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ゼア・ウィル・ビー・ブラッド   <OIL>

 いよいよ、本年度洋画ベストワン!と言い切っていいでしょう。18
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』がスタートしました。

 1920年代に書かれた小説『OIL』が現代に映画として姿を現したわけですが、
人間の情や欲というものは様々に形は変われどもいつの時代にも確固として<在る>もので、
それを見事に映画に封じ込めた一級品です。

 強欲、悲しみ、怒り、不安 カリフォルニアの広大な土地にそれらが ぐるぐると渦巻いていくのです。

 監督はポール・トーマス・アンダーソン。
『ブギーナイツ』で一躍その名を轟かせ、『マグノリア』でその地位を確立したかと思えば、『パンチドランクラブ』なるセンスの良い恋愛ドラマも描きあげる、その時々で実に柔軟に自分の感と技量を遺憾なく発揮出来る監督のお一人と思われますが、今回挑んだ大作は見事な花を咲かせています。

 古典的な映画の魅力と、同時に全く古めかしくならない鋭さのある映像と、その映像を更にもり立てる奇怪なそれでいてはまりにはまる音楽(レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドが担当!!)、唯一無二の空間を造り、ダニエル・デイ・ルイスが、ポール・ダノが素晴らしき迫真の演技で魅せきる2時間40分。

 あっ         という間に映画が終わってしまいます。驚きです。
たくさんの興奮が体中を駆け巡りながら映画館を後にすることでしょう。

語り尽くせる映画ですが語り過ぎてはならないと思うので、詳細には触れません。
ですが、ぜ ひ と も  ご覧いただきたい。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』8月22日金曜日までの上映です。

  お待ちしています!!

遅ればせながら でも 遅いことはない

 遅い遅いアップとなってしまいました。8月2日から『ひめゆり』が始まりました。

この映画の公開にはたくさんの方々の助けとご協力を頂きました。そのおかげで、初日には元ひめゆり学徒の与那覇百子さんに 劇場にお越しいただき、上映後に講演をして頂きました。素晴らしい出会いでした。会場にお越し頂いたお客様ありがとうございました。そして、この上映にご尽力頂いたIさんご夫妻、ねこさん、Sさんご夫妻、柴田監督、大兼久プロデューサー、宣伝担当の富士さん、皆さん本当にありがとうございます。すてきなすてきな上映初日でした。Dscn2307
 そして、初日2日目と、多忙を極める中でありながら、柴田監督は2日間舞台挨拶にたってくださいました。やわらかく、それでいて、言うことはっきりおっしゃる姿に一層の感銘をうけました。

 今回の上映で『ひめゆり』を観るのは3度目になりますが、百子さんと柴田監督のお話を聞きながら、改めて思った事がありました。
それは、何事にも もう遅いという事はない ということ。
それから、物事はすべて有限だ ということです。
 日常生活の中でも、つい、もう遅いな、とか今更だよな と思う事が多々あります。そういった場合大抵それを理由にやろうとしていることを止めてしまいがちですが、リミットを自分でつけてしまっている事の多さを改めて実感しました。しかしながらもちろんの事、本当に遅すぎる事はあります。物事にはすべて限度があるからです。
 自分で自分にリミットをかけない、生きる事の誠実さはそこにあるんではなかろうかと、生きる事に向き合い続けて来た百子さん、柴田監督の姿に教えて頂いたような気がしました。
 『いのちは有限なんだ。』という柴田監督の言葉がずうっと胸に残っています。

 『ひめゆり』は昨年の3月に東京で公開されました。ロードショー公開を経た作品が1年後また劇場で全国展開されていくというのは珍しいことですが、この作品はそれだけ<今を生きる>映画なのだと思います。
 経験者が経験したことを語るには想像を絶する苦しみがあると思いますが、言葉を受け取る側にも勇気がいります。双方の勇気をきちんと受けとめる為に、この作品はDVD化はされません。映画として、送り手と受けての顔がきちんと見える状態で伝えていく作品だと皆さんが認識されているからです。足を運んで映画館にお越しいただけたら嬉しいです。
 シネマテークたかさきで1週間上映しています。8月8日までです。未見の方、是非お越し下さい。一度ご覧になった方、その感想をまだ見ぬ方へお伝えください。一人でも多くの方にこの作品が、おばあちゃんたちの言葉が届くことを願っています。

 映画館での上映には、期限があります。しかしながら、もしこの作品をもっと多くの人とみたい、みせたい と思う方がいらっしゃいましたら、是非シネマテークたかさきまで、ご連絡ください。上映のお手伝いをさせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

 


 
 
 
 
 
 

三度来高:『ねこのひげ』

 7月5日初日を迎えた『ねこのひげ』。上映終了後、2回とも矢城監督と、企画・脚本・製作・主演の大城英司さんに舞台挨拶を頂きました。加えて、元FMぐんまでサイト911のパーソナリティをされていました宮本ゆみ子さんに司会をして頂くというなんとも素敵な舞台挨拶となりました。Dscn2259

 夜には公開を記念して「日本酒ナイト!」を敢行。初めての試みにどきどきものでしたが、監督・大城さん・宮本さんを交え、三月兎のマスターも交え、飲んで飲んでしゃべりましたね。皆さん!
とてもいい時間が流れました。ご参加頂いた皆さんありがとうございました。

 さて。
今日は7月7日。七夕のこの日、大城さんはまた、シネマテークたかさきにいます。
お昼過ぎに、『どうしても 見て頂いたお客様にお礼が言いたい。そして残り4日間の上映に一人でも多くの方にお越しいただきたいので、そのお願いがしたい。』と。おそらく電車に飛び乗ったご様子。

大城さんが高崎に来るのは今日で三度目。一度目は6月に『ねこのひげ』事前プロモーションで、ラジオ局に出演するため、そして当日舞台挨拶、そしてそして思い立ったが吉日の今日。

 私財をうって作り上げた映画、多くの仲間に支えられて作った映画が、とても素敵な作品になった。それを一人でも多くの方に見て頂きたいと願う。そのために自分の足で動く。
なかなか出来る事ではないんだと思います。

シネマテークたかさきでこの映画をかけると決めた途端に、その映画はシネマテークたかさきの 映画 になります。ほっといても人は来ません。観ては貰えません。私たちも、一人でも多くの方に観て頂きたいと思います。

 『ねこのひげ』を通して、製作側と劇場の気持ちが結ばれるとは嬉しい事ではありませんか。これが作品をご覧になる皆さんに広がれば言う事ありません。

みなさん。是非足を運んでみてください。映画は観た人のものです。観て良かったら、誰か思い浮かぶ人にお勧めしてみてください。ちょっと違うなーと思った人は、そのちょっと違う気持ちを他のどなたかに伝えてみてください。是非是非、そんなお願いをしたいと思います。

 6時50分上映終了後も大城さんはご挨拶してくださいます。是非皆さん、あつーい夏にあつーい男に会いに来てください。損はありません。

 大城さんブログ「行きがかり上」http://ikigakari.exblog.jp/



『ねこのひげ』:働くセンサー

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いよいよ、この日を迎えることになりました。
『ねこのひげ』7月5日から1週間限定上映が始まります。

 いわゆる、とっても小さな小さな 作品です。地方上映第一弾です。これから少しずつ全国的に広がっていく事を願ってやみません。

 本作は2005年に製作されました。自主上映作品のようなものだと言えばわかりやすいでしょうか。企画を立てる、お金集めをする、キャスト・スタッッフを集める、作品を完成させる、売り出す。すべてを自分たちの手で一生懸命やり遂げる。公開までに2年の月日が流れ、2008年にやっと劇場公開されました。
 こういった映画は山ほどあります。作られたけれども上映する場所がない そのために日の目を見る事なく埋もれていってしまう映画が五万とあります。それを由々しき問題として、少しでも多くの作品を上映していきたいとは思いますが、だからといって何でもかんでもというわけにはもちろんいきません。

 そこらへんは偉そうでも選ぶ目利きがなければならないと、劇場側としては思います。

 そして、出逢ったのが『ねこのひげ』です。
 男がいて、女がいて、出逢ってしまった二人が一緒に暮らしています。互いに離婚を経ての生活も3年目。小さなアパートで毎日が普通に過ぎていきます。猫の慎之助はいつものーんびりとそんな二人を見つめています。一方が寝ぼけ眼で起きて来たら、早起きしていた相方が珈琲を入れたりします。
 食事して、仕事して、買い物に行って、猫とじゃれて、仲間と飲んで。生活はそうやって過ぎていくけれど、もちろんそれぞれいろんな想いを抱えていたり時にはくじけたりします。そんなときは相方がだまって肩をさすってくれます。いろんなことがあるけれど、やっぱりそうやって時間は過ぎて生活は続いていきます。ひとりじゃないから進んでいける。距離が測れるから進んでいける。
 恋人がいて、気の合う仲間がいて、友だちがいて、心配してくれる家族がいて、一歩おいて自分をみる。そうやって人は一歩一歩前に進んでいくわけです。

 そんな人たちをカメラは優しいまなざして、じいっとゆっくりと捉えていきます。画面に彼らの感情が浮き出るかのように。
 事件を描こうとする昨今の映画とは趣が違います。
とってもゆるやかなそれでいてがっしりとした存在感のある、映画です。

 そしてやはりこういった風情をきっちり描き込むのはどうしたって役者陣の腕の見せ所だったりするわけで。実に。皆さんがいい味です。実は地味にかなり豪華なキャスト陣。

 是非、是非、足を運んでこの映画をご覧になってください。煌めく小品が埋もれないためには映画を上映する+そしてご覧頂く方がいる という事が一番と思っています。

 そしてそして。
初日には、矢城(やぎ)監督と、企画・製作・脚本そして主演をされた大城(おおき)英司さんにお越しいただきます!是非、是非、彼らに会いに皆さんいらしてください。
 14:50分の回、18:50分の回、両方に上映後ご登場頂きます。
皆様のお越しをお待ちしています。1

ヤーチャイカ:あいま

 昨年『日本の自転車泥棒』でお世話になったパグ・ポイントさんから総支配人のところへ電話が入ったのは今年のはじめ。
 「新しい作品が出来ますので、シネマテークさんでも上映頂けないでしょうか。」という。

 『日本の自転車泥棒』は とてもとても、不思議なかつ<ユニーク>な作品で大規模映画には出来ない、たぶんもち得る事の出来ない新鮮さと研ぎすまされた感性がビシビシ伝わって来るすごい映画だった。その制作を手がけた映画会社が次回作のお知らせをくださり、それは2人の詩人が監督をし、香川照之さんと尾野真千子さんが主演されるという。

 撮影開始間もないころでまだ全編出来上がっおらず、プロモーションVTRを魅せて頂き一気にこの作品への期待が高まりました。

 どんな作品になるんだろう。
 どんな映画になるんだろう。

 後日、届けられたチラシとポスターに一瞬目がくらみました。
え?これだけ?
 というのが正直なところ。
 写真映画 と銘打って出された宣伝展開、ポスターは絵柄を使わず、2色の色使いと文字だけ。
チラシは裏を返せば画像が出てはいますが、ファーストインプレッションは あの2色と文字。

 いわば、違うジャンルの人が映画の世界との融合を見せようとした画期的な企画もの映画なのだろう だから そうしたんだろうと、
最初はそんな風に思っていました。
 美しさを追求した映画で、どちらかと言えば アート系作品 と呼ぶべきものになるんだろうと。それを どちらかと言えば期待していたのです。

 写真映画 というキャッチフレーズを 丁寧に事前に観客に知らせる事の意味合いがそこにあるはずと思っていたわけで、つまりそれは 普通の映画と思って来たら肩すかしにあってしまう人が入るかもしれないから、いちお、そうじゃない事を先に言っておこうか 的な
ものかと 私の頭はそんな風に考えてしまったのですけれども。

 ちょっとした勘違いをしていたみたいです。

 手法は違えど、映画であって、心に心地よい余韻を残す、
どちらかと言えば、その余韻を残したり
感情と言葉と映像のあいま を 自分で辿っていく作業をしやすくしてくれる やわらかくあたたかな作品。でした。

 そして、写真映画 という新しい<ジャンル>でもあるのかと。
 そして、監督が このお二人であったからこそ出来た形であり作品であると思うのです。
 映画がいいのですがなんといいますが、写真が(通常映画に対して言うならカメラが)いい!
 当たり前ですれど…。

 ということで。
 あろうことか、この映画を観終えた後に
 この作品を紹介しようとした映画会社さんたちの意気込みと戦略と
 愛情を 理解したのでした。まだまだ修行が足りません。

 

あえて内容には触れません。
 皆さんの心で感じて頂く事にさまざまな『ヤーチャイカ』が
 完成されていくのだろうと思うので。

 この素敵な作品を なんと東京公開と同時に群馬のこの小さな映画館に出してくださるという素敵なプレゼントもついて、昨日の公開日を迎えたのです。

 お客様には関係のない事かもしれませんが、嬉しいのでわざわざいいます。
東京公開と同時にスタートです!!! すごいっす。

 すごいんです。皆さん。この映画を日本中のどこよりも最初に見られるチャンス!ですから。
是非。足を運んでください。
絶対損はありません。

 しかも今日は監督の谷川俊太郎さん、覚和歌子さん、主演の香川照之さんがシネマテークたかさきにお越し下さいます。お忙しい皆さんが駆けつけてくださるとは恐縮です。嬉しいです。
 おかげさまで舞台挨拶の回は2日前に全席満席となりましたが、
映画は2週間上映しております。是非、ご覧頂きたい逸品です。

 それから、ちょうど。
今、高崎は 全国都市緑化ぐんまフェア終盤戦。
高崎シティギャラリーでは、<谷川俊太郎 ことばとアート展>を開催中。
とても素敵な展示会になっています。
映画の前に、映画の後に 是非是非お立ち寄り下さい。

 皆様のお越しをお待ちしております。 

『君のためなら千回でも』:The kyte runner

 

_ ただ今上映中の『君のためなら千回でも』。 いつもは終了後少し間をおいてからゆっくりと劇場を後にされるお客様たちが、本作は終了後足早に劇場をでられます。人目につかぬようそっと涙を拭われるためで、劇場スタッフとしては嬉しい光景です。階段を下りる際、頭上に掲げた凧がまた違って見えたらなお嬉しいです。
 さて。
 本作は、世界で800万部も売り上げたベストセラーが原作で、アフガニスタンの激動期1970年代から現代に至まで、時代や運命に翻弄されながら成長した少年たちの友情と贖罪の物語。これを手がけたのが、『チョコレート』『ネバーランド』のマーク・フォースター。人間の弱さを知り得た上で、人の心根の強さを信じている監督の作家性が光ります。

 資産家の息子アミールと、彼の家の使用人の息子ハッサン。身分の差が明確にされながらも、彼らはそれぞれに互いを敬い想いあう親友で彼らの強い絆を象徴するのがタイトルです。原題は“The Kyte Runner”。凧追いという意味です。凧あげをするときにはアミールが上げた凧の糸を流し撒くのはハッサンの役割で、他の凧と競い合い糸を切って相手の凧を落とします。それを戦利品として追いかけて拾うのが Kite Runnner。ハッサンはとても優秀な凧追いであり、アミールの為なら千回だって凧を追うよと叫びます。原題と邦題二つで、彼らの関係性をうまく抽出しているようです。

 それほどの絆で結ばれている2人にもある出来事が降り掛かってしまい、アミールは保身の為にハッサンを裏切ってしまいます。時を同じくしてアフガンのソ連侵攻が始まり、そのままアミールはアメリカへ亡命。

 一度友を自らの手で手放し失ったアミールが友情と自分の中の誇りを取り戻す壮大な物語がここにはあります。そこにはアフガニスタンという国のさまざまな事象の背景がきっちりと浮かび上がってきます。社会的・政治的混乱、差別問題、内戦や荒廃など、さまざまな社会問題がこの物語の骨格を作り、そんな厳しい現実の中で、人間個人の尊厳、誇り、親子の愛情などが確実に息づいている事を知ります。それは流れて来るニュースだけでは知り得ない人間の生の営みなのだと思いました。
 そして何より、犯してしまった罪を悔い改めるのに遅すぎる事はないことを、この物語が伝えてくれます。30年分の想いを込めてアミールが祖国へ足を踏み入れる瞬間、自分も同じように、置き去りにして来た過去へ向き合う旅路へ旅立つようでした。
 涙なくしては語れない珠玉の感動作、どうぞお見逃しなく。

シアトリカル:三位一体

 

Photo 声を大にしてお伝えしたい『シアトリカル』の面白さ。
 <シアトリカル>とは、theatrical 1.演劇的な 2.芝居じみた という意味で、正直、観るまではこのタイトルがいささか頂けないんではないか、と思っていたのですが、これ実にいいタイトルです。

 これは唐十郎という、希代の天才演劇人と、彼を崇拝する唐組のメンバーと、それから才気あふれる一人の映画監督、誰一人が欠けても成立しない、まさしく三位一体<ドキュメンタリー>なのです。

まず、唐十郎。
 唐十郎さんは1940年生まれなので今年68歳。年齢というのはいろんなところに出て来るところだとは思いますが、この人の何がすごいかというと、目。少年のような目。と正直思いました。くるくると目まぐるしく変わる表情、動き、目つき、言動、全てが猪突猛進、天才的、破天荒、本当にこんな人がすぐ側にいたら周りの人間たまったものじゃない、と、思う。だがしかし。そのたまったもんじゃないはずの人、というのは往々にして魅力に溢れているわけで、どういうわけか引き込まれてしまう。勝手気侭なわがまま男というだけならば、誰もがついていくはずなどなく、何故に人々が自ら巻き込まれようとしてしまうのかといえば、はやり唐十郎の<芝居大好き>に他ならないだろう。寝ても覚めても芝居、彼の血肉は芝居。芝居。全部が芝居。
簡単に言っているようでこれというのはすごい事だ。自分はおろか、周りの人間までもそこに引きずり込んでしまって平気な顔をしている。とにかく芯がぶれない。だから人がついて来る。偏執狂唐十郎は、いつでも大真面目に芝居をする。

そしてそこに食らい付く劇団唐組の14人。
 一時期は40人以上いた劇団員も、撮影当時は14人。そのうち給料がもらえるのは唐を含めた7人だけ。台本は全て手書き、劇団員それぞれが手書き。役者は自ら劇場となるテントを張り、舞台セットを作り、チケットを作り、チラシを作り、売りさばく。全部手作り。地方公演にいくときは合宿状態の民宿(のようなところ)が鉄則、食器は持ち歩き、自炊。それがかれこれもう50年近く続いているスタイル。これには恐れ入る。
 入団20年目を迎えた鳥山さん、久保井さんらベテラン陣も紅テント公演ではもちろんすばらしき役者ではあるが、一般的には知られていないだろう。いわゆるメディア露出がないからである。そのことについて、監督が彼らに質問するシーンがある。他の表舞台でやっている人々をうらやましいとかおもわないのかと。それに対して言う台詞がすごい。
「唐十朗に一番近いのは俺たちだよ。」この誇り。映画を観ながら私が唸ってしまったのは言うまでもない。偏執狂唐十朗に20年以上ついていくのだもの、彼らも立派な芝居狂いであり、誰にもまね出来ない才能を持ち合わせている。だから一人一人の劇団員がまた魅力的。誰一人かすんでいかないのだ、映画の中で。

それをまんまと映し出したのが大島新監督。
 大島渚の次男である、新監督はこれが劇場デビュー作。世界的な映画監督大島渚を父にもった幼少期は苦悩に満ちていたようだけれど、父の背中を見て育った少年は、映像の世界に飛び込み、そこでドキュメンタリーという領域で本領を発揮していく。父と近いようで違うフィールドでのスタート。新監督はまずテレビのドキュメンタリー制作で地位を確立していき、実績を残している。
情熱大陸の唐十郎の回を担当したのが唐十朗との出会いで、「唐さんはテレビで収まる人じゃない」ということで今回の映画企画がスタートしたのだそうです。
 監督の風体はいたって<フツー>。生き方に力が入ってない、ように見える。実際にお会いした事もない人を捕まえて言うのもなんですが、そんな風に見える。というか感じる。
 そう。映画を観ていて監督の姿が見える、それこそドキュメンタリーの真髄なんじゃないかと実はちょっと私は思っている。
 この映画の醍醐味はドキュメンタリー映画の監督の存在がなんとなーく見え隠れして、最後にきっちり俺の映画だ、と見えて来るところ。これにはさらに参ったのでした。
 被写体を余すところなく活かし、泳がししているこの裁量がなければ、このおもしろき<シアトリカル>は成立し得ない。

 と。またもや勝手に私はそう観たのですが。
皆さんはいかがでしょうか…。

 是非。是非。ご覧ください!!

ヒトラーの贋札:誇り

  4月にして早くも、今年はすでに何本もの 唸る作品に出逢っておりますが、この『ヒトラーの贋札』もまたもや唸ってしまう一本です。3週間の上映ですがおそらくあっという間でしょう、皆さんどうぞお見逃しなくご覧頂きたい一品です。

 これは、ナチスドイツにおいて紙幣贋造に強制的に従事させられたユダヤ人たちの壮絶な物語。ナチス政権下のお話は数々ありますが、改めて、当時のヒトラーの世界征服の思想や活動の大きさと恐ろしさに震え、そして人間が人間を卑しめることの惨さと、生きる事を天秤にかけられるというあってはならない過去の事実から目をそらしてはならない事を実感させられました。同時に、行間を読む作業をいくつも残す映画の醍醐味に優れた物語でもあり、語弊はありますが、面白い、映画です。
 贋造師ソロヴィッチの収容所に行く前の飄々とした風格と彼をとりまく<普通の生活>から一転、収容所に行ってからの下りは、一瞬も気を許す事なく画面を見つめ続けてしまう緊張感に満ちたものがあります。人を人と思わない暴行といたぶりが、ベルンハルト作戦のために技術者としてソロヴィッチたちを<使う>時には、ほんの少しばかりの優遇さを見せる。その、堪え難いむちの後の飴に、彼らはすがるしかないものの、果てに待ち受ける最悪の結果を知っている彼らの恐怖が、否が応でも画面から伝わるのです。集められた彼らはそれぞれに優秀な技術を持ち、それゆえにおそらく完璧な仕事を成し遂げられる。故に、完璧にならない方法も知っている。いつかは他人の手によって断たれてしまう自分の命を知りながら、その駆け引き。
 おそらく実際も、そうやって死の恐怖から逃れる為に贋札造りに従事しながら、悪と正義の狭間で揺れ動く人々がいたに違いないけれど、この物語が本物らしい輝きを見せるのがやはり、自分の技術に対する自信と誇りが彼らの中にあったに違いない、その部分を描ききっているところだと思いました。
 とにもかくにも。
力作です。お見逃しなく。
Photo

猪熊さん

 大ヒット上映中の『人のセックスを笑うな』美術学生の19歳みるめと、美術学校の非常勤講師39歳ゆりを軸にした恋愛もの、でありますが、実は実はこの物語を語る上で忘れてはならない、重要な人物が、 猪熊さん。

 この 猪熊さん 何を隠そう、本作の隠れボスキャラ だと私は思っています。
彼がいないとユリが 活きない、んだな これが。K1035845288
大人の色気と包容力が、このふわあとした風貌の下に隠れている。

 『人のセックスを笑うな』は監督もおっしゃっているように、(初日舞台挨拶の模様をご参照ください)
1回目はみるめくん、2回目はえんちゃん と登場人物に気持ちを乗らせてみると最低4回は観れるのですが、そうしていくごとに知らず知らずにはまってしまうのが、猪熊さん。かめばかむほどに味が出て来るのが猪熊さん。
 実に。いい味です。猪熊さん。彼がいないと成り立たない。こういう実はひっそりじゃないのに、ひっそりキャラで描くのが井口監督はたまらなく上手い!と私は思います。
(余談ですが『犬猫』での隠れボスキャラは親友アベちゃんだと思う)

 で。この猪熊さんがシネマテークたかさきにいらっしゃる!なんてこと。
なんてすばらしいんだろう。
あがた森魚さんですが、あえて猪熊さんと呼びたいのです。

楽しみでならないっ。

皆さん是非猪熊さんに会いにいらしてください。
楽しい事が待ち受けていますよ。

詳しくはトップページでご確認ください。



眠り姫:幻が息づく時

 

Photo_3 七里圭監督を高崎にお呼びしたのが4年前、第18回高崎映画祭の若手監督特集で『のんきな姉さん』を上映したときだ。姉と弟の美しく、幻想的な愛の物語。どこか曖昧さを美徳とした風合いにまとめられた映画で、独特の映像センスと音楽の使い方からしても他のものとは一線を画すアーティスティックな作品とも言えた。映画の端々に、演劇的な空間の絵づくりや、美術に相当こだわっているとみえる<造り込み>が見えて、一種独特な現実制と異空間がまじりあっている。こんな映画を撮る方はどんな芸術肌の神経質そうな人が現れるかと思いきや、監督自身はとても柔らかな物腰の方。用意した控え室で一言「すいません、皆さんのところにいてもいいですか」と、わざわざ私たちスタッフがわいわいがやがやといるところの片隅に座り、にこにことその様子を眺めていたのが印象的だった。
 映画の不思議な魅力も然ることながら、七里監督自体に惚れ込んでしまった私は、その後の作品を楽しみにしていた。正直、商業的な映画に進出する事はないだろうと思っていたので、次回作がいつになるのだろうという気もしていた。それがほどなく、2005年5月に一通のお便りが届いた。『のんきな姉さん』の公開時、山本直樹の小部屋展というのを開催したのだけれど、そのイベントのために製作した映像作品を、映画にした、というのだ。この『眠り姫』は、室内楽団の生演奏付きで2日間だけ開催するという。ご連絡をいただいて、もう飛び上がる程嬉しかった。絶対行くぞ!とおもったものの、当時の私は仕事をしていたし、どうにもこうにも空けられなくて断念。もう二度とこの作品は見られないのだろうと、思っていた。室内楽団の生演奏付きなんて、きっと七里色一杯の映画に違いない、あの、幻想的でかみあうような噛み合ないような音楽の使い方…、でも私は好きなのだあの世界が。328750_01_02_02
 『眠り姫』は漫画家山本直樹さんの作品が原作、そしてその原点は内田百閒の「山高帽子」。せめてもと、内田百閒なんて作家その当時の私は知らなかったが、探し求めて一気に読んだ。なんとも不思議な世界。内田百閒は夏目漱石の門下、彼自身であろう青地という教師と、同じく門下であった芥川龍之介とおぼしき同僚の教師が登場し、なにやら不可思議な会話で成り立つ物語だ。
 顔が膨らんでいますよ、伸びていますよといった会話と、活字でもってその奇妙さ自体を演出する物語、そこに潜む人間と精神への探求。これがどんな映画になるのか…。
 声だけの出演でこの物語をどのように色付けるのか、興味が膨らむばかりでも、もう観られない。いつか、いつかまた上映の機会があれば、と思っていた。そうして、3年後、劇場公開されるという知らせが。
 待ちに待った作品は、幻想と瞑想の中に呼ばれるごとく、その映像に惹き込まれ、美しさに酔いしれた。人間が生活しているはずの空間に、その姿はなくぼんやりとした存在感だけが、嘘か真かのごとく映像に落とし込まれる。青地演じるつぐみさんの低くけだるい声、同僚の教師演じる西島秀俊さんのおどけたような、飄々としたものの言い、青地と山本浩司さん演じる彼氏との噛み合ない会話…、人間の虚ろさ空虚さが漂う空気とリズム。人間は絶え間なく騒がしい世界で過ごしているはずなのに、一歩さがってしまうとその騒がしさは頭上でぽわんぽわんと揺れているだけなのかもしれない。それが、人のいない景色となって浮き上がってくるようだ。
 言葉が悪いかもしれないが、この作品に対しての感想と言えば、向き不向き、肌馴染みがいい悪い、といった表現を使った方が早いのかもしれず、そういう意味でも私は間違いなく前者だったわけですが。
 作家性という色合いの作品のなかでも、どこかひっそりとした世界を感じさせる、自分色の映画の撮り方。公道をそれても我が道を行く、というよりは、公道の1m程離れた舗装されていない小道を、ゆっくりと、平行して進んでいく。そんな感じ。七里監督にしか出来ないわざ。
 とにもかくにも。
 こんな素敵な、でもおそらく大々的に世にはばかる事のないこの映画を、シネマテークたかさきで、上映出来る事が私は嬉しい。
 皆の反対を受けてでも(受けてないけど、)上映したかった映画だ。
是非多くの方にご覧頂きたい。すべてはまずは、観てから、ということで。

 初日14時45分の回、上映終了後には七里監督にお越しいただいて、舞台挨拶をして頂きます!とてもとても、穏やかな朴訥とした監督にまたお会い出来る事が今からとても、楽しみです。是非皆さん、七里監督に会いに来てください。お待ちしております。