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普遍性のヴェール

Persepolis_2   先日、青山学院大の狩野良規教授のラジオ番組を聴いた。テーマは『イギリス映画』であった。狩野先生はイギリス文化・文学が専門で、ショイクスピアやイギリス映画に深い造詣をお持ちの方である。先生はこんなことをおっしゃていた。イギリスといえばシルクハットをかぶった紳士や、アフタヌーンティーを楽しむ人々の姿がパッとあたまに浮かぶけれども、もはやそういった光景は過去の遺物である。それは外国の方が日本人と聞いてゲイシャを想起することと同じだと。
 では、僕ら日本人は「イラン」と聞いて何を思い浮かべるか?おそらくは「イスラム原理主義」「イランイラク戦争」「女性がまとうヴェール」など、思い浮かぶ割には日本人にとって苦手分野の、謎めいた何かばかりではないか。公開中の『ペルセポリス』は、そのような謎めいた"靄(もや)"をマルジというヒロインの成長を通して、それはそれは見事に、心地いいまでに吹き払ってくれる。そういえば、2/27のモギマサ日記のコメントで、僕もよく存じ上げているtutiさんがなかなか面白いことをコメントされている。『ペルセポリス』を評して<21世紀の『風の谷のナウシカ』>だと。なるほど。tutiさんのオリジナリティあふれる表現はいつも面白い。これからも書き込み宜しくお願いいたします。
 さて、謎めいた"靄"を吹き払うという意味では、『ペルセポリス』は溝口健二の『祇園の姉妹』のようにも思える。溝口は1936年のこの作品で、日本人でも垣間見ることのできない祇園のゲイシャの"生態"を描き出し、後の世に語り継がれる溝口流リアリズムをここから出発させた。"靄"につつまれ、境界に遮られた空間(あくまで外部の人間の視点であるが)の内側で生きる女性の生き様が克明に描かれているという意味で、『ペルセポリス』のマルジは『祇園の姉妹』の山田五十鈴(当時19歳)に相当する若き名女優だ。『ペルセポリス』はそれほどまでの傑作である。
 想像を絶する、かくも厳しいイラン現代史と、その中を生き抜くマルジの家族との関わりの描写が、教科書では教えてくれない中東の大国の現実を伝える。この物語は使い古された、よくある少女の成長譚ではない。この作品に"イラン人女性の…"という枕詞を付けるべきでもないだろう。先の狩野教授はケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』を例に挙げながら、こんなことをおっしゃっていた。地域性や独自性を追求することで、物語は普遍性を得るものだ、と。『ペルセポリス』は既にそのような「普遍性のヴェール」をまとい、すべての女性のために屹立している。残りあと一週間の上映。お見逃しなく。Gionnokyodai

"幸(さち)"の裏側

Sachiari  映画のフィルムは縦方向に24コマ/1秒のスピードで流れる。1度ご覧いただくと分かるのだがこれは結構なスピードである。そしてこのフィルムの流れが連続したものではなく、間欠運動だということを説明すると大抵の方は驚きを隠さない。間欠運動をしているということは、フィルムに光があたる映写窓ですべてのコマが1度止まっているという意味である。なんと働き者の映写機でありフィルムであろうか。このことを思うとき僕はいつも彼らの働きぶりに感心してしまう。事実、映写室では朝から晩までこの運動が繰り返されているのである。しかも基本的には休業日無しで、この"仕事"は毎日続いている。
 この間欠運動を支えているのが、映写窓の入口と出口につくられるフィルムの"たわみ"である。ループと呼ばれるこの"たわみ"がなければ、フィルムが流れてしまったり、強いテンションが掛かってフィルムそのものを痛めてしまうことになる。それ以外の部分では、スプロケット(歯車)の爪をパーフォレーション(フィルムにあけられた穴)が弛みなく渡っていくのだが、2箇所だけもうけられたこの"たわみ"のおかげで映像がガタつかないような仕組みになっている。
 今週、オタール・イオセリアーニ監督作品がシネマテークたかさきに初登場した。『ここに幸あり』だ。こうしてまたひとつ、マエストロの作品を迎えられたことが何とも嬉しい。そう、そして今回もまた相も変わらず、『素敵な歌と舟はゆく』『月曜日に乾杯!』の流れにのって、生きることにおける"たわみ"の大切さを面白可笑しく投げかけてくれている。
 しかしながら困ったことに、「映画は人生」などと言って、お客様にいい映画をお届けしておりますという風を装いながら、人生の何たるかを映画そのものから学んでいないのが、実は映画館なのだ。毎日休むことなく、朝から晩まで、24コマ/1秒のスピードでフィルムは回り続けている。僕らは映画館というものはそこを訪れるすべての人々のためにあるのだから毎日開いているのが当然と思っているし、またそうしなければ、劇場経営も成り立たないからだ。"たわみ"がなければ映写が成り立たないことを十分承知しているにもかかわらず、映画館は毎週プログラムを変え、毎日緊張状態を続けている。もしかしたらイオセリアーニ作品を上映するのに、もっとも相応しくない施設こそ常設映画館なのかもしれない。これぞ、"イオセリアーニ・パラドックス"とでも命名しようか。
 映画館ならずとも、そういった緊張状態の連続に「?」を投げかけ続けているのが、グルジア生まれのイオセリアーニ監督だ。この人生の先輩はよくご存知なのだ、緊張状態がしばしば負の流れの源流になりかねないことを、そしてそのことの恐ろしさを。『ここに幸あり』ではお気楽極楽ムードの反面、人々の対立がちらほらと描かれている。作品の裏側にある何かについて、僕らは気に留めておかなければならないだろう。フランスの移民の間に広がっている不満と社会の亀裂を。昨年、監督の故郷グルジアで発動された非常事態宣言のことを。そして世界を極度の"緊張状態"に陥れた、あのヨシフ・スターリンが監督と同郷のグルジア生まれだということを。

 とまあ、こんなこんな風に小難しいことを考えながら、映画を観てはいけないということもおそらくイオセリアーニは言っているのだろうけど(笑)。

奇跡

Tenten2 ♪流行遅れの 恋の歌 今も君は口ずさむ
 季節はずれの風が吹く 冷たい墓の上に

『転々』のエンディングで流れるのは、ムーンライダーズの1976年の曲、『髭と口紅とバルコニー』だ。車内で流して聞いている。聞いているとよく分かる。死んじまった人間は帰ってきやしない、だけど帰ってきてくれたらいいよなあ、そんな「奇跡」を人は願い続けるのだと。

『転々』は独特の切なさを携えた映画である。50歳を過ぎた?借金取りのオヤジと借金を抱えた大学8年生の男。父と息子がそうであるかのように、世代の異なる男同士というものは、大抵相容れない付き合いになるものだが、この映画で実現しているのはそういうふたりが、"ふたりだけ"で東京散歩をするという非現実で気味の悪いシチュエーションだ。だがしかし、このふたりは息子のいないオヤジであり、親に捨てられた若造なのだ。そこがミソである。何やら『フィールド・オブ・ドリームス』的な臭いを発しつつ、ふたりは東京中を練り歩く。

ご覧になった方はお気づきになったかも知れないが、実は今、シネマテークで人の死がテーマの対照的な2作品が上映されている。カール・ドライヤーの『奇跡』は、三木聡の『転々』の対極にある作品だ。シネマテークの待合に流れているのは、死者が生き返るという「奇跡」と、死者は決して生き返らないという「現実」の前で人はどう生きるのかという深遠なテーマである。ドライヤーが聖なる作家で三木聡がそうではないと誰が言い切れるであろう。『奇跡』と『転々』、2スクリーン体制になったからこそ、この田舎町で巡り合うことになった2作品かもしれない。ああ、これもまた「奇跡」なのかもしれない。この「奇跡」をどうぞご堪能あれ。

破壊 ~ 3周年にあたって ~

Sankyo  今日でシネマテークたかさきは3周年。お客様に支えられた3年間だったと心から思う。ご存知の通り、今月15日には2スクリーン目もお目見えとなる。節目の3年。スタッフ一同、心を新たに次なるスタートを切りたいものだ。
 この12月4日の記念日の上映作品のひとつが『長江哀歌』だということに、深い感銘を覚える。それはこの映画のテーマのひとつが「破壊」に置かれているからだ。これからの時代は"何をつくるか"に主題が置かれるべきではない。僕らが見据えなくてはならないのはきっと"何を壊すのか"といったことだ。「破壊」に臨むにあたっては鋭い感性を伴うべきである。その優れた感性の有無がきっと国の将来をも決めてしまうであろう。『長江哀歌』で語られる破壊には積極的なそれと、消極的なそれがしっかりと描かれていると思う。積極的な破壊とは強固な国策に基づく、可視的で物理的なものである。しかしむしろ口に出して語られるべきは、時として積極的な破壊に伴って二次的に発生する消極的な破壊の方ではないか。それは文化や伝統、人々の心に深く根ざす何かへの意図しない破壊である。12年前、僕は1ヶ月ほど中国大陸を放浪したことがある。あのとき僕が歩くことで感じ得た中国人のアイデンティティーのゆらぎのようなもの。あの頃、ちょうど三峡ダムの工事が始まったのだ。そして今、河の流れと景勝地が姿を変えて、さらに次の何かを変えようと迫っている気がしてならない。
 システムにおいて、ハードにおいて、そしてそこに関わる人心において、既に何が壊されていて、何が壊れゆく現状にあるのか。映画界を見つめる上でも、このような視点を得ることはきわめて重要だと思う。新しい劇場をつくっている過程だからこそ考えたいことだ。映画とは、喜びと悲しみ、笑いと涙が同居する極上のエンターテイメントだ。しかしながら、もう何十年も映画界を語るときのBGMといえば、それは「哀歌」と決まっていた。そりゃあ「哀歌」もいい。でも僕がホントに聞きたいのはやはり映画への「賛歌」なのである。

 撮らなければならないものが撮られている。『長江哀歌』はジャ・ジャンクーの嗅覚を存分に感じることができる傑作だ。前作『世界』と比べると、初日から多くのお客様にご覧いただけている。開館以来の3年間を僕らと一緒に歩んでいただいた当館のお客様の「映画への嗅覚」を僕は誇りに思う。

繋ぐべきもの

Mirikitani  相米慎二がこの世を去ってから2日後、ニューヨークの世界貿易センタービルがテロの標的となり、多数の人命が失われた。非日常の光景があたりを覆う中で、燃え盛る世界貿易センタービルを背に、反骨の日系人アーティスト、ジミー・ツトム・ミリキタニはいつもの通り路上で絵を描き続け、彼のありふれた日常をその日も送っていた。

 高校生の頃、後にNHK大河ドラマ化された山崎豊子の小説『二つの祖国』に出会った。この作品で僕は、日系人の強制収容という史実をはじめて知った。凄まじい人種差別の記述に唖然としたが、日系人がそんなあからさまな差別を受けたという事実と、苦しみぬいた末に自殺という選択をした主人公の最期をうまく受け止められずに随分と困惑した。

 数年後、今度は強制収容の様子を映画で観ることになる。アラン・パーカーの『愛と哀しみの旅路』だ。小説で描かれていたことは、やはり間違いがなさそうだった。しかし、僕はそこで語られる愛の物語に本能的に逃げ込んでしまい、またもや史実を受け止めようとしなかったような覚えがある。

 そして今年、強制収容を経験した反骨の日系人アーティスト、ジミー・ツトム・ミリキタニを追ったドキュメンタリー・『ミリキタニの猫』と出会った。僕はこの作品で初めて、強制収容させられた日系人を映像で目の当たりにした。ジミー・ツトム・ミリキタニには第二次世界大戦中にカリフォルニア州の日系人収容所ツールレイク収容所に送られた苦い経験がある。ツールレイクは、『二つの祖国』の主人公の両親が送られた収容所でもある。小説に綴られた悲劇の舞台と、そこで生きた実在の人物がクロスした。どうやら今度は逃げ道がなさそうだった。強制収容の歴史は確かにあったのだ。路上生活を送るこの老人の背中がすべてを語っていた。認めたくないことを受け止めるということはつらいことだ。しかし、アメリカ国籍を持ちながらツールレイクに送られた日系人の哀しみが、決して忘れ去られるべきでないことくらい、高校生の僕にだって分かっていたのだ。それは未来へと繋ぐべきものであることくらい。

 「戦争」という言葉には実に多面的な意味がある。犠牲者、被災者、遺族、そして加害者も含めた関係者の数だけ意味が存在する。11月27日~29日に高崎市文化会館で開催される高崎映画祭事務局主催の「オータムレイト上映会・繋ぐ未来のために」は、そんな戦争の多面的な意味の一部を実にリアルに捉えられるまたとない機会だと思う。特攻隊の帰還兵、ひめゆり学徒隊の生存者、広島・長崎の被爆者の方々の証言、激戦地ニューギニアからの帰還兵のその後の生き様、そして日系人強制収容の憂き目にあったジミー・ツトム・ミリキタニの人生。今後の世界を見据えるにあたって、僕らが知っておかなければならない史実を語る5作品が並ぶ。「オータムレイト上映会」の詳細はこちらから。前売券はシネマテークたかさき受付窓口にて取扱中。また、『ミリキタニの猫』は当館でも12月8日からの上映が決定している。これら作品を知らずにこれからを生きることは、今の僕には考えられない。きっとそれは誰にとってもそうだろう。それほどのラインナップだと僕は心から思っている。

"転"機

Tenten_2  先日、平日だったけれど、仕事を終えてからクルマを走らせ渋谷へ。『転々』レイト上映、何とか間に合いました。どうしても、観たかったんですよねえ。だって作品から何とも言えないいい香りが、ぷんぷん漂っているんだもの。

 84万円の借金を抱えた大学8年生・竹村文哉(オダギリジョー)は、借金取りの男・福原愛一郎(三浦友和)に、訳あって(この"訳"が大した"訳"なのだが)吉祥寺から霞ヶ関までの東京散歩に付き合わされることになる。報酬は100万円。ただし、その散歩に期限は無い。福原の気が済むまで一緒に歩く、それが条件。あの三浦友和が、まさかこんなチンピラ役を演じることになるとは・・・。世の中どう転ぶかなんて誰にもわからないよな・・・、とつくづく思う。周囲の何人かの方に聞いた話によると、三浦友和がそれまでの二の線から三の線へ転換したきっかけは、相米慎二の『台風クラブ』で演じたあのダメ教師役なんだという。確かにこのことは、三浦友和自身がeiga.comでもコメントしている。http://eiga.com/special/show/1306_2

 『松ヶ根乱射事件』の山下敦弘監督も、『茶の味』の石井克人監督も、『台風クラブ』の三浦友和を観てオファーしたのだという。そう、冒頭で「いい香り」と言ったのは、僕がこの話を聞いていたからに他ならない。それは、相米慎二が蒔いた「三浦友和の第二の役者人生」の種が、この『転々』で見事に開花したしたのではないか、という予感である。相米慎二と言えば、借金取りによる債務者への"痛めつけ"から始まった、三浦&オダギリの関係が妙な方向に進展するのを眺めるにつけ、ふと『あ、春』、そして『風花』を思い出した。『転々』は、『あ、春』と『風花』に徒歩のリズムと三木聡流の「くだらねー」をブレンドした快作であり、怪作である。僕の脳裏に、『あ、春』の佐藤浩市と山崎務、『風花』の浅野忠信と小泉今日子の関係とその顛末がよみがえる。人と人の関係は変わる。同じ時間を過ごし、寝食を共にし、肩を並べて歩くことで。転々、転々と。

 それにしても相米慎二だ。『ションベン・ライダー』、『台風クラブ』、『お引越し』等々、相米作品で綺羅星のごとく光輝く少年少女たち。しかし、この人の対役者を語る上での功績は、永瀬正敏、河合美智子、工藤夕貴、田端智子ら若手を育てたことにとどまらない、心からそう思う。愛すべきダメ男に見事"転じた"三浦友和55歳、その人を見ていると。

 『転々』の三木聡監督作品『図鑑に載ってない虫』はいよいよ今週末スタート。シネマテークたかさき設立3周年記念・相米慎二監督特集は12月8日から。『転々』の上映についての情報は、もうしばらくお待ちください。それにしても、相米慎二監督特集、楽しみで仕方がない。いてもたってもいられない思いです。

作家生命を賭ける、ということ

Photo_2  "遂に"、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が「カチンの森事件」を映画化しました。本日の朝日新聞朝刊「ひと」のコーナーに、ワイダ監督の記事が掲載されています。「カチンの森事件」とは、第二次世界大戦中にソ連軍の捕虜となったポーランド人将校らおよそ20,000人が秘密裏に惨殺され、ソビエト・スモレンスク地方、カチン近くの森に埋められたという事件です。この事件は長い間、ソ連によって、ナチスの手によるものだという嘘に染められてきました。そして、この事件について詮索することは、共産主義政権下のポーランドではタブーとされてきました。しかし、ポーランド国内ではこの事件の取り扱いが「タブー」であるが故に、真の犯人が赤軍であるということは暗黙の事実となっていたのです。学生時代、僕はこの事件の詳細について知ってしまったがために、ワイダ作品の虜になっていきました。実はワイダの父親はこの事件の犠牲者のひとりでした。そしてこの事件は、ヒトラーとスターリンの間に挟まれ、不遇なまでの歴史を辿ったポーランドという国をあまりにも象徴する事件であったと言えます。ワイダは父親の死をきっかけに、レジスタンスに身を投じます。つまり、「抵抗の人」といわれた巨匠アンジェイ・ワイダ誕生のきっかけになった事件、それがこの「カチンの森事件」だったです。

 ワイダの映画はあまりにも献身的です。ポーランドの現代史とポーランド国民の動向を研究観察し、その結果、今自分が何を撮らなければならないか、という回答を導き出しているように感じます。そのすべてが紛れもない芸術家の手法です。だから他の誰でもないポーランド国民のために撮られた映画が、不思議なまでの普遍性を携えることができる。ワイダ作品の最大の魅力はまさにこの点です。では何故に、こうまで映画に対して献身的になれるのか。ワイダはこう言っています。「ワルシャワ蜂起で死にきれなかった私の仕事だ」と。ワイダが『地下水道』で描いた、二十万人のワルシャワ市民が命を落としたといわれるあのワルシャワ蜂起。自らが映画を撮る理由を、この映画人ははっきりと自覚しているのです。アンジェイ・ワイダほど、その映画作品と自国の現代史とが密接に絡み合う映画人を僕は他に知りません。

 ある映画監督が作家生命を賭けて撮ったという映画があるとして、それを観ることで僕らが得る経験はただの経験ではなく、観客は計り知れない何かを背負うことになるかもしれません。アントニオーニ、そしてベルイマンという巨匠がこの世を去った今、遠くポーランドから81歳になるアンジェイ・ワイダが恐らくは"作家生命を賭けた"と思われるテーマで、ひとつの作品を完成させました。その映画の名は『カチン』。未だ観ぬこの映画に僕は心を奪われています。ワイダ自身の人生の道程と、残された時間を明らかに意識したこの映画(冒頭で"遂に"と書いたのはそういう意味です)を観ることで、僕はとてつもない何かを背負うことにもなるだろう、そんなことさえ思っています。明らかにそれは、僕自身がアンジェイ・ワイダという映画作家、その人を追いかけてきたことで得た嗅覚であると認識しています。映画はやはり、作家で観るもの。今そのことを強く感じています。

 『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』『約束の土地』『大理石の男』『鉄の男』…、そして『カチン』。アイジェイ・ワイダ監督特集、やりたいですねえ。これは、2スクリーン目完成後の僕の夢。いやあ、長々とすいませんでした。新聞記事ひとつでこんなことになってしまいまして・・・。

1994

Kurtcobain  ちょうど2年前、当館ではオアシス、ブラーに代表される90年代ブリットポップ・シーンのドキュメンタリー『リブ・フォーエヴァー』を上映しました。あの時、あの映画を観て、当時の状況をいろいろと思い出したのですが、中でもとりわけはっきりと甦ったのは、ブリットポップを彩った面々にまつわることではなく、1994年のカート・コバーンの自殺によって生じたミュージックシーンの潮境の記憶でした。大して長い時間を生きている訳ではありませんが、あんなにはっきりと音楽界の潮境を体験できたことは、それ以前もそれ以後も僕にはなかったことだったのです。

 1994年という年は映画業界にとっても"潮境"といえる年でした。日本のスクリーン数は1960年にピークに達し、7,457にまでに増加しました(映連統計より)。しかしながら以降は減少の一途をたどり、90年代には1,734にまで落ち込みました。つまり、日本中で映画を観られる場所が、30数年をかけて、ピーク時の1/4以下の数にまで減ってしまったのです。しかし…、ある年を境に、このような急下降線をたどってきたスクリーン数に変化が訪れます。今や全国に溢れるシネコンの登場により、一転して増加傾向に変わったのですが、その潮境と言える年が「1994年」でした。今や全国のスクリーン数は2006年末のデータで3,062。そのうち"主流"のシネコンが2,230を占めています。

 90年代前半、あの頃の文化的スペースの中には、グランジというオルタナティブな音楽ジャンルを受け入れることができるだけのバッファがあったのでしょうね。主流と大勢からの拒絶をアイデンティティとしてきたカートのような存在を受け止められるだけの空き領域みたいなものが。でもそんな領域が、まるで地球温暖化の波にさらされている北極の氷のように、現在の世界で急激に溶けて減り続けているような気がしてならないのです。音楽や映画の文化的側面を支える大切な領域が。その溶解の始まりと言っては言い過ぎかもしれませんが、「1994年」という年にはそのきっかけのいくつかが眠っているように思えてなりません。

 『カート・コバーン アバウト・ア・サン』。カートの肉声で綴られる97分。予告編のナレーションは浅野忠信さんが担当しています。僕と同じ年ですねえ。頭に乗るなと誰かに怒られそうですが、あの仕事を引き受けた浅野さんの気持ちがなんとなく分かる気がしてならないのです。僕は、浅野忠信という映画俳優が『幻の光』(1995)、『PiCNiC』(1996)、『Helpless』(1996)と、日本映画界の中でいわゆる主流から距離を置き、何かにとり憑かれたかのように独自の階段を駆け上がって行った時期が「1994年」以降だったことも、決して偶然の一致ではないと思っています。さて、そこんとこ、どうなんでしょうか、浅野さん?!コメントお待ちしています!(笑)

文化住宅のこと

Hatsuko  1995年の1月17日か、もしくはその数日後か。それまで僕はまったく知りませんでしたねえ、「文化住宅」なんていうコトバは。その日の早朝、突如阪神淡路地域を襲った大地震で、大変な数の「文化住宅」と呼ばれる建物が倒壊しました。当時僕が住んでいた京都は震度5強の揺れでしたが、友人の多くが震度6~7を記録した阪神地域に住んでいました。不幸中の幸いといいましょうか、友人の中に亡くなった者はいませんでしたが、皆さんご存知の通り、人間の造った建造物が崩れ落ちることでそれが凶器となり、多くの方がその下敷きとなって命を落とされました。「文化住宅」というコトバを、関東生まれ・関東育ちの方が、皆さん知っているとは僕には到底思えないので、わかりやすいコトバに置き換えますと、「文化住宅」とはつまり「長屋型の木造アパート」のことです。大阪を中心に、西日本で多く使われるコトバのようです。この「文化住宅」が阪神大震災で片っ端から倒壊した悲劇は、あの地震に大震災という嬉しくもない呼び名が与えられた理由のひとつになっているのです。以来、「文化住宅」というコトバは、僕の内面で暗く長い影を引き摺りながら歩いておりました。
 とまあ、前置きが長くなりましたが、そんな訳で観たいような観たくないような思いで、僕は『赤い文化住宅の初子』と向き合うことになったのです。「観ない方が良かったんじゃないの?」「だから言わんこっちゃない」と自分に向けて思わずひとりごとを呟いてしまいそうになるくらい、『赤い文化住宅の初子』は兄とふたりで「文化住宅」に暮らす幸薄い少女・初子の痛々しい物語です。画面いっぱいに漂う生活臭。そんな生活を照らすのは点滅する切れかけの蛍光灯。初子はそんな毎日を、薄暗がりの中で送っています。こんな夢も希望もないような単語ばかり並べたら、きっと皆さん、引いてしまいますよねえ。ただ僕には、あの日あの時、燃えて崩れ落ちた多くの「文化住宅」にも住んでいたであろう、誰でもない女子中学生の姿が薄幸の少女・初子と重なって見えたのです。蛍光灯の明かりだけでは足らないのでしょう、そんな少女たちが自らを照らすために燃やす小さな小さな炎は、薄暗がりだからこそ見つけることができるのかもしれません。あれから12年。実はこの映画の中に、「恋心」となって燃え続けるそんな小さな炎を見つけられたことが、僕には何となく嬉しかったのです。

 不幸にして起こった様々を肯定できる日が、いつか初子と震災の被災者の皆さまに訪れることを願って。

LA ROSE

Kagayakeru_2

 『黄昏』で名高いマーク・ライデル監督の1979年の作品、『ローズ』。ご覧になった方もきっと多いことでしょう。『ローズ』は薬物中毒が原因で帰らぬ人となったロックシンガー、ジャニス・ジョップリンをモデルとした女性・ローズの生き様を描いた作品で、ローズ役を演じたベット・ミドラーのスクリーンデビュー作でした。男と仕事と薬物の囚われの身と化したローズは、ラストシーンでそれまで帰りたくても帰ることが出来なかった念願の地・故郷フロリダのライブ会場に辿り着きます。大歓声の中、1曲を歌い終えたローズは最後の曲を、最後の最後のちからを振り絞って声にすると、ステージ上にばさりと崩れ落ちます。ロックシンガーの命の灯が消えようとしているそのとき、動かぬ彼女ををやさしく包み込むかのように、あの映画音楽史に残る名曲「THE ROSE」が流れ出すのです。この曲は夭折したシンガーの人生の暗闇を照らす光。それは死に向かう彼女を送るレクイエムではなく、彼女の"生"を照らし出す"光"であったと僕は勝手に解釈しています。

 『輝ける女たち』は僕にとって、"今のところの"今年一番の愛すべき作品となりました。この作品では、魅力あふれる女優たちによって様々な名曲が歌われています。歌手役を演じるエマニュエル・ベアールは劇中で歌うことについて、"賭けだった"とコメントしています。歌うことについてはわずかな経験しかなかった彼女でしたが、見事、その賭けに勝ったといえるでしょう。「THE ROSE」はこのフランス映画の中で「LA ROSE」となり、物語のクライマックスで、とある女優によって歌われます(あえて女優名は伏せます)。そしてこの曲をバックに、互いの気持ちを伝えたくても伝えられなかった家族ひとりひとりの積年の想いが、ニースにあるキャバレー"青いオウム"のステージと客席で交錯するのです。言葉ではなく、歌を通して、そしてまなざしを交わすことで。

 「LA ROSE」が"生の賛歌"として、これからを生きる家族のために歌われたことが妙に嬉しかったのです。これで「LA ROSE」はジャニスとローズの死のイメージを振り切り、生きるための曲として生まれ変わる機会を得ました。『輝ける女たち』という映画は、演じる女優や、観客としての僕らだけでなく、名曲の運命までをも変えたのだと、僕はこれまた勝手に解釈しています。きっとこれもまた、映画の魔力なのでしょう。