フォトアルバム
Powered by Six Apart

最近のトラックバック

 

« サイタマノラッパー2 盛り上げよう大作戦 | メイン | 『キャタピラー』先行上映8/12(木)レポート »

「行旅死亡人」井土紀州監督のティーチイン

7月10日に「行旅死亡人」井土紀州監督のティーチインが行われました。その模様を少しですが、レポートいたします。 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 

Bv2d7868   

―まずは「行旅死亡人」の映画の一番最初の企画の所からお話を伺いたいと思うんですが、そもそもどういう形で進んででいったんでしょうか?

はい。これはパンフレット等にも書いてあるんですが、昔、朝日新聞に「もうひとりのわたしが死んだ」っていう記事がありまして、その記事はいつか映画にならないかなととってあったわけですね。
まあそれはそれとしてあって。で、2006年かな?に当時僕がシナリオについて教えていた日本ジャーナリスト専門学校というところがありまして、そこは自主制作で映画を作ったりしてるんですが、学校側が、「井土さん低予算だけど1本この学校で作んない?」って話があったんで、いくつかその企画を考えたんですが、ちょうどそのジャーナリストを育成する学校なので、じゃあ、この記事で1本作ってみませんかっていうふうにその記事を学校に見せて。ああこれはおもしろいですねと。
その女が何者でどういう人生を歩んだのかっていうのをある意味フィクションでというのが最初です。


―企画がもちあがってやろうかって時に費用とか期間てとこがひっかかると思うんですが、そこらへんはどの程度決まってたんですか?

もう予算は決まってました。でということはその予算でできることっていうのは限られてくるので、じゃあ何にお金をかけるのかってことですよね。これは長野県の小諸ところに3日間ロケに行ったんですが、ロケがあるんだったら宿泊があったり移動があたりするから、コレぐらいかかるとか、キャストがこういう人達でとか、予算で全ては決まりますよね。


―やってくれないかという話をされたときから、インするまではどれくらいかかってるんですか?

半年くらいですかね。2006年に話がもちあがって、2007年の夏に撮ったので。


―それは脚本がもう出来ている状況で?

いえいえ、もう全然出来ていないですよ。最初その新聞記事1枚で、そっからスタートしたんで、シナリオが出来たのは春ですね、第一稿ぐらいは。でそれからそれはスケールが大きすぎてとてもじゃないけどその予算じゃ無理だってことだったんで。
僕は最初もっとゴーストタウンみたいなトコに行きたかったんですね。それで岐阜県に鉱山町ひとつが山の中でまるまるゴーストタウンになってるところがあって、そこで撮りたいなあと思っていてロケハンもしたんですけど、訳あってだめになった。
それでまた急遽脚本書き直して でまあ学校の関係者で小諸に別荘持ってる人がいて、じゃあそこで合宿をしようってことになってそうやって使えるものを使ってシナリオを書き直すってことをやっていきました。

Bv2d7853

―ジャーナリスト専門学校の学生さんはどういったかたちでこの作品に参加しているのでしょうか?

基本的にはスタッフで小道具とか美術をやったり、演出まわりのこまごましたことをやってくれたりっていうかたちでしたね。


―大変だったことは?

スケジュールが厳しかったことですかねぇ。展開のある脚本なので、1日に多くのシーンを撮らなくてはならなくて。大変でした。


―脚本の構成はどのようにして作っていくのでしょうか?


一番大事なのは設定だと思うんですね。この映画で言えばもうひとり自分の名前を名のっていた女が死んだ。その女は何者だったんだっていう。それを見つけられるかが一番時間かかってますね。根っこですよね。
この作品は中心が2つあって、1つは真相を究明してしていく筋と、もう1つは何故その女はひとの名前を語っていたのかっていう真相の部分ですね。
その2つがある程度見えたときにこの映画ができていくってことですね。


―胡桃の話はモチーフになったものがあるのでしょうか?

これは戦後の話で時代的にちょっと厳しいんですけど。
当時政府が食用胡桃の栽培を奨励して胡桃の木をたくさん植えたんですが、台風被害にあったり、害虫が発生してそれを退治する農薬がないということで、とうとう木を切ってみんな辞めていったんですけど、そこでその時僕が話を聞いたハナオカさんという人だけが1人だけ辞めないで続けていた人だったんです。
その後また行政が胡桃を奨励して。で第1回胡桃の品評会で最高賞を受賞したのがそのハナオカさんの胡桃だったという。すごく感動的な話だったんですけど。
この話をしたかったが、とても出来る予算じゃなかったんで。


―私が最初に観たのは、これよりも7分長かったんですが、これは?
 
なぜでしょう?いらない!と思ったんでしょうね。こういう映画だと何とでもやりようがあるんですよね、編集で。いっかい突き詰めたところまでいっても、これは余計だ。これ映画なんだからここまで説明しなくていいとか、そういうことが起こってくるんです。
 
 Bv2d7895 

―井土監督はスピリチュアルムービーズという活動されていますね。自主制作で面白いと思ったったものを撮って、やりたいと思っていてもなかなか難しいことを12年はすごいな思うんですが。
 
大学の仲間で、まあ腐れ縁ですね(笑) 文化祭に向けて映画作ったおもしろさが今も続いてるというか。最初に自分たちで作って上映したときの感動が持続してるだけ、組織を存続させようとはまったく思ってないんです。喧嘩したりもしますが、その最初の想いに戻れるから続いてるのかなと思います。
 
―今日は長い時間ありがとうございました。井土紀州監督でした。 

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 
監督にはたっぷり1時間いろいろなお話を聞かせていただきました。
参加された皆さん、井土監督ほんとうにありがとうございました!

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/24816/24727167

「行旅死亡人」井土紀州監督のティーチインを参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。