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破壊 ~ 3周年にあたって ~

Sankyo  今日でシネマテークたかさきは3周年。お客様に支えられた3年間だったと心から思う。ご存知の通り、今月15日には2スクリーン目もお目見えとなる。節目の3年。スタッフ一同、心を新たに次なるスタートを切りたいものだ。
 この12月4日の記念日の上映作品のひとつが『長江哀歌』だということに、深い感銘を覚える。それはこの映画のテーマのひとつが「破壊」に置かれているからだ。これからの時代は"何をつくるか"に主題が置かれるべきではない。僕らが見据えなくてはならないのはきっと"何を壊すのか"といったことだ。「破壊」に臨むにあたっては鋭い感性を伴うべきである。その優れた感性の有無がきっと国の将来をも決めてしまうであろう。『長江哀歌』で語られる破壊には積極的なそれと、消極的なそれがしっかりと描かれていると思う。積極的な破壊とは強固な国策に基づく、可視的で物理的なものである。しかしむしろ口に出して語られるべきは、時として積極的な破壊に伴って二次的に発生する消極的な破壊の方ではないか。それは文化や伝統、人々の心に深く根ざす何かへの意図しない破壊である。12年前、僕は1ヶ月ほど中国大陸を放浪したことがある。あのとき僕が歩くことで感じ得た中国人のアイデンティティーのゆらぎのようなもの。あの頃、ちょうど三峡ダムの工事が始まったのだ。そして今、河の流れと景勝地が姿を変えて、さらに次の何かを変えようと迫っている気がしてならない。
 システムにおいて、ハードにおいて、そしてそこに関わる人心において、既に何が壊されていて、何が壊れゆく現状にあるのか。映画界を見つめる上でも、このような視点を得ることはきわめて重要だと思う。新しい劇場をつくっている過程だからこそ考えたいことだ。映画とは、喜びと悲しみ、笑いと涙が同居する極上のエンターテイメントだ。しかしながら、もう何十年も映画界を語るときのBGMといえば、それは「哀歌」と決まっていた。そりゃあ「哀歌」もいい。でも僕がホントに聞きたいのはやはり映画への「賛歌」なのである。

 撮らなければならないものが撮られている。『長江哀歌』はジャ・ジャンクーの嗅覚を存分に感じることができる傑作だ。前作『世界』と比べると、初日から多くのお客様にご覧いただけている。開館以来の3年間を僕らと一緒に歩んでいただいた当館のお客様の「映画への嗅覚」を僕は誇りに思う。

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