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10月3日 『ビューティフル アイランズ』舞台挨拶レポート

10月3日(日)

16:00の回に
『ビューティフル アイランズ』海南友子(かな ともこ)監督
による舞台挨拶が行われました。
今回はこの舞台挨拶の模様をお伝えします。

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司会(以下S):本日は海南友子監督にお越しいただきました。

:海南監督登場

海南監督(以下K):皆さんこんにちは。今日は何本もあるうちの映画から私の映画を選んで観ていただいてありがとうございます。

S:本日は質疑応答の時間もできたらもちたいなと思いますので、何を聞こうかなと思いながらお時間過ごしていただけたらと思います。
 まずは私からの質疑応答に応えていただく形で進めていきたいと思います。

まず最初にどこでも聞かれることだとは思うんですけれども、本当の最初にこの作品を撮ろうと思ったきっかけと、3つの島(ツバル・ヴェネツィア・シシマレフ)を取り上げることのどこにポイントを置いて作ろうと思われたのでしょうか?

K:もともと最初にこういうものを作ろうと思ったのは2002年、8年前の事なんですけれども。

南米のチリ、今鉱山の地下に人が埋まってしまっていて大変なところですよね。そのチリの下の方のパタゴニアという地域にテレビのロケで行っていて、氷河トレッキングの取材だったんですね。で、氷河の撮影が終ってパッと振り返ったら自分の立っていた場所の一角が、サーッと音がして8階建てのビルくらいの高さの氷河が全部無くなったんです、一瞬で。

もちろんそういう映像って皆さんもご覧になったことがあると思うんですけど、私もそうでした。だけど、初めてこう自分の立っている足元と繋がっている場所が無くなるという感覚を初めて味わいまして、凄く恐かったんですね。

で、恐かったのと同時に、その地域にも勿論普通に生活している人もたくさんいらっしゃるので、これたまたま今は、日本から遠く離れた南米の南極の近くのことですが、いつか形をかえて自分のまちにも同じことが起こるんじゃないかという風に、その時強く思ったのが始まりで、それで次に企画ができるときがあったら、気候変動、地球温暖化といった方がわかりやすいかも知れませんが、気候変動の影響を撮ろうと思いました。

それから本当にプロジェクトを始めたのが2006年で、4年くらい経ってるんですけれども、色々考えていく中でやっぱり影響が凄く強く出てるところを考えていくと、やっぱり島の方が良いんじゃないかなという風に思っていて、それで島を撮ることに決めました。

最初はツバルを撮ろうと思っていたんです。ツバルがその時は今ほど有名じゃなかったんですけれども、地理的にも。世界で最初に無くなる国と言われています。日本も島国ですから島がたくさんありますけど、ツバルで起きていることは日本ですと淡路島だとか、沖縄がなくなるという事ではなくて、国全体が消えるって言う状況なんです。ツバルは国連の籍も持っていますから。なのでそこは絶対に撮ろうと思ってツバルに決めました。

それで、ツバルだけでも十分に作品が作れるなと思ったんですけども、もしツバルだけで作品を作ってしまうと、皆さんも名前くらいは聞いたことがあると思うんですが場所が正確にどこにあるかわかる人はほとんどいないと思うんですね。で、場所も定かではない小さな島の国があってもなくても、世界の大半の方にとってみると、まぁかわいそうだけど関係ない、っていう風に思われるんじゃないかなぁと思って、そうしないためにはどうしようっていう事を考えていく中で、なるべく大陸を分けまして、人種も少しずつ変えて、暑い島、寒い島、華やかな島という感じでこの三つの島に辿りついたという感じです。

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S:その時他に候補として考えられた地域は例えばどこかありましたか?

K:バングラディッシュとか、南アジアの辺りとかも検討しましたし、もっと北米もう少し他のところは無いかと色々考えたんですけど、でもヴェネツィアは途中からどうしても入れようと。やっぱりもしツバルとアラスカだけだとやっぱり暑い中と寒い中って感じだと思うんですね。でもヴェネツィアが入ることで、都会の生活っていうか、それがちゃんとバランスとして入るし、本当に全体の事を考えて今の三つという感じです。

実はツバルに行くまで私もツバルのことはあんまりちゃんと知らなくて、なんか沈んでしまうかわいそうな国ってくらいにしか思ってなくて出かけたんです。それで行ってみたら実は片道、日本からだと3日かかります。週に二便しか飛行機が無いので、ちょっと機材トラブルがあるとすぐフィジーとかで乗り換えるときに足止めを食らってプラス4日とかで片道一週間とかかかるところなんですけれど、なのでちょっと遠いところなんですよね。距離じゃなく、アクセスが悪くて。

そうするとアクセスが悪い分だけ、リゾート開発とかがされてないので、本当に美しい海。それから、テレビも新聞も無いですし、インターネットと電話はあるんですけど、あんまり通じないですね。ほとんど通じない。政府の方とかは使えますけど、一般人はほとんど使えないですね。

それでそういうところに行ってみたら、なんか物凄いいいところで。さらにそういう電気的な通信手段が無いと、人間て当たり前だけど、こう寄り添って一緒に働いたり、歌ったり踊ったりして何か絆が凄く美しいなぁって思い始めて、何か私この島が凄く好きになったなぁって、リサーチで行って思ったんですね。

なので被害を訴えるような作品じゃなくて、この島の本当に素敵なところをたっぷり感じてもらえるような作品にしたいなぁってツバルにいて私は思い始めて。そうすることで恐らく50年後に見ると今映っているものはほぼ全部消えている、ヴェネツィアとかは少し残っているかもしれませんけど、大半のものは消えている可能性が高いので、そういう、こう失われ行くものみたいな物をきちんと見つめよう、それから私達がこれから何を殺そうとしているのか、という事をちゃんと受け止められるようなそういう作品になったらいいなぁって信じてやってきたという感じです。

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S:今日お入りいただくときに、お客様のお手元に監督からのメッセージが、もうお読みに待ってる方も多いと思うんですが、こちらにも世界を3周でしたっけ、書いてあると思うんです。
さっきもツバルに行くのに一週間かかったとおっしゃられてましたし、1回につきどれくらいの期間その島には行ってらっしゃったのですか?

K:だいたい各島にそれぞれ3回か4回行ってまして、本当に3年かけて世界を3周、本当に3周じゃないんですが、行って帰って行って帰ってを繰り返していたので結構長い時間。

いちばん長いと、ツバルは・・・、でもトータルで4ヶ月くらいだったと思います。で、アラスカは3回行ったんですけど、日にちをつめてしまうと2ヶ月くらいかも知れませんね。ヴェネツィアも4回事情があって行きました。

で実はヴェネツィアの水没のパートは撮るのがいちばん大変だったんですね。ヴェネツィアは多いと年間80回くらい水没するんです。特に冬場11月12月のこれからの一月間くらいが時期で。映像に映ってるほど大掛かりな水没はその中でも数回なんですが、本当に5センチとか10センチくらいの水没は凄い日常的に冬場はあるんですね。なんですが、台風と一緒でいつ起こりますよというのがハッキリしてないんですね。

なのでイタリアに住めば撮れますけど、日本からロケで、ロケってやっぱり最低でも1ヶ月くらい前から全部準備をしていますので、無理ですっていう事で、あきらめてたんです。その代わりに資料映像を買って、水没のニュースの。それでちょっとくやしいなぁと思っていたら、たまたま日本でニュースを見てたら、「ヴェネツィアが今日水没しました。」ってニュースをお昼テレビでやっていたのを見まして、そのまま家を出て、そのまま旅行会社に行って、そのまま成田空港に行って、ヴェネツィアまで行きました。

クルーは全然間に合わないので、ありとあらゆる人を使って、イタリアでイタリア人のカメラマンを着いてすぐおさえて、それから本当に寝ないで10日間朝も昼も。潮の満ち引きなので、夜中に潮がいっぱいになったり、昼にきたりとか、毎日ちょっとずつずれていくので、それも全部押さえようと思って、まぁ一生懸命撮って。

でちょっと変わった撮り方なので、なかなかイタリア人のカメラマンに撮り方、つまりカメラをセットして動かしたくないんだとか、それをなかなか伝えるのが難しくて。本当はもっといろんな面白いシーンがイタリアのパートも取れているんですけど、全体の雰囲気を壊したくないので、最低限使えるカットを水没パートは使って、ちょっとそれは残念は残念なんですけど、やっぱり作品のトーンを。ニュースみたいにガチャガチャガチャっとしてるところとか。それは凄い大変だったところでしょうか。なのでイタリアも全部で4ヶ月・・・も行ってないかな、4ヶ月近く行ってました。

S:そのアラスカは先ほど2ヶ月くらいとおっしゃっていたんですけども、あそこも多分相当行くのが大変なところなんじゃないかなぁと思いますが。シシマレフと決める前に行ったことは無いんですよね?

K:無いですね。

ちなみに写真家の星野道夫さんという、アラスカの写真の専門の方、もう残念ながら亡くなっていますけど、彼が初めて行ったアラスカの島があの島で。でそこでアラスカが本当に好きになったので、写真家になりたかった訳ではなくて、アラスカと付き合うために、写真の仕事を選んだそうなんですね。それであの島だったんですが、私も実は全然不勉強で、そのことも行ってから、地元のの人から「ミチオを知ってるか」と凄く聞かれて、ミチオって誰だろうって思ってたら「あ、星野道夫さんだ」って後からわかって、そんなでも現地の方からとっても何ていうか受け入れていただける温かさというか、星野さんの事とかもあって、温かく接していただいたんですね。

ただロケの関係としては結構厳しくて、日本から7回乗り換えて、島に行きまして、最後の飛行機は日本から買えない飛行機なんですね。なのでそういう事で行きましたし、ツバルは小さいと言っても1万人住んでいる国ですが、なのでホテルとかも1個だけあるんですが、シシマレフは600人しかいない本当に離島なので、ホテルもレストランもカフェも1個も無くて、なので小学校の教室を借りて、毎日そこで寝袋で雑魚寝しながら撮って。それで廃校の小学校じゃないので、朝8時になると子供たちが通学してきちゃうんですね。なので毎日機材とかを全部撤収して、夜また泊めてもらうっていう感じで。

さらには作品そのものを作っていくプロセス自体もとても大変だけど楽しいっていうか、そんな感じでした。

S:そこで一緒に生活をされて、現地の人達との交流もあって、この作品で結びついているんだなぁって凄く感じられる気がしました。

私ばかり喋っているのもあれなので、何か聞きたいことや質問をぜひお受けしたいと思います。

お客様からの質問:素晴らしい作品ありがとうございました。
この作品のエグゼクティブ・プロデューサーを務めている是枝(これえだ)監督とは大学時代に出会いがあったということなんですけど、出会いのエピソードについてお聞きしたいのと、監督の学生時代どういう学生さんだったのか教えて下さい。

K:是枝さんとは本当もう20年くらいの付き合いで、私は大学1年生のときに初めてお会いして、年が9歳違うので、彼はまだ映画を作る前で、テレビのディレクターをしていて、それも別に無名の普通の制作会社のディレクターで。それでたまたま彼のテレビのドキュメンタリーの出演者として私がでる機会があって、そこで初めてドキュメンタリーという仕事を間近で見ました。

それで、もともと新聞記者とかにちょっとなりたかったので、社会的なテーマは凄い大好きだったんですが、初めてその映像手段、映像表現という手段があるんだってことを間近で知って。なので、彼と出会ったことがきっかけで、まぁ大学を出てからNHKという会社で私もディレクターをしていたんですけど、そういう面ではドキュメンタリー手段というか、それを本当に色々教えてくれた、お兄さんのような、恩師のような、そういう存在ですね。

それで今回ちょっとプロジェクトが大きかったので、まぁ始まりにも相談して、名前もちゃんと出して、今までもまぁ、全ての番組も、あの作品も見てもらってはいるんですけれども、ちゃんと正式に名前を出して入ってもらえないかというときに、「あぁ、ぜんぜんいいよ。」という感じで、気軽に良くしてくれて、見てもらって、感謝してます。

それで学生の時の私は、ほとんど今と変わってなくてですね、さっきもあのニュース見たままヴェネツィアに行けるようなそういう学生だったので。大学も実は行ってたんですけど、ほとんど通ってなくて、最低限しか行かずに、女子大なんですが、実は留年もしていまして。でもその代わり、アルバイトをたくさんして、行きたい場所に行こうという風な学生のときの自分で、なので南米とかあちこちの外国にも相当一人で行きましたし、で、行った先でも観光地じゃなくて、色んなテーマをその時々で持って、こういう事が今回は経験したいと思ったら、そこで思いっきりやるという感じなので、今の自分と、当時の自分ってほとんどベースは変わってなくて。(笑い)

普通こういうロードショーで公開される映画を作る場合、映画の会社さんとかがたくさん入ったり、企業さんを集めてメンバーを作るんですけど、撮影はほとんど私一人で、プロデューサーも監督もやってですね。
だからできないって思うことが一番の障害だと思うので、こういう作品を作りたいと思ったら、どうしたらできるかっていうのを考えてやり遂げるっていうか、そういうところは学生の時の自分と同じだなぁって、そう振り返ると、思います。

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S:それではそろそろ時間も迫ってきましたので、最後に監督の思いの丈を皆さんにお伝えていただけたらなぁ、と思います。

K:本当にお忙しい中、色んな情報、色んな選択肢がある中で、私の一本の作品の為に2時間の時間を頂き、本当にありがとうございます。

一応アメリカでもロードショー公開をしまして、韓国でもこれからやる予定です。日本人の為だけに作ったわけではなく、世界の人に一緒に感じてもらう、そういうつもりで作りました。是非きらいのない感想、あとで一声かけていただけたら凄く嬉しいです。(10月)16日までという事で、ぜひお近くの方に、ちょっとでもいいと思ったら、お声かけていただけたら、凄く嬉しいです。

どうも今日はありがとうございました。

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