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奇跡

Tenten2 ♪流行遅れの 恋の歌 今も君は口ずさむ
 季節はずれの風が吹く 冷たい墓の上に

『転々』のエンディングで流れるのは、ムーンライダーズの1976年の曲、『髭と口紅とバルコニー』だ。車内で流して聞いている。聞いているとよく分かる。死んじまった人間は帰ってきやしない、だけど帰ってきてくれたらいいよなあ、そんな「奇跡」を人は願い続けるのだと。

『転々』は独特の切なさを携えた映画である。50歳を過ぎた?借金取りのオヤジと借金を抱えた大学8年生の男。父と息子がそうであるかのように、世代の異なる男同士というものは、大抵相容れない付き合いになるものだが、この映画で実現しているのはそういうふたりが、"ふたりだけ"で東京散歩をするという非現実で気味の悪いシチュエーションだ。だがしかし、このふたりは息子のいないオヤジであり、親に捨てられた若造なのだ。そこがミソである。何やら『フィールド・オブ・ドリームス』的な臭いを発しつつ、ふたりは東京中を練り歩く。

ご覧になった方はお気づきになったかも知れないが、実は今、シネマテークで人の死がテーマの対照的な2作品が上映されている。カール・ドライヤーの『奇跡』は、三木聡の『転々』の対極にある作品だ。シネマテークの待合に流れているのは、死者が生き返るという「奇跡」と、死者は決して生き返らないという「現実」の前で人はどう生きるのかという深遠なテーマである。ドライヤーが聖なる作家で三木聡がそうではないと誰が言い切れるであろう。『奇跡』と『転々』、2スクリーン体制になったからこそ、この田舎町で巡り合うことになった2作品かもしれない。ああ、これもまた「奇跡」なのかもしれない。この「奇跡」をどうぞご堪能あれ。

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コメント

「転々」。予想をはるかに超えて面白かったです。三木聡・オダギリジョーのコンビがメインに宣伝されているが、なんと言っても三浦友和という「隠し味」が最高に効いているのではないか、と思いました。


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