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女の「覚悟」と「潔さ」

Tuya_4

Palm_3  2007年のベルリン国際映画祭で最高賞にあたる金熊賞を獲得した『トゥヤーの結婚』が、渋谷のBunkamura ル・シネマで上映されている。シネマテークたかさきでも上映を予定している作品だ。舞台は中国の内モンゴル自治区。下半身不随の元夫と子供ふたりを抱えながら、大草原の中を強く逞しく生きる牧畜民の女性・トゥヤーの再婚をめぐる物語である。劇中、吹雪の中、数十頭の羊と草原に出たまま戻らない息子を、母であるトゥヤーが探しに出かけるシーンがある。草原に生きる牧畜民にとって、羊は大切な収入源であり、 財産だ。ラクダの背に乗ってあちこちを駈けずりまわり、やっとのことで羊たちとともにいる息子を見つけたトゥヤーは彼を強く抱きしめ、こうつぶやく。「家に帰ろう。羊はいいよ。」と。彼女の"覚悟"を垣間見た瞬間だった。いのちを育む女性でなければ身につかない潔さだろう。この潔さの前では、男は為す術なしである。
 『トゥヤーの結婚』が最高賞に輝いたベルリンのコンペティションに一緒に出品されていたのが、現在当館で上映中の『やわらかい手』である。この『やわらかい手』で僕が目にしたのもやはり、この種の「覚悟」と「潔さ」であった。マリアンヌ・フェイスフル演じるごく普通の主婦マギーは、難病を患う孫・オリーの治療費をまかなうため、歓楽街のソーホー地区で、"接客業"をはじめる。マギーの第1の覚悟と潔さがここで見られる。それは「母性」によって導かれたものである。なぜ「覚悟」を必要とするのかといえば、"接客"とは婉曲表現であり、その実態は壁に空けられた穴を通して、男たちの"アレ"を"アノ方法"で"イカせる"風俗業だったからだ。戸惑いながらもマギーは次第次第にその"仕事"を自分のモノにしていく。そうやって稼いだ金を渡された父親である息子・トムは増幅した戸惑いを怒りに換え、母であるマギーを怒鳴りつける。それでもマギーは言うのだ。「自分のしたことに後悔はしていない」と。そうしてなお、こういった行為を"しでかした"ことから訪れる周囲のまなざしの変化にも、マギーはきっぱりと立ち向かっていく。
 さて、ありきたりの作品であれば物語がこのあたりまで進展したところで、チャンチャンとエンディングを迎えるのが普通であろう。しかし、この作品の素晴らしき点は、マギーが見せる第2の覚悟と潔さにあると僕は見ている。それは「母性」によってではなく、女というジェンダーによって導かれたものである。そうして迎えた見事な"潔い"エンディングに僕は思わず涙が溢れた。
 映画はすべて観ることからはじまる。この作品が含むセクシャルな表現、マリアンヌ自身ののスキャンダラスな過去、作品紹介にあたって触れられるそういった要素のひとつひとつが、『やわらかい手』という作品のエッセンスを見えにくくさせているように思えてならない。マギーが周囲との気まずい関係に屈することなく生きようとするその姿は、マリアンヌ・フェイスフル自身による彼女を取り巻く視線からの解放をも思わせる。観る前と観た後でこんなにも印象の違う映画は久しぶりだった。103分の後、思いもよらない"潔い"ラストシーンによって、マギーの"やわらかい手"があなた自身のこころを包み込むこととなる。

★『やわらかい手』は昨年のベルリン国際映画祭では『トゥヤーの結婚』に最高賞を奪われたかたちとなったが、ここ日本では観客によって非常に高い評価を得ることとなった。2007年度のキネマ旬報ベストテンでは、洋画部門で第6位にランクされている。

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