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メリエスの末裔

Geneishi

現実の歴史は我々の夢を満たしえない。

スティーブン・ミルハウザー著
『幻影師、アイゼンハイム』より
 
 時は19世紀末、ハプスブルク帝国の終末期。皇帝フランツ・ヨーゼフ時代のウィーンにひとりの天才奇術師が現れる。その名はアイゼンハイム。現スロヴァキアの首都、プラティスラヴァのユダヤ系家具職人一家の長男として生まれた彼は、家具職人のせがれらしく、若い頃から手先が器用であった。10代の終わりにはすでに奇術に没頭し始め、そのすぐれたものづくりの才能によって、様々な奇術の仕掛けを作り上げていた。彼は24歳になっても奇術師として人前に立とうとはせず、腕のいい家具職人に留まっていたが、28歳のとき、突如としてウィーンの街に現れ、その後人々を混乱に陥れるほどの幻想世界を舞台で展開していくことになる。彼の最後の公演となった、あの伝説の舞台の日まで・・・。
 時同じくして、フランスではオーギュストとルイのリュミエール兄弟が、シネマトグラフを発明し、映画の歴史が幕を開けた。1895年12月、ロベール=ウーダン劇場の劇場主であった奇術師ジョルジュ・メリエスは、リュミエール兄弟の『工場の出口』を観て興奮し、映画の世界へとのめり込んでゆく。そしてここに、世界初の職業映画監督が誕生する。そう、プロの映画監督の歴史は、奇術師から始まったのである(後にメリエスは、SF映画の走りとなる『月世界旅行』という驚くべき想像力に満ちた作品を世に残すことになる)。
 アイゼンハイムが得意とした「オレンジの木」という芸は、映画『幻影師アイゼンハイム』の劇中において、物語の行方を左右する芸となるのだが、ミルハウザーの原作によれば、この芸はジョルジュ・メリエスが買い取った劇場の元オーナーである伝説の奇術師・ロベール=ウーダンが得意とした芸であるようだ。また原作には、あまりにも見事なアイゼンハイムの術の謎を解き明かすため、批評家たちはこぞって考察を試みたが、中にはリュミエール兄弟のが発明したばかりのシネマトグラフの利用も検討した批評家がいたというくだりもある。
 もちろん、幻影師アイゼンハイムは架空の人物であるが、時期的に重なる映画芸術の黎明と併せてこの映画を眺めるのは、実に面白い。第1次世界大戦により、絶対権力であったハプスブルク家が完全崩壊するその前夜、人々は奇術や映画に何を求めていたのだろう。世界が絶望的な世界戦争に向いつつあったこの頃、すでに人々の夢は現実世界では満たされることなく、現代と同じように街のあちらこちらに浮遊していたのだろうか。映画『幻影師アイゼンハイム』においても、重く暗い空気が街を漂う中、その悲劇は起こってしまう。アイゼンハイムが悲しみに暮れる程の・・・。しかしながら、職業監督ニール・バーガーが用意したのは、そんな絶望的な空気を引き裂くように現れる、まさに胸のすくようなラストシーンであった。メリエスが今に生きていたならば、きっとこんな映画を撮りたいと思ったに違いない。現代のジョルジュ・メリエス、ここにあり。必見の大傑作ならぬ、"大快作"である。

ぐるりのこと。パネル展開催中!!!!

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7月26日(土)いよいよ『ぐるりのこと。』 始まりました!!

上映に併せまして、『ぐるりのこと。』パネル展を上映期間中開催しています。

場所は、シネマテークたかさきより徒歩2分、さやもーる通りのカフェSLOWTIMEさんです!

3月上映の『人のセックスを笑うな』でリトグラフ展を開催したあのカフェです。

SLOWTIMEさんのホームページはこちら→http://slowtime.petit.cc/

映画のあのシーンがパネルになってお待ちしています。ぜひ、行ってみてください!

SLOWTIMEのイケメン(?)店主の楽しいトークつきです。

お店にはアート関連の書籍や県内アーティストによる雑貨など販売しています。また、カフェメニューも充実なので、映画のあとのひと休みは是非SLOWTIMEさんへ~~!

『ぐるりのこと。』 その3

Kataokareiko_2  「家庭」と「法廷」、韻を踏みながらも全くの別物に映るこの2つの空間が『ぐるりのこと。』の主な舞台だ。この2つの空間はねじれながらも、作品中に登場する2人の女優よって、僕らに興味深いつながりを見せつける。その女優のひとりは、まず家庭の側から、主演の木村多江。そしてもうひとりは、法廷の側から、橋口作品の常連・片岡礼子だ。
 とは言っても、片岡礼子が登場したのは、ものの1~2分だっただろうか。とても僅かな時間だった。そんな僅かな時間の中で、彼女は凄まじい存在感を僕らに見せつける。彼女が演じたのは、1999年に実際に起こった音羽幼女殺人事件の被告人の女だ。長男同士が同じ幼稚園に通う、当時彼女と友人関係にあった女性の2歳の次女を殺害した、あの事件の女である。映画の中で片岡礼子演じる女は法廷内でひたすらに謝罪の言葉を述べ、涙を流し続けている。
 それにしても、『二十才の微熱』『ハッシュ!』と過去の橋口作品でメインキャストを張ってきた女優に、橋口監督はなぜ、こんな"チョイ役"を用意したのか。そこには、橋口亮輔のミューズ・片岡礼子が演じなくてはならない理由があると考えるのが自然だろう。9年前の事件発生当時、テレビの報道はこぞって、これは「お受験」が引き起こした犯罪だと騒ぎ立てた。被害者の子が「お受験」に合格し、被告人の子が不合格となったことよる嫉妬心から引き起こされた事件との見解が先行したが、その一方で、地域住民や幼稚園の母親グループ、そして家族からも孤立した被告人が迷い込んだ孤独の世界にも注目が寄せられていった。この孤独の世界は、不器用ながらも決して離れることなく歩みを続けるカナオと翔子の夫婦が築く世界と表裏一体の関係を結ぶ。つまり、木村多江と片岡礼子は同じメビウスの輪の。その帯の上に立つ女性を演じていることになる。
 昨日、久しぶりに『二十才の微熱』を観た(残念ながらビデオでだったが)。橋口監督のデビュー作である本作は、片岡礼子の映画デビュー作でもある。1992年公開のこの作品で、片岡礼子はゲイバーで体を売る後輩に心を寄せる女子大生を演じている。セリフ回しも顔つきも、そのすべてが女優と呼ぶには早過ぎたけれども、若い俳優たちのそんな未熟な部分あってこその、この見事な青春映画でもあった。16年の後、完全な女優となった彼女は、幼子を殺した女の役でスクリーンに現れ、一瞬で観客の心を凍りつかせる程の芝居を見せつける。まるでそれが法廷ドキュメンタリーかと思わせる程の。
 法定画家のカナオは「法廷」で、そんな片岡らが演じる犯罪者たちの横顔を見つめつつ、「家庭」に戻れば妻・翔子を静かに支え続けている。「庭」にあって「廷」に無い、「广」の何たるかを『ぐるりのこと。』は、"ぐっ"と僕らに突きつけてくる。そして「广」を見失った女の目からこぼれた涙が、僕らとカナオの頭上に降り注ぐ。カナオはそこで何を思っただろうか。短いながらも、片岡礼子のそんな圧巻の場面は、いよいよ今日からスタートとなる『ぐるりのこと。』の白眉のひとつと言えるだろう。

『ぐるりのこと。』 その2

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 『ぐるりのこと。』を観たとき、なぜか『ジョゼと虎と魚たち』を観たときのことが、ふと頭に浮かんだ。主題歌「Peruna」の雰囲気とその本編との絡み具合が、『ジョゼと虎と魚たち』の「ハイウェイ」のそれとよく似ていたからだろうか?、と思ったのだがそうではなかった。僕が『ジョゼと虎と魚たち』を観たのは、忘れもしない4年半前の2003年12月30日だ。僕はこの日、渋谷のシネクイントで『ジョゼと虎と魚たち』を観ようと都内に向かったのだが、この日の上京にはもうひとつの"お目当て"があった。それは、その年の10月、六本木ヒルズにオープンした森美術館の開館記念展・「ハピネス展」を観ることだった。さらにその「ハピネス展」を訪れた目的はというと、近年再評価が進んでいる18世紀の画家・伊藤若冲の「鳥獣草木図屏風」(写真)を観るためだった。「升目描き」と呼ばれる画法で描かれたこの作品は膨大な数のマス目(一辺約1cm)で構成されており、その"ドット"ひとつひとつに色が塗られている。僕はその何万という升目の前で、その集合体である"モザイク画"から発せられる動物たちの生命力のたぎりにただもう圧倒され、そこに立ちすくしてしまった。こんな絵が200年以上も前の日本で描かれたとは・・・。近年は人が人の生命力を疑う時代だ。個人も社会も、"病む"ということにあまりにも慣れすぎている。僕はその若冲の仕事の前で、そんな現代社会の負の歯車の回転が"ぴたっ"と止まったような感覚を覚えたのだった。
 『ぐるりのこと。』のカナオと翔子は、学生時代に日本画を専攻したふたりである。予告編をご覧になった方はお気づきかと思うが、その予告編の最後にふたりがどこかの広間で仰向けに寝そべるシーンがある。そんなふたりが寝ころびながら、そして笑いながら見つめているのは、日本画で描かれた"天井画"。そこには色とりどりの草花が描かれている。予告編はその"天井画"を映して終わっている。
 芸術のちからは時を超える。先人たちの仕事の中に、こんな世の中の生き抜いていくためのヒントが隠されているかもしれない。伊藤若冲の仕事は『ぐるりのこと。』で、その"天井画"ではないところで登場してくるのだが、それが作品内でどう扱われているか、是非そこのところを見ていただきたい。人の生命力は失われた訳じゃない。くすぶりながら個々のハートに眠っているだけだ。僕は『ぐるりのこと。』からそんなことを思い、歯車が軋みながら停止した『2003年12月30日のこと。』を思い出したのだった。

『ぐるりのこと。』 その1

Gururi1  前作『ハッシュ!』から6年。26日(土)、期待の橋口亮輔監督の新作『ぐるりのこと。』が満を持しての登場となる。

 "ぐるりのこと"とは、身辺のこと、身のまわりの環境のことだという。この物語は、靴修理店で働く、能天気で楽天家の夫・カナオ(リリー・フランキー)と、出版社勤務のちょっと生真面目で几帳面な妻・翔子(木村多江)の身辺で起こる様々と、ふたりの心の内側のゆらめきから、崩壊、再生へと辿る道のりを綴った、この夫婦の10年史である。
 "めんどうくさいけど、いとおしい。いろいろあるけど、一緒にいたい"。これがこの映画のキャッチコピーである。そういえば、2日前のブログでも僕は"休漁"のテーマで、"面倒"について書いたのだった。なるほど、人生を語る上で、"人生はとは面倒なもの"ということを、まずは認めてしまう必要があるのかもしれない。僕らはその"面倒"の上に粛々と、日常という他愛もない積み木を積み上げているようなものだから。
 幸福の象徴たるはずの出産が死産となってしまったことによって、翔子の積み木は徐々に崩れ始める。結果、彼女は精神を病んでしまう。"面倒"は我が子の"死"につられて、この夫婦のもとにやってきた。そして数年が過ぎ、翔子に突如訪れた"面倒"は、日常の一部にすりかわり、癒えることなく翔子の内面に留まっている。彼女は仕事を辞めていた。カナオも靴修理屋を辞め、裁判所で被告人の横顔を描く法定画家として、90年代の犯罪史を生で見つめる毎日を送っている。それは、殺人の罪で法廷に立つ犯罪者たちと、我が子に命を与えられなかったことを心の傷として抱える翔子を、交互に見つめる毎日だ。
 "どんな困難に直面しても一緒に生きてゆく"というこの映画の紹介文に、特に"しても"の"も"の字に、いささかの違和感を覚える僕がいる。使い方が間違っているということじゃない。だって、個々の困難を解消するために夫婦というユニットがあるんでしょ、ということを言ってみたいだけかもしれない。たとえば、そんな困難を"面倒"と呼ぶのなら、夫婦生活とはそれをバラ色に塗ってみたり、土に植えて花を咲かそうとしてみたり、つまりは極めて具体的ではない理解不能な"面倒"と付き合っていく術を模索する旅ではないか。よりコンパクトに、より手軽になんてものばかりが評価されがちなこの時代に、それでも僕らがコンパクトにも手軽にも変容しないそんな"面倒"を、却ってひたすらに愛でようとする本能的な心の核の部分に、この映画は迫っている。幸せな結婚生活を送っている人、結婚生活に疲れている人、結婚生活を面倒だと思っている人、結婚を否定している人、結婚にあこがれている人、かつて結婚していた人、これから結婚する人、そんなすべての人たちに、シネマテークたかさきはこの『ぐるりのこと。』を贈りたいと思っている。

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 8/9から上映です!

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今年No.1の傑作です!!!! (By シネマテークたかさき総支配人・茂木正男)

この『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を含め、8月作品の前売券販売しています。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』1,500円

『ひめゆり』1,300円

『接吻』1,400円

『地上5センチの恋心』1,500円

『赤い風船』『白い馬』1,400円

7月作品

『コントロール』1,500円 (7/18まで販売)

『ぐるりのこと。』1,500円(劇場限定ペア券2枚で2,800円・7/25まで販売)

『ファーストフード・ネイション』1,500円 (7/18まで販売)

前売特典として、『コントロール』にはミニポスター、『ぐるりのこと。』にはヒマワリの種がつきます!

Dscn2272_2 ご覧になる際にはお得な前売券を是非お求めください!

休漁

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 原油価格高騰から来る全国一斉休漁のニュースとセットで、日本人の魚離れが巷で話題になっている。原因は肉料理に比べて、魚料理は手間がかかるからだとか。裁く手間もそうだが、食事の際に骨を除く手間、食後に焼き網を洗う手間などが総じて、「面倒」ということになっているらしい。そして、これに子供たちの「魚嫌い」が加わり、子供の好みが優先される食卓では特に「魚離れ」が進んでいるようだ。
 「手間」と「子供の好み」、これらには映画業界も悩まされてきたことだし、またこれらにすり寄るように解決を導き出し、なんとか生きながらえてもきた。もう何年も「肉体的にも、時間的にも不自由な映画館で映画を観る」ことが「手間」とされ、家庭内でビデオ・DVDを気楽に視聴したがる傾向は変わらないし(それで映画を観たことにしてしまう勘違いの傾向も)、夏休みともなれば、劇場が「子供向けの作品ラインナップ」で集客を求める傾向も変わってはいない。
 さて、魚を食すことは、僕らが誇る文化だ。文化というものは繁栄もするが、簡単に衰退もする。大人たちが子供たちに魚を食す喜びを教え、伝える努力をしなければ、この文化はきっと滅びる。すでに「魚がなければ代わりの何かで」というような家庭の声が、「魚離れ」の記事の後に続いている。そこには、本当に魚が売り場から消えてなくなるとまでは思ってはいない余裕が感じられる。
 『靖国 YASUKUNI』がスタートして3日が過ぎた。平日の今日も、多くのお客様にご来場をいただいた。平日は常に苦戦を強いられている劇場としては、大変にありがたいことである。しかし(やはり)、お越しいただいているお客様の多くは年配の方々。劇場で映画を観るという「手間」を、喜びと感じられる大人の方々だ。当館では『靖国 YASUKUNI』終了後、やはり戦争を題材としたドキュメンタリー、『ひめゆり』の上映が控えている。そして、26日からの『ぐるりのこと。』、その後に続く『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『接吻』『歩いても、歩いても』など、骨が多くて簡単には食べにくいラインナップで、僕らはこの夏を勝負しようと考えている(もちろん、そうでない作品もあるが)。夏休みだというのに。
 日本全国一斉休漁の犯人が、原油価格の高騰を招いた投機筋であることに間違いはないだろう。しかし、果たして犯人は本当にそれだけか。僕は日本全国の映画館が上映を止める日のことを想像してみる。阪本順治の『闇の子供たち』や黒沢清の『トウキョウソナタ』のフィルムが、映写機に掛けられることなく放置されている映写室で、僕は映画が当たり前に上映されていたときの喜びを空想し、落胆している。こんな日が来ないことを祈るばかりだ。
 傑作は、良質の観客と上映環境から生まれる。末端の現場こそが、業界全体を変えることができる、僕はそう考えている。「映画離れ」を食い止めるために、僕らは何ができるだろうか。明日15日、日本全国で"漁"が止む。

『靖国』上映に際して

 『靖国YASUKUNI』たくさんのお問い合せをありがとうございます。

7月12日より上映開始となりますが、土日は混雑が予想されますので初回を除く全ての回に
整理券を配布します。
受付開始時刻は 朝9時30分です。

初回については受付順に劇場にお入り頂きます。

整理券配布方法
 前売券、ぴあ回数券、招待券等お持ちのお客様は一度受付にお越しいただき整理券と引き換えが必要です。当日券のお客様はチケットご購入の際に整理券をお渡しいたします。
土日にご鑑賞をされる場合には、
必ず、一度受付にお越しいただき整理券をお受け取り下さい。

 各回定員に達し次第受付は終了いたしますので予めご了承下さい。

皆様のお越しをお待ちしております。

三度来高:『ねこのひげ』

 7月5日初日を迎えた『ねこのひげ』。上映終了後、2回とも矢城監督と、企画・脚本・製作・主演の大城英司さんに舞台挨拶を頂きました。加えて、元FMぐんまでサイト911のパーソナリティをされていました宮本ゆみ子さんに司会をして頂くというなんとも素敵な舞台挨拶となりました。Dscn2259

 夜には公開を記念して「日本酒ナイト!」を敢行。初めての試みにどきどきものでしたが、監督・大城さん・宮本さんを交え、三月兎のマスターも交え、飲んで飲んでしゃべりましたね。皆さん!
とてもいい時間が流れました。ご参加頂いた皆さんありがとうございました。

 さて。
今日は7月7日。七夕のこの日、大城さんはまた、シネマテークたかさきにいます。
お昼過ぎに、『どうしても 見て頂いたお客様にお礼が言いたい。そして残り4日間の上映に一人でも多くの方にお越しいただきたいので、そのお願いがしたい。』と。おそらく電車に飛び乗ったご様子。

大城さんが高崎に来るのは今日で三度目。一度目は6月に『ねこのひげ』事前プロモーションで、ラジオ局に出演するため、そして当日舞台挨拶、そしてそして思い立ったが吉日の今日。

 私財をうって作り上げた映画、多くの仲間に支えられて作った映画が、とても素敵な作品になった。それを一人でも多くの方に見て頂きたいと願う。そのために自分の足で動く。
なかなか出来る事ではないんだと思います。

シネマテークたかさきでこの映画をかけると決めた途端に、その映画はシネマテークたかさきの 映画 になります。ほっといても人は来ません。観ては貰えません。私たちも、一人でも多くの方に観て頂きたいと思います。

 『ねこのひげ』を通して、製作側と劇場の気持ちが結ばれるとは嬉しい事ではありませんか。これが作品をご覧になる皆さんに広がれば言う事ありません。

みなさん。是非足を運んでみてください。映画は観た人のものです。観て良かったら、誰か思い浮かぶ人にお勧めしてみてください。ちょっと違うなーと思った人は、そのちょっと違う気持ちを他のどなたかに伝えてみてください。是非是非、そんなお願いをしたいと思います。

 6時50分上映終了後も大城さんはご挨拶してくださいます。是非皆さん、あつーい夏にあつーい男に会いに来てください。損はありません。

 大城さんブログ「行きがかり上」http://ikigakari.exblog.jp/



『ねこのひげ』:働くセンサー

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いよいよ、この日を迎えることになりました。
『ねこのひげ』7月5日から1週間限定上映が始まります。

 いわゆる、とっても小さな小さな 作品です。地方上映第一弾です。これから少しずつ全国的に広がっていく事を願ってやみません。

 本作は2005年に製作されました。自主上映作品のようなものだと言えばわかりやすいでしょうか。企画を立てる、お金集めをする、キャスト・スタッッフを集める、作品を完成させる、売り出す。すべてを自分たちの手で一生懸命やり遂げる。公開までに2年の月日が流れ、2008年にやっと劇場公開されました。
 こういった映画は山ほどあります。作られたけれども上映する場所がない そのために日の目を見る事なく埋もれていってしまう映画が五万とあります。それを由々しき問題として、少しでも多くの作品を上映していきたいとは思いますが、だからといって何でもかんでもというわけにはもちろんいきません。

 そこらへんは偉そうでも選ぶ目利きがなければならないと、劇場側としては思います。

 そして、出逢ったのが『ねこのひげ』です。
 男がいて、女がいて、出逢ってしまった二人が一緒に暮らしています。互いに離婚を経ての生活も3年目。小さなアパートで毎日が普通に過ぎていきます。猫の慎之助はいつものーんびりとそんな二人を見つめています。一方が寝ぼけ眼で起きて来たら、早起きしていた相方が珈琲を入れたりします。
 食事して、仕事して、買い物に行って、猫とじゃれて、仲間と飲んで。生活はそうやって過ぎていくけれど、もちろんそれぞれいろんな想いを抱えていたり時にはくじけたりします。そんなときは相方がだまって肩をさすってくれます。いろんなことがあるけれど、やっぱりそうやって時間は過ぎて生活は続いていきます。ひとりじゃないから進んでいける。距離が測れるから進んでいける。
 恋人がいて、気の合う仲間がいて、友だちがいて、心配してくれる家族がいて、一歩おいて自分をみる。そうやって人は一歩一歩前に進んでいくわけです。

 そんな人たちをカメラは優しいまなざして、じいっとゆっくりと捉えていきます。画面に彼らの感情が浮き出るかのように。
 事件を描こうとする昨今の映画とは趣が違います。
とってもゆるやかなそれでいてがっしりとした存在感のある、映画です。

 そしてやはりこういった風情をきっちり描き込むのはどうしたって役者陣の腕の見せ所だったりするわけで。実に。皆さんがいい味です。実は地味にかなり豪華なキャスト陣。

 是非、是非、足を運んでこの映画をご覧になってください。煌めく小品が埋もれないためには映画を上映する+そしてご覧頂く方がいる という事が一番と思っています。

 そしてそして。
初日には、矢城(やぎ)監督と、企画・製作・脚本そして主演をされた大城(おおき)英司さんにお越しいただきます!是非、是非、彼らに会いに皆さんいらしてください。
 14:50分の回、18:50分の回、両方に上映後ご登場頂きます。
皆様のお越しをお待ちしています。1