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今週から…

今週から、キーラ・ナイトレイ主演『つぐない』始まります。

また、ロイ・アンダーソン監督の新作『愛おしき隣人』と、同監督が25歳で撮った『スウェーディッシュラブストーリー』も始まりました。きっと初恋の思い出が甦ります。ぜひ、2本ともご覧ください!

それから「市川崑監督特集」の『おとうと』、『ぼんち』は1週間限定です!お見逃しなく!

++++今週の販売物+++++

パーク アンド ラブホテル

パンフレット…800円

つぐない

パンフレット…800円

愛おしき隣人

パンフレット…600円

B2ポスター…500円

ポストカード…150円

スウェーディッシュラブストーリー

パンフレット…500円

B2ポスター…500円

ポストカード…150円

ロイ・アンダーソン監督の前作

散歩する惑星

パンフレット…500円

Dscn2185 Dscn2186愛おしき隣人 のパンフレットに、

  1.    スウェーディッシュラブストーリー の
  2.    パンフレットが入ます!

Dscn2188_2

←1番最後のページに専用ポケットがついてます!

というわけで、パンフレットは是非!両方  お求めください。

どちらでもない世界

Park2  『パーク アンド ラブホテル』の素晴らしさについて、もう少し続けよう。ラブホテルのオーナー・艶子と関わることになる3人の女性にはそれぞれに事情があって、それぞれに人生の壁にぶつかっている。彼女たち3人の生き方やものの考え方にも、多少の問題はあるだろう。もう少しなんとかならないものか、そんな思いがあたまをよぎらないわけではない。しかしこの映画は、そんな彼女たちに宿る問題の良し悪しを語ることなく、そこはかとなく淡々と綴る。「問題あり」の3人を決して悪者(わるもの)にすることもない。彼女らを迎える艶子も、観察者でも傍観者でもない目線でそれに応えている。まさにこのフラットな感覚こそが、この映画のリアリティを生んでいるのだと思う。
 物語の登場人物を悪く仕立てるのは容易い。そこに善人を創り出すのも。しかし、その2つを明確に描いた上で、「ほら、やっぱり善人にこそ幸せは訪れるのです」というようなオチをつけることには甚だ疑問だ。そんなストーリーは、現実世界のどこにだって転がっちゃあいない。誰もかれもが善であって悪であって、そのどちらでもない。それが現実だろう。この映画が僕らを惹きつけるのは、そんな「見極めることができない現実」をしっかりと見極めている点にあると思う。
 今週が上映最終週の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』も、そういう意味では実に見事に物語の内に「悪」を創っていない。たぶんそれは若松監督がもっとも気をつかったポイントではなかっただろうか。僕はこんな風に思っている。簡単に何かを「悪」と決めつけられなかったからこそ、『実録・連合赤軍』が誕生したのだと。被害者でもあると同時に加害者でもあるという彼らの抱える不確定要素こそが、まさしくこの事件が現実世界で起こったものとしての何よりの証拠であり、事件をいまだに「わからないもの」とし、総括から遠ざけている理由ではないか。
 この2つの作品は、善と悪とそのどちらでもないものが混じり合う現実から逃げていない。今年のベルリン国際映画祭が、この2作品に最優秀アジア映画賞・国際芸術映画評論連盟賞(『実録・連合赤軍』)と最優秀新人作品賞(『パーク アンド ラブホテル』)を贈ったことはとても興味深いことだ。たとえば世界がわかりやすく単純な二元論でできているならば、映画を観ることにはきっと意味がない。だけど僕らはいま、映画を観ずにはいられないような、わかりにくく複雑怪奇な世界に生かされている。そのことだけは確かだ。

前売券情報

2008062318340000_2 7月・8月と公開予定の作品はまさしく怒濤のラインナップです。 
待ちに待って頂いた作品も多数あります。
そんな作品の前売券をシネマテークたかさきでは発売しています。
前売特典も様々についていますので、是非、ご利用下さい!

現在販売中の前売券
『つぐない』6/28〜7/11
『プルミエール』7/12〜25
『迷子の警察音楽隊』7/5〜18
『コントロール』7/19〜8/1 ☆前売特典:ミニポ スター
『ファーストフードネーション』7/19〜8/1
   上記全て前売1500円
*************************

『ねこのひげ』7/5〜11 
『YASUKUNI 靖国』7/12〜8/1
   前売券1300円
*************************

『スウェーディッシュラブストーリー』
『愛おしき隣人』
 ペア券 2600円(各1作品は1500円)

*************************

『ぐるりのこと』☆前売特典:幸せを呼ぶひまわりのたね
 ペア券 2800円(1枚でのご購入は1500円)

*************************



パーク アンド シネマテーク

Park  李相日監督の『BORDER LINE』、内田けんじ監督の『運命じゃない人』、群青いろの『14歳』などなど、PFFスカラシップから生まれ出る作品にはずっと心を踊らされてきた。若手監督の作品とはいえ、見事に唸ってしまうような作品ぞろいである。このPFFスカラシップとは、PFFアワードの受賞監督から企画を募り、厳しい審査を勝ち抜いたただ1つの企画に制作の機会が与えられる制度だ。現在上映中の『パーク アンド ラブホテル』は、昨年度の第17回PFFスカラシップ選出作品である。そしてご覧いただければ分かるとおり、この映画は紛れもない傑作だ。
 とある街の一角に建つ昭和の香り漂うラブホテル。まるで吸い寄せられるかのように、なぜか子供や年寄りがここへ入っていく。その訳はこのラブホテルを経営する艶子が、ここの屋上を近所の人々の憩いの場たる公園として解放しているからだ。物語はオーナーであるその中年女性・艶子(りりィ)と、それぞれの理由で思い悩みながら、ここで人生の寄り道をすることになる3人の女性(梶原ひかり・ちはる・神農 幸)とのかかわりを描く。
 この映画は3人の女性たちがこのラブホテルに立ち寄ったことをきっかけに果たす再生と、そこで彼女たちに訪れる幸せのかたちを描いてゆく、つまりはそういう話であることには間違いない。しかしこの映画は、よくありがちな傷つき傷つけられた女性の単なる再生神話ではない。熊坂監督の握ったペンは、従来とはその姿を変えつつある「幸せ」のかたち、それがどういうものであるかを見事に描ききっている。そこが素晴らしい。
 では、その姿を変えつつある「幸せ」とはいったいどんなものか。それは物質的で、具体的で、明確なもの、どうやらそれはそんなものではない。ましてや手に入れるという類のものでもない。ここで語られているのは、そんな手のひらに乗ってしまうような、はっきりとしたかたちある何かではない。ここはそういうかたちある幸せや足し算の幸せを語る場ではなく、彼女たちが背負ってきた積荷をその肩から降ろす場所だ。そのような荷を降ろす行為、そしてふと日常のどこかで荷を降ろせるような場所を知っているということ、そのことが大切だ。足し算よりも、むしろそのような引き算について、僕らはそのことをより「幸せ」と呼ぶようになってきたということだ。

 「いいですね、ここ・・・」
ちはる演じる主婦・月が、ベンチに腰かけながら、この空中公園に集う人々を眺めながらふとこう漏らす。おそらく彼女はそうつぶやいた瞬間に、その重い荷をそっと足下に置いたことだろう。さて、これを読んでいるあなたには、「いいですね、ここ」と呼べる場所があるだろうか?「あります」という答えが聞ければ嬉しい。ひょっとしてそれが僕らの映画館であれば、もっと嬉しい。映画を観て感慨に耽る、涙を流す、笑う、昔の何かを思い出す、つまりは新しいイメージを新たに脳裏に刷り込む場所、それが映画館だ。しかし映画館とは単にそれだけの場所ではない。席を立つとき、あなたはきっと知らず知らずのうちにあなたが抱えてきた荷のいくつかを、座席の下に置いているはずだ。そしてその荷はそのままに、あなたは帰る。あなたが置いた荷は劇場スタッフが毎日当たり前のように掃除しているから大丈夫。だってほら、スクリーンの中でも、艶子が毎日ホテルの前に吹き溜まるどこからきたのか分からないような塵やゴミをやはり掃除しているじゃないか。
 
 「日が暮れたら人間は家に帰るものなの」
 そう艶子に急かされて、公園に集う面々は(まだ帰りたくないけれど仕方なしに)それぞれの家路に着く。そして誰もいなくなった公園で、艶子はひとり静寂を聞く。エンドロールが上下に流れ、やがて映画が終わる。場内が明るくなり、ついさっきまで公園を映していたスクリーンは今はもう真っ白だ。ああ、とてもいい映画を観た。さっきまで重かった肩が何だか軽い。余韻とともにあるこの時間が好きだ。今感じた素晴らしさを僕は(わたしは)まだかたちにもことばにもできていない。何だかまだ帰りたくない。そういうすべて、そういう映画が呼び込むすべてと、そういう時間を知っていることのすべてをひっくるめて、「幸せ」と呼ぶのだと思う。映画館とは、そういう「幸せ」を呼び込む場であり、そんな「幸せ」を呼び込んでくれる『パーク アンド ラブホテル』のような映画をかけ続ける場でなくてはならないだろう。

 『パーク アンド ラブホテル』・熊坂出監督のティーチイン、開催決定!くわしくはこちら

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Arata_4   『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』が好調だ。その理由は語るまでもなく、うやむやにされてきた視界の利かないその先の世界、学生運動から山岳ベース、あさま山荘にいたる事件の内側を僕らがどうしても視認したいがためだろう。この群像劇のあまたの登場人物の中でひとり。どうしても他人に思うことができないあるひとりの男性に僕の心が傾く。「総括」という名の粛清が行われた榛名の山岳ベースで、彼は上から数えて3番目の幹部としてそこにいた。幹部とはいえ、おそらくは疑問を感じながらも最高幹部の森や永田に逆らうことができず、「総括」を幇助し、仲間を血祭りにあげた。あさま山荘では、銃による殲滅戦を貫徹しようとしたか、はたまた走り出した感情を抑えることができなかったのか、森・永田の逮捕の後、半ば「最高幹部」に押し上げられたかたちで、彼は国家権力に銃口を向けた。その人物の名は、坂口弘という。

 自立をした人間になれと言われても、僕らの意思決定がどれだけ自己発生的なものであり続けることができるだろうか。そんな赤色に染まる強靭な意志を持つ人間がどれだけいるというのか。「連合赤軍」と名乗りつつも、その各々の心の色までが果たして、鬼や炎や血液の赤色だったろうか。映画の中の坂口弘は、少なくともそうではなかった。そこに透けて見えたのはむしろ青だ。若さや理性や冷静さや誠実さの青。そういう青を内に抱える人物像だ。

 そんな坂口弘を映画の中で演じたのが、ARATAだ。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は「赤」の映画ではない。エンドロールが流れるスクリーンに、僕は深い「青」が滲み出てくるのを見た。グラフィックデザインの世界では、印刷物等の上下に同色の帯を用いることを「締める」という。こうすることでデザイン全体が引き締まることがあるからだ。ARATAの存在感により、この作品の天地には青の帯が敷かれた。憂いと哀しみの青。眼に見えずとも天地を青に締められたスクリーンに、僕は不思議な安らぎを覚えた。

 そして、これは「たら・れば」の話になってしまうのだが、あの山岳ベースに「緑」の大地のような包容力のある存在がいてくれたらと、いま心から思う。連合赤軍が年齢の近い者同士の集団だったことを考えれば、それは男性でも女性でもいい、森や永田や坂口らとは別の視座を得ている年長者がいれば、彼らの運命は違ったものになっていたかもしれない。社会は様々な年齢層によって構成されてしかるべきなのだから。光の赤、青、緑はそれぞれ混ざり合うと白になる。白になり得なかった空間で、赤と青がせめぎ合い、12人の命が失われた。そして皮肉にも、連合赤軍最後の戦闘の舞台はあさま山荘、白色の雪景色の中での銃撃戦となってしまった。

 死刑が確定している坂口氏は1986年から現在に至るまで、獄中で短歌を詠み続けている。作品を観て、昨年11月に出版された氏の歌集『常しへの道』(角川書店)を読んだ。彼の師匠・佐佐木幸綱氏が綴るあとがきの言葉通りに、僕はこの歌集を死刑囚としてではなく、歌人・坂口弘の著作として読み進めた。この歌集からいくつかの歌を紹介したい。

好みの色は 赤色と無理に答えにき 感性よりも思想の吾は

染みのある白きセーターを 他の色に染むるごときか 事件の総括は

一夜明けて 雪化粧せるアルプスよ 連赤の名も厳かに変れ

 彼を他人と認めることができなかった理由は簡単だ。走り、叫び、苦しみ、悩むその姿。他でもない僕が坂口であり、僕らが坂口であるからだ。幸か不幸か、1972年2月、彼はあさま山荘で銃を手にしていた。幸か不幸か、2008年6月、僕らはそこからほど近い高崎の街で彼の映画を観ている。もしかしたら僕らが銃を手にして、彼が映画を観ている人生だってあり得たかもしれない。白銀の世界を背にしたARATAという白く、透明感のある役者の一挙手一投足に、僕はそんな幻を見た。  

※6月20日(金)『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』16:30の回 ARATAさんの舞台挨拶が決定。詳しくはこちら→click!

I'm not there.

Heathledger  昨日10日、改正・性同一性障害特例法が衆議院を通過した。この改正により、心と体の性の不一致に苦悩している方々のうち、お子さんがいらっしゃる場合でも、その子が成人すれば戸籍上の性別を変えることができるようになった。これまでの法律では、それが適わなかったのだ。この改正案が通ったことを大きな前進だと思いたい。今後の動きにも注目したい。
 さて、社会における映画の役割は実にさまざまだ。性同一性障害を扱った映画といえば、ヒラリー・スワンクの衝撃的な演技と、カーディガンズのニーナの哀しみを湛えた歌声が印象深い『ボーイズ・ドント・クライ』(1999)がその代表だろうか。さまざま存在する映画の役割のひとつとして、不当に蓋をされている何かに光を当て、あるべき道筋と照らし出すという極めて大切な役割があることは映画ファンならずともご承知の上だろう。しかし、このような社会的役割を映画が実現するには、あのときのヒラリー・スワンクのように、それなりの役者がどうしても必要なのだ。
 今年1月、ヒース・レジャーが多種の薬物の併用による中毒で亡くなった。享年28歳。『チョコレート』では人種差別主義者である父親のアンチテーゼとして自殺を遂げる心優しい刑務官を、『ブロークバック・マウンテン』では同性愛に生きる寡黙なカウボーイを、『キャンディ』では薬物中毒のスパイラルに陥る青年詩人を演じ、これからの将来を嘱望されていた役者であった。彼は現代社会がオートマチックに創り出してしまう断崖の"へり"に立つ若者を演じ続けてきた。これからの映画界にどうしても必要な俳優であった。なぜならば、そういった断崖の存在や、断崖のへりに追い込まれ、その際に立つ人たちがこの世の中に少なからずいる、そのことを世に知らしめるという仕事を映画が果たすためには、それに相応しい役者がいなくてはならないからである。ヒースは現在上映中の『アイム・ノット・ゼア』で「6人のボブ・ディラン」のひとりとして、家庭崩壊に苛まれる男・ロビーを演じ、またもや断崖のへりに立っている。そのヒースが、もうこの世にはいない。演じ続けなければいけない役者であったと思う。"I'm not there"というタイトルが空しく心に響く。秋葉原の事件の衝撃を受け、社会がその断崖と対峙せざるを得ない状況下、僕らの劇場のスクリーンでは"そこにいない"はずのヒース・レジャーが、不敵な眼差しを観客席に向けて突き刺している。

実録!連合赤軍

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程、7日に始まりました。

初日は若松監督の舞台挨拶もあり満席、その後も良い調子で上映しています!

14日には、俳優・並木愛枝さんが舞台挨拶にいらっしゃいます。まだ予約受付中です。この機会にぜひ!ご参加ください!!

+++ 今週の販売物 +++

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

公式ガイドブック…1,470円

ARATAデザイン・Tシャツ(S/M/L)…4,200円

アイム・ノット・ゼア

パンフレット…700円

ポストカード…150円

ヤーチャイカ

パンフレット…700円

覚和歌子 詩集「ゼロになるからだ」…1,680円

トゥヤーの結婚

パンフレット…700円Dscn2142_2 Dscn2143

シネマテークたかさきで1番若いスタッフたちが持っているのが、ARATAデザインのTシャツ!

ガイドブックは少し高いな…と思われがちですが、内容の充実度に満足してもらえること間違いなしです!!

受付に見本がありますので試し読みしてください!

ゼロの詩(うた)

Kagawa  つい先ほど、覚和歌子さんの物語詩集『ゼロになるからだ』を読了。映画『ヤーチャイカ』の原作。その世界観に圧倒され、その素晴らしさに言葉を失う。
 映画を撮られた方だもの、「覚和歌子監督」とお呼びしなくてはならないのが通例。でも僕は、実はこの「カントク」というカクカクした響きがあまり好きではない。覚さんの「カク」という音に、さらにまたカクカクを上塗りすることもないだろうし、本と昨日の舞台挨拶でのあまりにもやわらかな印象から、その通例は捨てたいと思う。その方にふさわしい呼び方があるってもんだ。さて・・・、

 呼吸する映画、それも寝息のリズムで。

 僕の、『ヤーチャイカ』を観ての印象だ。大変多くの写真をつないで構成されているこの作品は、その一枚一枚の"つなぎ目"のところで、映画が確かに呼吸をしている。それも寝息のリズムで。正午と新菜、主人公2人の名に込められた"ゼロになること"と"新たな始まり"は、そのままこの物語の核となっている。ところがだ、僕ら現代人の生活は、いくら眠っても"ゼロ"になることを許されていない上、インダス文明が獲得して以来の"ゼロの概念"は肉体と精神のバランスの維持向上に、あまりにも応用されていないままだ。僕らは前日の鬱蒼とした思いを引きずるだけ引きずって眠り、また「前日の続き」としての朝を迎える。そして、"ゼロになる"ことの意味を"自殺"という行為だと捉え、命を落とす日本人が毎年3万人もいる。かつて高校教師であった正午も、校内暴力事件の果てに生徒をひとり死なせてしまい、落胆の末、自らの命を絶つべく物語の舞台となる村にやってきたのだった。
 覚さんと共同監督の谷川俊太郎さんには、同じ「からだ」という題名の詩がそれぞれの作品として存在する。全文をここに書くことができないのが歯がゆいが、『ゼロになるからだ』に収められている覚さんのそれには、人の胴体手足にはそれぞれに生かされている意味があると詠われている。キスするためのくちびる、キスされるための頬、そして朝焼けを見るため瞳だと。また谷川さんのそれは、たったひとつの分子にもいのちはひそんでおり、それは死の沈黙よりも深く、くりかえす死のはての今日によみがえりやまぬもの、と詠われている。僕らを取り巻く大気と空と宇宙とが一連のものであるとすれば、呼吸とはからだに宇宙を摂取することだろう。僕らは寝ている間も、呼吸することを忘れはしない。なんと偉大なことだろうか。
 『ヤーチャイカ』、"わたしはかもめ"。 女性初の宇宙飛行士テレシコワが、宇宙から地球に送った最初のことば。いったい僕らが何のために、そしてどういう経緯で、悠久の時の流れの中、この果てしない宇宙の片隅で、2本の足で立ち、呼吸をしているのか?テレシコワが空の彼方から見たものとは?2人の映像詩人の試みによって、僕もまた宇宙を飛ぶための翼を得た気分だ。

ヤーチャイカ:あいま

 昨年『日本の自転車泥棒』でお世話になったパグ・ポイントさんから総支配人のところへ電話が入ったのは今年のはじめ。
 「新しい作品が出来ますので、シネマテークさんでも上映頂けないでしょうか。」という。

 『日本の自転車泥棒』は とてもとても、不思議なかつ<ユニーク>な作品で大規模映画には出来ない、たぶんもち得る事の出来ない新鮮さと研ぎすまされた感性がビシビシ伝わって来るすごい映画だった。その制作を手がけた映画会社が次回作のお知らせをくださり、それは2人の詩人が監督をし、香川照之さんと尾野真千子さんが主演されるという。

 撮影開始間もないころでまだ全編出来上がっおらず、プロモーションVTRを魅せて頂き一気にこの作品への期待が高まりました。

 どんな作品になるんだろう。
 どんな映画になるんだろう。

 後日、届けられたチラシとポスターに一瞬目がくらみました。
え?これだけ?
 というのが正直なところ。
 写真映画 と銘打って出された宣伝展開、ポスターは絵柄を使わず、2色の色使いと文字だけ。
チラシは裏を返せば画像が出てはいますが、ファーストインプレッションは あの2色と文字。

 いわば、違うジャンルの人が映画の世界との融合を見せようとした画期的な企画もの映画なのだろう だから そうしたんだろうと、
最初はそんな風に思っていました。
 美しさを追求した映画で、どちらかと言えば アート系作品 と呼ぶべきものになるんだろうと。それを どちらかと言えば期待していたのです。

 写真映画 というキャッチフレーズを 丁寧に事前に観客に知らせる事の意味合いがそこにあるはずと思っていたわけで、つまりそれは 普通の映画と思って来たら肩すかしにあってしまう人が入るかもしれないから、いちお、そうじゃない事を先に言っておこうか 的な
ものかと 私の頭はそんな風に考えてしまったのですけれども。

 ちょっとした勘違いをしていたみたいです。

 手法は違えど、映画であって、心に心地よい余韻を残す、
どちらかと言えば、その余韻を残したり
感情と言葉と映像のあいま を 自分で辿っていく作業をしやすくしてくれる やわらかくあたたかな作品。でした。

 そして、写真映画 という新しい<ジャンル>でもあるのかと。
 そして、監督が このお二人であったからこそ出来た形であり作品であると思うのです。
 映画がいいのですがなんといいますが、写真が(通常映画に対して言うならカメラが)いい!
 当たり前ですれど…。

 ということで。
 あろうことか、この映画を観終えた後に
 この作品を紹介しようとした映画会社さんたちの意気込みと戦略と
 愛情を 理解したのでした。まだまだ修行が足りません。

 

あえて内容には触れません。
 皆さんの心で感じて頂く事にさまざまな『ヤーチャイカ』が
 完成されていくのだろうと思うので。

 この素敵な作品を なんと東京公開と同時に群馬のこの小さな映画館に出してくださるという素敵なプレゼントもついて、昨日の公開日を迎えたのです。

 お客様には関係のない事かもしれませんが、嬉しいのでわざわざいいます。
東京公開と同時にスタートです!!! すごいっす。

 すごいんです。皆さん。この映画を日本中のどこよりも最初に見られるチャンス!ですから。
是非。足を運んでください。
絶対損はありません。

 しかも今日は監督の谷川俊太郎さん、覚和歌子さん、主演の香川照之さんがシネマテークたかさきにお越し下さいます。お忙しい皆さんが駆けつけてくださるとは恐縮です。嬉しいです。
 おかげさまで舞台挨拶の回は2日前に全席満席となりましたが、
映画は2週間上映しております。是非、ご覧頂きたい逸品です。

 それから、ちょうど。
今、高崎は 全国都市緑化ぐんまフェア終盤戦。
高崎シティギャラリーでは、<谷川俊太郎 ことばとアート展>を開催中。
とても素敵な展示会になっています。
映画の前に、映画の後に 是非是非お立ち寄り下さい。

 皆様のお越しをお待ちしております。