フォトアルバム
Powered by Six Apart

最近のトラックバック

 

« 実録!連合赤軍 | メイン | bianco »

I'm not there.

Heathledger  昨日10日、改正・性同一性障害特例法が衆議院を通過した。この改正により、心と体の性の不一致に苦悩している方々のうち、お子さんがいらっしゃる場合でも、その子が成人すれば戸籍上の性別を変えることができるようになった。これまでの法律では、それが適わなかったのだ。この改正案が通ったことを大きな前進だと思いたい。今後の動きにも注目したい。
 さて、社会における映画の役割は実にさまざまだ。性同一性障害を扱った映画といえば、ヒラリー・スワンクの衝撃的な演技と、カーディガンズのニーナの哀しみを湛えた歌声が印象深い『ボーイズ・ドント・クライ』(1999)がその代表だろうか。さまざま存在する映画の役割のひとつとして、不当に蓋をされている何かに光を当て、あるべき道筋と照らし出すという極めて大切な役割があることは映画ファンならずともご承知の上だろう。しかし、このような社会的役割を映画が実現するには、あのときのヒラリー・スワンクのように、それなりの役者がどうしても必要なのだ。
 今年1月、ヒース・レジャーが多種の薬物の併用による中毒で亡くなった。享年28歳。『チョコレート』では人種差別主義者である父親のアンチテーゼとして自殺を遂げる心優しい刑務官を、『ブロークバック・マウンテン』では同性愛に生きる寡黙なカウボーイを、『キャンディ』では薬物中毒のスパイラルに陥る青年詩人を演じ、これからの将来を嘱望されていた役者であった。彼は現代社会がオートマチックに創り出してしまう断崖の"へり"に立つ若者を演じ続けてきた。これからの映画界にどうしても必要な俳優であった。なぜならば、そういった断崖の存在や、断崖のへりに追い込まれ、その際に立つ人たちがこの世の中に少なからずいる、そのことを世に知らしめるという仕事を映画が果たすためには、それに相応しい役者がいなくてはならないからである。ヒースは現在上映中の『アイム・ノット・ゼア』で「6人のボブ・ディラン」のひとりとして、家庭崩壊に苛まれる男・ロビーを演じ、またもや断崖のへりに立っている。そのヒースが、もうこの世にはいない。演じ続けなければいけない役者であったと思う。"I'm not there"というタイトルが空しく心に響く。秋葉原の事件の衝撃を受け、社会がその断崖と対峙せざるを得ない状況下、僕らの劇場のスクリーンでは"そこにいない"はずのヒース・レジャーが、不敵な眼差しを観客席に向けて突き刺している。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/24816/12833850

I'm not there.を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。