いと、人間て当たり前だけど、こう寄り添って一緒に働いたり、歌ったり踊ったりして何か絆が凄く美しいなぁって思い始めて、何か私この島が凄く好きになったなぁって、リサーチで行って思ったんですね。

なので被害を訴えるような作品じゃなくて、この島の本当に素敵なところをたっぷり感じてもらえるような作品にしたいなぁってツバルにいて私は思い始めて。そうすることで恐らく50年後に見ると今映っているものはほぼ全部消えている、ヴェネツィアとかは少し残っているかもしれませんけど、大半のものは消えている可能性が高いので、そういう、こう失われ行くものみたいな物をきちんと見つめよう、それから私達がこれから何を殺そうとしているのか、という事をちゃんと受け止められるようなそういう作品になったらいいなぁって信じてやってきたという感じです。

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S:今日お入りいただくときに、お客様のお手元に監督からのメッセージが、もうお読みに待ってる方も多いと思うんですが、こちらにも世界を3周でしたっけ、書いてあると思うんです。
さっきもツバルに行くのに一週間かかったとおっしゃられてましたし、1回につきどれくらいの期間その島には行ってらっしゃったのですか?

K:だいたい各島にそれぞれ3回か4回行ってまして、本当に3年かけて世界を3周、本当に3周じゃないんですが、行って帰って行って帰ってを繰り返していたので結構長い時間。

いちばん長いと、ツバルは・・・、でもトータルで4ヶ月くらいだったと思います。で、アラスカは3回行ったんですけど、日にちをつめてしまうと2ヶ月くらいかも知れませんね。ヴェネツィアも4回事情があって行きました。

で実はヴェネツィアの水没のパートは撮るのがいちばん大変だったんですね。ヴェネツィアは多いと年間80回くらい水没するんです。特に冬場11月12月のこれからの一月間くらいが時期で。映像に映ってるほど大掛かりな水没はその中でも数回なんですが、本当に5センチとか10センチくらいの水没は凄い日常的に冬場はあるんですね。なんですが、台風と一緒でいつ起こりますよというのがハッキリしてないんですね。

なのでイタリアに住めば撮れますけど、日本からロケで、ロケってやっぱり最低でも1ヶ月くらい前から全部準備をしていますので、無理ですっていう事で、あきらめてたんです。その代わりに資料映像を買って、水没のニュースの。それでちょっとくやしいなぁと思っていたら、たまたま日本でニュースを見てたら、「ヴェネツィアが今日水没しました。」ってニュースをお昼テレビでやっていたのを見まして、そのまま家を出て、そのまま旅行会社に行って、そのまま成田空港に行って、ヴェネツィアまで行きました。

クルーは全然間に合わないので、ありとあらゆる人を使って、イタリアでイタリア人のカメラマンを着いてすぐおさえて、それから本当に寝ないで10日間朝も昼も。潮の満ち引きなので、夜中に潮がいっぱいになったり、昼にきたりとか、毎日ちょっとずつずれていくので、それも全部押さえようと思って、まぁ一生懸命撮って。

でちょっと変わった撮り方なので、なかなかイタリア人のカメラマンに撮り方、つまりカメラをセットして動かしたくないんだとか、それをなかなか伝えるのが難しくて。本当はもっといろんな面白いシーンがイタリアのパートも取れているんですけど、全体の雰囲気を壊したくないので、最低限使えるカットを水没パートは使って、ちょっとそれは残念は残念なんですけど、やっぱり作品のトーンを。ニュースみたいにガチャガチャガチャっとしてるところとか。それは凄い大変だったところでしょうか。なのでイタリアも全部で4ヶ月・・・も行ってないかな、4ヶ月近く行ってました。

S:そのアラスカは先ほど2ヶ月くらいとおっしゃっていたんですけども、あそこも多分相当行くのが大変なところなんじゃないかなぁと思いますが。シシマレフと決める前に行ったことは無いんですよね?

K:無いですね。

ちなみに写真家の星野道夫さんという、アラスカの写真の専門の方、もう残念ながら亡くなっていますけど、彼が初めて行ったアラスカの島があの島で。でそこでアラスカが本当に好きになったので、写真家になりたかった訳ではなくて、アラスカと付き合うために、写真の仕事を選んだそうなんですね。それであの島だったんですが、私も実は全然不勉強で、そのことも行ってから、地元のの人から「ミチオを知ってるか」と凄く聞かれて、ミチオって誰だろうって思ってたら「あ、星野道夫さんだ」って後からわかって、そんなでも現地の方からとっても何ていうか受け入れていただける温かさというか、星野さんの事とかもあって、温かく接していただいたんですね。

ただロケの関係としては結構厳しくて、日本から7回乗り換えて、島に行きまして、最後の飛行機は日本から買えない飛行機なんですね。なのでそういう事で行きましたし、ツバルは小さいと言っても1万人住んでいる国ですが、なのでホテルとかも1個だけあるんですが、シシマレフは600人しかいない本当に離島なので、ホテルもレストランもカフェも1個も無くて、なので小学校の教室を借りて、毎日そこで寝袋で雑魚寝しながら撮って。それで廃校の小学校じゃないので、朝8時になると子供たちが通学してきちゃうんですね。なので毎日機材とかを全部撤収して、夜また泊めてもらうっていう感じで。

さらには作品そのものを作っていくプロセス自体もとても大変だけど楽しいっていうか、そんな感じでした。

S:そこで一緒に生活をされて、現地の人達との交流もあって、この作品で結びついているんだなぁって凄く感じられる気がしました。

私ばかり喋っているのもあれなので、何か聞きたいことや質問をぜひお受けしたいと思います。

お客様からの質問:素晴らしい作品ありがとうございました。
この作品のエグゼクティブ・プロデューサーを務めている是枝(これえだ)監督とは大学時代に出会いがあったということなんですけど、出会いのエピソードについてお聞きしたいのと、監督の学生時代どういう学生さんだったのか教えて下さい。

K:是枝さんとは本当もう20年くらいの付き合いで、私は大学1年生のときに初めてお会いして、年が9歳違うので、彼はまだ映画を作る前で、テレビのディレクターをしていて、それも別に無名の普通の制作会社のディレクターで。それでたまたま彼のテレビのドキュメンタリーの出演者として私がでる機会があって、そこで初めてドキュメンタリーという仕事を間近で見ました。

それで、もともと新聞記者とかにちょっとなりたかったので、社会的なテーマは凄い大好きだったんですが、初めてその映像手段、映像表現という手段があるんだってことを間近で知って。なので、彼と出会ったことがきっかけで、まぁ大学を出てからNHKという会社で私もディレクターをしていたんですけど、そういう面ではドキュメンタリー手段というか、それを本当に色々教えてくれた、お兄さんのような、恩師のような、そういう存在ですね。

それで今回ちょっとプロジェクトが大きかったので、まぁ始まりにも相談して、名前もちゃんと出して、今までもまぁ、全ての番組も、あの作品も見てもらってはいるんですけれども、ちゃんと正式に名前を出して入ってもらえないかというときに、「あぁ、ぜんぜんいいよ。」という感じで、気軽に良くしてくれて、見てもらって、感謝してます。

それで学生の時の私は、ほとんど今と変わってなくてですね、さっきもあのニュース見たままヴェネツィアに行けるようなそういう学生だったので。大学も実は行ってたんですけど、ほとんど通ってなくて、最低限しか行かずに、女子大なんですが、実は留年もしていまして。でもその代わり、アルバイトをたくさんして、行きたい場所に行こうという風な学生のときの自分で、なので南米とかあちこちの外国にも相当一人で行きましたし、で、行った先でも観光地じゃなくて、色んなテーマをその時々で持って、こういう事が今回は経験したいと思ったら、そこで思いっきりやるという感じなので、今の自分と、当時の自分ってほとんどベースは変わってなくて。(笑い)

普通こういうロードショーで公開される映画を作る場合、映画の会社さんとかがたくさん入ったり、企業さんを集めてメンバーを作るんですけど、撮影はほとんど私一人で、プロデューサーも監督もやってですね。
だからできないって思うことが一番の障害だと思うので、こういう作品を作りたいと思ったら、どうしたらできるかっていうのを考えてやり遂げるっていうか、そういうところは学生の時の自分と同じだなぁって、そう振り返ると、思います。

3

S:それではそろそろ時間も迫ってきましたので、最後に監督の思いの丈を皆さんにお伝えていただけたらなぁ、と思います。

K:本当にお忙しい中、色んな情報、色んな選択肢がある中で、私の一本の作品の為に2時間の時間を頂き、本当にありがとうございます。

一応アメリカでもロードショー公開をしまして、韓国でもこれからやる予定です。日本人の為だけに作ったわけではなく、世界の人に一緒に感じてもらう、そういうつもりで作りました。是非きらいのない感想、あとで一声かけていただけたら凄く嬉しいです。(10月)16日までという事で、ぜひお近くの方に、ちょっとでもいいと思ったら、お声かけていただけたら、凄く嬉しいです。

どうも今日はありがとうございました。

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7月17日『ユリ子のアロマ』舞台挨拶レポート

こちらも遅くなってしまいました。

7月17日(土)に行われた『ユリ子のアロマ』、吉田監督の舞台挨拶の模様をお届けいたします。

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7月17日(土)
20:35の回のに
『ユリ子のアロマ』吉田浩太監督による
舞台挨拶が行われました。

1

司会(以下S):『ユリ子のアロマ』についてゆっくりお話を伺っていこうと思います。吉田浩太監督どうぞ。

吉田監督(以下Y):観て下さってありがとうございます。いかがでしたでしょうか?

S:私の方でいくつかご質問させて頂きながら、進めさせていただきたいと思います。まずこの作品の構想、企画の時期から撮り始めるまでのお話しをお聞かせいただけますか?

Y:企画自体は僕が以前撮った作品の『お姉ちゃん、弟といく』の評判が良くて、これも江口のりこさんが主演なんですけれども。それを、今回の作品のプロデューサーさんが気に入ってくれていて、『お姉ちゃん、弟といく』は自主映画に近いかたちだったので、そこに。。。。。という所から企画というのが始まっていきました。

S:そうすると江口のりこさん在りきというところで始まったのでしょうか?

Y:そうです。

S:では、題材というかモチーフみたいのはどこから浮かんできたのでしょうか?

Y:僕はずっと剣道をやっていて、この物語にも出てくる徹也も剣道をやっているのですが、僕のなかで剣道の籠手の匂いには、すごくコンプレックスとしてあったんです。その匂いをどっかで肯定されたいという気持ちがあって、その匂いに年上の女性がハマっていってくれたら嬉しという気持ちがあったんだと思います。

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S:実際にお友達にフェチの方が居たというわけではないんでしょうか?

Y:空想なんです。ファンタジーですね。

S:ファンタジーといっても、そこから物語が広がっていく訳なんですけれども、物語の最終形というか結着点を、どこにしようと最初は考えていたのでしょうか?

Y:僕は『ユリ子のアロマ』を撮る前に、大きな病気をしたんですけれども、その時、感じたものに嫌味じゃなく最終的に辿り着きたいと思っていました。っというのは、病気をすることによって身ぐるみを剥がされてしまう感覚というか、自分は素のものでしかないなという感覚になった時があったんですよね。その感じをユリ子が持っている変態性みたいなものを肯定するというのは、かっこよすぎるかもしれないんですけれども、そういうところに辿り着きたいという気持ちはありました。

S:人間の持っている本能というか、どうしても抗えないもの、自分では如何しようも出来ないものに対して、前作も今作もモチーフになっていたと思うのですが、それは何故でしょうか?

Y:僕自身は、そんなに変態ではないと思うのです。多分、変態への憧れだと思うんです。

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S:江口のりこさんをはじめとして特異なキャラクターを作り出す人選がかなり重要だったと思うのですが、前作も含めて江口のりこさんを選んだ理由をお聞かせ下さい。

Y:江口さんは言われたらそれをスッとやってしまう方なんですね。そこが、恐らく良いところだと思っていて、っというのは、ユリ子はヤバイ奴だと思うんです。普通いないっていうか。ここに対して「私は役者としてこうなんだ」っと言ってしまうと、ダメになってしまうと思ったんです。そこを、江口さんというのは、スッとやってしまうんです。そこの、軽さみたいなところが、僕の考えているキャラクターと江口さんの魅力が組合さって、一つのものになるという気がしています。それは、前作でも感じていた事なので、『ユリ子のアロマ』でももうちょっとやりたいなと思いました。

S:撮影をしていく中で、考えているシーンと江口さんが演じて変わったところ、演出など加えて変えていこうとしたところは、あったのでしょうか?

Y:『ユリ子のアロマ』に関しては、本を書いている時点で江口さんに決めていた。現場では「これ以上の事をやって下さい」と言うことはありました。頭を舐めるシーンとかは、「マズイだろうな」と思いながら、江口さんなら大丈夫だと。

S:徹也役に染谷将太くんを選んだ理由をお聞かせ下さい。

Y:彼の事は前々から知っていて、彼はテレビドラマ的なイケメンではなくて、映画的なイケメンだと思っていたんです。映画的に映る俳優さんだと。そこが、凄く良いなと。

S:美保純さんの存在も気になりました。不思議な人達の中で、一般論的にはまともな事を言う人物だったと思うのですが、選んだ理由や演出、どんなキャラクターにしたいと思っていたのでしょうか?

Y:僕が昔からファンだったのがいちばんの理由なんですけりども、美保さんに関しては、客観的な立場ではあるんだけれども、持っている変態性みたいなものを自分で出さない様にしているだけだ、と云うのは話しました。

S:『ユリ子のアロマ』全体で最初描こうと思っていた事が、完成になって大きく変わったところなどあったのでしょうか?

Y:少し質問と違うかもしれないんですけど、脚本を書いた時点では、タイトルが『泥花(ドロバナ)』というタイトルを付けたんですね。汚いものと綺麗なものがミックスされた作品をやりたかったんです。作品全体としては、ユリ子という綺麗な世界に住んでいる人が、徹也の汚い世界に出会って、何かしらの綺麗なものと汚いもが、融合した作品を目指していました。最終的には、アロマというものが少し強くなった気がします。

S:では、アロマをキーワードにしたのはなぜだったのでしょうか?

Y:匂いに敏感な人ということで選んだのもあるんですが、アロマが匂いを出すもの全てに対しての興味を示せるのだと思ったからです。

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S:今後はどんな作品を撮ろうと考えているのでしょうか?

Y:『ユリ子のアロマ』でもあった様に「誰だっておかしいところが有るじゃない」って言っているように、僕はそういう方向でやりたいと思っているので、そこを、もう少し広げた作品を撮りたいと思います。

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『SRサイタマノラッパー』1・2 舞台挨拶レポート

9月になってしまいました。

2か月経過してしまいましたが、7月17日に行われた『SRサイタマノラッパー』と、7月24日に行われた『SR2サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』の舞台挨拶レポートを続けてご紹介いたします。ファンの皆さま、遅くなってしまい申し訳ありません!!

まずは『SRサイタマノラッパー』から。

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7月17日(土)11時の回に
『SRサイタマノラッパー』にご出演の、駒木根隆介(IKKU役)さん、水澤紳吾(TOM役)さん、奥野瑛太(MIGHTY役)さん、上鈴木伯周(TKD先輩役)さん、TECさん(釣りラッパー役)そして音楽監督の岩崎太整さんによる舞台挨拶が行われました。

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Sr5

―作品について伺っていきたいと思います。
いつ始めて、どんな話からこの映画に出演することになったのでしょうか。

IKKU:僕は入江監督からお電話を頂きまして「ラップものの映画をやろうと思ってるんだけど、ラップって歌える?」と聞かれまして、「あぁ歌えますよ、まかしといてください」っていうかたちで始めたんですけど、電話を切ってからさてどうしたものかと(笑)。
それで色々と参考の資料やDVDを頂いて練習をしていく中でTOMさんとかタケダ先輩に出会って・・・最初はどうなることかと思ったんですよね!

Ikku

TOM:ラップ・・・僕は最初からちょっとやばいですよと言ってたんですよ。入江監督と、トンカツ屋で。大変皆さんにはご迷惑をおかけしたと思います(笑)、見てのとおり。・・・今日はどうもありがとうございます。

TKD:拍手もらおうとして!!

MIGHTY:僕はIKKUと同じ劇団の後輩にあたるんです。

IKKU:後輩なんですけどいつも呼び捨てなんです。

MIGHTY:入江さん(監督)から駒木根さんに一人メンバーが足りないという話があって、最初は違う役でって言われてまして、それからMIGHTYがいないということでやらせていただきました。

TOM:僕が紹介したんですけど、呼び捨てなんです。

MIGHTY:あまりいい先輩ではないですから(笑)。

TKD:僕は入江監督と(音楽監督の)岩崎と日大の映画学科で一緒で。僕は一応アマチュアでラップバンドをやってまして、ラップを作ってたので。最初岩崎のほうに映画の音楽やらないって話が来た流れで、ラップを作ってと言われて作りました。あとは見ての通り自主制作映画なので、現場でマイク持たされたり裏方は一通りやりました。あとラップを教えてたんですけど・・・TOMさんは疲れてくると正座で寝だして、おじぎしながらラップをするというステキなシーンもありました。

岩:僕は07年のゴールデンウィークにいきなり監督の入江からシナリオ合宿をしたいという話をもらって、僕の家を開放して一週間泊り込みでシナリオ合宿をしたんです。出来たのは全然関係ない話だったんですけど、うまくいかなくてダメだったねっていう話しになって、その後合宿が終ってしばらくしていきなり駒木根から写真が送られてきました。その写真を見て、「こいつをラッパーでやりたい」とわけのわからない事を言われて、その後2007年の9月か10月に「サイタマノラッパー」という映画を撮りたいということになりまして、その年の冬に撮影を始めました。

―皆さんがこの映画のストーリーを読んだところで、これをどういう映画にしていこうとか、ここが一番よかったということがあったかと思うんですが、そういった部分をお聞かせ下さい。

IKKU:僕は実は東京出身なんです。・・・(ここでSHO-GUNGメンバーのTECさんが到着)

TECさん:釣りラッパーのTECです、どうも。すみません遅刻しました!

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IKKU:IKKUというキャラクターを地方だとか東京というのに関わらず、普通の若者というか等身大でリアルにやろうと心掛けました。

TOM:TOMといのはラップが苦手ということもあり、ラップよりも仲間といる時間を大事にするキャラクターで作っていこうと思いました。

MIGHTY:MIGHTYは漠然とカッコイイものだったりとか、自分の職業に対して持ってるイメージだったりというものにすぐにくっついていってしまう人で・・・僕自身北海道出身で現在東京で役者をやっているという時点で似ているところがあると思います。漠然としたイメージを持ちながらくすぶっている若者みたいなところを印象付けました。

TKD:僕は作っている最中はこんな青春ものになるなんて思ってなくて、ある意味ダサいラップを作ってやらせていて、笑える映画なんだろうなと思っていたんです。ラストシーンのラップとかもあんなに熱くなると思ってなくて、できあがったあとびっくりしてそいうのをまとめられる監督ってやっぱすげえなと思いました。

岩:僕はSHO-GUNGが作りそうなある意味つたない、地方で手の届く範囲でできそうな音楽を意識してつくりました。

―最後に一言ずつお願いします。

IKKU:1年以上こうやって映画館で上映してもらえて、こんなにしあわせな作品に関わらせていただいてほんとに嬉しく思います。ぜひよかったら宣伝などをご協力いただければと思います。ありがとうございました。

TEC:2を観た時1以上に感動しました。1の気まずさ・ダメさみたいなものも2で女子になっていっそう増してると思いますので2を楽しみにしてください。よろしくお願いします。

TOM:入江監督も言っていたんですけど、半径1mから届ける想いっていうので1の場合は最後しめられているんですけど、実際皆さんに観ていただいて、口コミで広がってっていう、想いが広がるというのを体験させていただいた宝物みたいな映画です。批判でもなんでもいいんで意見を誰かに伝えてもらえたらと思います。どうもありがとうございました。

MIGHTY:高崎に来たのは今日で2回目なんですが、こうやってまたここに来れたことが嬉しくて。2もぜひ楽しみに観ていってください。今日はほんとにありがとうございました。

TKD:映画館で映画を観ることっていいなって僕もこの映画に携わってかん感じました。映画館で体験するってことを広めていけたら嬉しいと思います。

岩:この映画が劇場で上映されるのは最後だと思います。もしなにか心に響くようなことがあれば広めていただければ、僕らとしても嬉しいです。今日韓国にいて来られなかった監督の入江もまったく同じ気持ちだと思います。2ともどもよろしくお願いします。ありがとうございました。

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続いて、『SR2サイタマノラッパー2』です。

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『SR2サイタマノラッパー2』
7月24日(土)18時の回終了後に、本作品出演の桜井ふみさん(マミー役)、増田久美子さん(ビヨンセ役)、加藤真弓さん(クドー役)、水澤紳吾さん(TOM役)をお迎えして舞台挨拶がおこなわれました。
外は激しい豪雨の中、負けないくらいのパワーを持った出演者の方々の舞台挨拶の様子を紹介いたします!

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ゲスト一同:一人ずつラップにて自己紹介、登場。

司会:以前にラップというものを「ちょっとかじってたよ」という方はいらしゃいますか?

ゲスト一同:・・・(笑)。

司会:いらっしゃらないみたいですね。(会場に向けて)ではみなさん、『SR』も観たという方いらっしゃいますか?

観客:はーい!(多数挙手)

司会&ゲスト一同:ありがとうございます!

司会:では『SR』、『SR2』ともにご出演なさったTOMさんに、まずお伺いしたいと思います。『SR』と『SR2』に出演して、ストーリーテラーという位置付けを演じられて、前回と変わるところというか『SR2』に臨むときの気持ちというものはありましたか?

TOMさん(以下T):はい。『SR』の舞台挨拶等で1年くらいメンバーと回ったりしていたので、その地続きのままできていて、若干(2の)シナリオの部分でもそのテンションを地続きのままきていたという感じです。でも『SR2』でIKKUさんが脇役ということもあって、『SR』のテイストをTOMが残してたいなと思ったてたんですけど・・・どうでしょう?

司会:私はこの機会に『SR』と『SR2』を続けて観直してみて、IKKUとTOMがすごく成長していてグッときてしまったのですが。『SR』からのシリーズというのではなく、「第2弾」という感じの成長、前進していると感じました。

では、続いてマミー役の桜井さんにお伺います。まず、この作品に関わる最初のきっかけみたいなものを教えてください。

桜井さん(以下M):私はもともと入江監督と舞台でご一緒させていただいていて、『SR』を深谷(深谷シネマ)へ観に行ったのですが、えらく感動しまして。「面白かったです!」と素直に入江監督に伝えたところ、「今度ラップの練習するけど来る?」と誘われて行ったのがきっかけです。それが始まりでサラリとした感じでした。

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司会:ではそこでラップの練習を始めて、役柄が決まったという感じですか?

M:(その練習が)なんかオーディションだったみたいです。

司会:なるほど。ではマミー役が決まったときに、どういう人物像にしたいと思いましたか?

M:甘ったれの、フラフラしたどっちつかずの奴にしてやろうと思ってて。

司会:非常に女の子の良いところと悪いところがすごくでている、豊かなキャラクターだったと思います。

ではビヨンセさんに伺いたいと思います。まず不思議だなと思ったのが「何故ビヨンセというキャラクターができたのかな」というのがひとつあって、またご自身は「ラッパーの中のビヨンセだよ。」って言われたときはどういう印象だったんですか。

増田さん(以下B):誘っていただいたときはすごくうれしかったです。でも、自分で思う限りでは自分にすごく近くない役だなと思って。他の人(出演者)は普段話してても「あ、マミーっぽいとこあるな。」とか「クドーっぽいとこあるな。」とかわかるんですけど・・・。それは自分の感覚だから、周りから見たら、どう思うか分からないんですけど・・・。あと、気づかれないことが多いですね、友達とかが観にきても。だからすごく意外だなと思いましたけど、でも嬉しかったですね。

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司会:映画の中でビヨンセの役割というか、こんなふうになったらいなって思って演じられている部分が多分あるんだろうな、って思って観てたんですけどそんなところはポイントとしてありますか。

B:そうですね。撮影の前は本当にラップの練習しかしていなくて、私はそれまでずっと舞台で芝居をしていたんですけど、撮影に入るまで芝居の稽古をしていないのがすごく不安で「どうしようかな。」と悩んでたんですが、撮影に入ると、期間中は合宿だったのでB-HACKのみんなとか女子が大部屋だったのでその雰囲気とかでだんだん不安が「なるようになるかな。」って、気楽にできたのが良かったんじゃないかなと思います。

司会:本当に和気藹々とした感じが作品から出てるな、っていうのが見て取れました。

では、加藤さんにお伺いします。先ほどのボイスパーカションはすごいですね。あれは今回の映画のために練習したのですか?

加藤さん(以下K)いや、すごいへたくそですよ(苦笑)。私、今22才なんですけど、小・中学校の頃「ハモネプ」ってはやってたんですよ。アカペラで(ハモリを)やるっていう。それで中学1年の時に友達と遊びでやっていて、私がボイスパーカッション担当だったんですよ。それがきっかけです。MIGHTYに比べたらヘタクソすぎちゃって、MIGHTYがどんどんうまくなっていたので精進しようかな、と思ってます。

K:アレンジがね、すごいよね。

司会:私も一度深谷(深谷シネマ)で皆さんにお会いしておりまして、みなさん普通に、すごく楽しんで映画の宣伝活動をしていたのが印象的だったんですけど、走り屋クドーさんにとっての『SR2』とはどんな作品ですか?

K:え!?でかいですね、質問が。
私は『SR』を観て面白いと思ってて。もともと入江監督とは友達でもないし知り合いでもなかったんで・・・でも、「次は女子ラッパー」だと聞いてやりたいと思って。『SR』でTOMさんたちが積み上げてきたものがあるんで、それを継承したいという気持ちがみんなの中にあると思って。そういうのは多分、みんな全員の中にあるんじゃないんですかね。

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司会:今回『SR2』の中のキャラクターが、すごくわかりやすいキャラクター立てをしていると思うんですけど。私は群馬(在住)なので「コンニャク屋の娘」だとか「走り屋」とイメージ湧くんですが、みなさんはその第一印象とかはどうでしたか?

K:私は彼女(B)みたいにヅラを被ったりとかはなかったので、入江(監督)さんにお任せするかんじでした。あ、でも参考に「イニシャルD」とか読みました。読んで「こんな感じかな」と。

司会:もっと皆さんにいろいろとお聞きしたいのですが、時間が過ぎてしまいましたので、最後に会場のみなさんにお一人ずつご挨拶いただきたいと思います。

T:今日はどうもありがとうございました。ちょっと夕立で雨になっちゃいましたが、まだ(会場の)外にいるので声掛けてください。それとサントラが物販にあるんですけど、今日は(映画の中の)TKD先輩の実の双子のお兄さんが(会場の後方)来ていて、ラップの指導をしてくれた方なんですが、そのサントラも違った楽しみ方も出来るので是非聞いてみてください。よろしくお願いします!今日は本当にありがとうございました!!

M:今日はありがとうございます。こんなきれいな映画館で上映してもらってうれしいです。外は雨なので、雨宿りで是非お話していってください。今日はありがとうございました!!

B:先ほどはグダグダなラップで申し訳ありません。本当にラップ好きの方には申し訳ないなと思うぐらい、これからもラップを学んでいきたいな、と映画と共に。それとこの映画の舞台の群馬県に来れて本当にうれしいです。ありがとうございます。

K:私達は群馬生まれ群馬育ちのB-HACKなので、群馬の映画館に来れることを夢見てやっていたので、今日は本当に嬉しいです。この映画は1人の方の声が、100人の声になるような映画なので、この映画を観て思ったことを「賛」でも「否」でも、つぶやきでもブログにでも書いていただけるとこの映画の力になるので、そんなことをやっていただけるとありがたいです。今日は本当にありがとうございました。

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『キャタピラー』先行上映8/12(木)レポート

8月12日(木)
シネマテークたかさきにて、『キャタピラー』先行上映を行ないました。
平日の日中にもかかわらず、満席のお客様に迎えられ、
上映後、久蔵を演じた大西信満さん、若松孝二監督がご登壇されました。

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実際、小学生時代に戦争を体験した若松監督は、「戦争映画」というと、正義のためにという映画が多い中、いつかそうではない苦しんだ人々を描きたいと思っていた。
また、当時を知らない大西さんは、自分が演じたような状態で帰還した人々たちが天井を見ながらどんなことを考えていたのかを想いながら演じた。と、この映画への想いをお話いただき、

若松監督は、映画を通して伝えたいことを以下のようにお話されました。

戦争はいいこと何もない。
戦争はただの人殺しである。
この映画を観て1人でも国家のやることに対して、ちょっと待てよ?と、考える余地を持ってほしいのです。
それを繰り返さないようにすること。それが終戦である。

客席からは、質問もたくさん寄せられ、
大西さんへ、四肢のない役を演じられて大変だったこと、監督の演出について

大西さんは、当時のことを理解して、どう自分のものにしてゆくかが大変でした。演出は、細かい指示はなく、当時のことを知らない自分たちへ、当時彼らが立っている空気づくりをされ、緊張感のある、大きな意味での演出をされていた。

と、テストなし、1回まわしという緊張感溢れる現場の雰囲気が伝わるお話でした。

監督からは、
1人でも多くの方にご覧いただきたい。
皆さんの口コミが劇場を潤します。
単館の映画館を助けるのはみなさんの力です。
高崎にこの劇場ありというふうにやってもらいたいです。
と、劇場への激励もいただき、スタッフ一同、身のひきしまる想いです。

また、舞台挨拶終了後は、お2人によるサイン会を開催し、直接質問される方でにぎわいました。

Photo_38月14日(土)より4週間上映です。
1人でも多くの方にご覧いただきたい、本年度の超オススメ作品です。

ご来場お待ちしております!