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森の朝ごはん

Mori  「朝はお強いほうですか?」

 毎週日曜日の朝6:30~6:50。恒例となったこんな質問とともに、およそ2年間に渡って放送された森達也監督のラジオトーク番組・「森の朝ごはん」が10月の番組改編で終了となりました。毎回多彩なゲストを迎えてのトークでしたが、ゲストの人間味を短い時間の中で引き出してゆく進行ぶりは流石の一言でした。そして何より、ドキュメンタリー作家・森監督らしい社会性に富んだ番組づくりが面白すぎるくらいに面白かったのは言うまでもありません。終ってしまったのが何より残念…。再開を熱望しております。で、ですね。今日は、この番組の終了を残念がりつつ…、番組内で語られたいくつかのお話を取り上げたいと思います。

 作家の桐野夏生さんをゲストに迎えた回ではこんな話題が…。
「金持ちが貧乏人を臆面もなく揶揄するようになった下品な社会の中で、バブルを謳歌した人々が閉塞感の中で右往左往している。そんな時代だからこそ「所有」に代わる新しい豊かさの原理を見出すことが大切だろう。これからは「認識」するという行為がその成否の鍵を握る。つまり、それは「知る」という行為だ。」

 日本画家の福井江太郎さんの回では…。
日本画、洋画、版画、立体作品などの各ジャンルから毎年1~2作品を文化庁が買い上げるという「文化庁買上優秀美術作品」について。「平成15年度に選ばれた福井さんの縦2.4m×横10mからなる大作の買い上げ額が、わずが50万円。しかも国立美術館の独立行政法人化に伴って展示場所が無くなり、今は倉庫内で眠っている。」

 詩人のアーサー・ビナードさんの回では…。
「17年間、日本に住み続けてきたが、日本の街を彩る看板が、劇的に、信じられないくらいの早さでつまらなくなってきている。東京に限らず、日本のあちこちで同じサラ金、同じファーストフード、同じ…の看板が掲げられている。こんなにつまらないことはない。」

 さて、どうでしょう?立場的なものもあるかも知れませんが、僕にはこの番組で語られてきた様々が、映画上映が今直面している諸問題に直結しているように思えてなりませんでした。映画館で提供しているのはモノではなく、イメージ。桐野さんの言う「認識」は映画館における「鑑賞」に読み替えが可能です。そして、日本画でさえ陽の目を見ないこの国で、芸術的観点から映画というジャンルを捉えることについてもまだまだ議論が必要でしょうし、ビナードさんの看板のお話は、映画産業における行き過ぎた商業主義の問題と同じレベルにあるエピソードだと思います。

 最後に、フォトグラファーであり映画監督でもある蜷川実花さんの回。
 「写真にしても映画にしても、「0」を「1」にする仕事ではない。その点が絵画や小説とは異なる。そこには必ず写す対象、つまり客体が存在する。写真や映画は「1」を「2」に捉え直す仕事だろう。」

 映画上映の環境には、映画作品があって、お客様がいらっしゃいます。それが前提です。ですからシネマテークたかさきも「0」を「1」にする場所ではないでしょう。映画を観て何かを知る場所、映画芸術の何たるかを嗅ぎつけることができる場所、どこでも観られる訳ではない作品に触れられる場所。そういう意味で「1」を「2」にすることのできる場所であり続けたいと思います。そんなシネマテークたかさきにスクリーンがもう1つ増えることになった訳です。「2」を「3」に、そして「4」に「5」に。端的に言ってしまえば、僕らが2スクリーン目を目指す理由はそんなところにあるのだと思っております。そんなふくらみのある上映をやってみたいものです。

 森監督、2年間大変お疲れ様でした。そうそう、僕にとっての宝箱のような「森の朝ごはん」が近々本になるのだとか。発売を楽しみにしております。

本日よりレイトショー

 現場監督のMさん、Tさん、業者のみなさん、本当にお疲れ様です。20071027092544
 連日24時間態勢で工事進めていただいています。自分だったらこんなわがままな施主はいやだ、というほどに、日々疑問や質問やお願いを言い出しては受け止めていただいております。ありがたい限りです。
 工事にはいろんな行程や決まり事が当然ある訳ですが、そういった事は聞かないと当然わからない事で、素人がさまざまに変な質問する中でも、納得いくまで説明してくださるのでだいぶいろんな事が見えてきました。業者の皆さんは大変なお仕事になっているのですが、私としては勝手ながら日々のまめ知識が増えていく事に楽しみを見いだしたりもしています。そして、聞けば聞くほど、この工事がどれだけ無茶な行程で進みながらも安全さと確実さをどれだけ大事にして進んでいただいているのかもがわかります。本当、皆さんには頭が下がります…。業者の皆さんの体調が心配ですがどうぞ怪我や風邪引かないように、と願うばかりです。
 さて。本日より、レイト・スーパーレイト枠での上映再開となります。何度もしつこいですが、とにかく短期での工事というのと、かなりの大規模改築の中で時間を縫っての上映のため、お客様にはご不便やご迷惑をおかけしますことをあらかじめご了承ください。そしてどうぞご理解とご協力をお願い致します。
 階段の設置や非常階段、トイレの新設などで2階は至る所が今壁を抜いた状態になっていたり、さまざまな資材を運び込み設置していただいていますので、安全のため2階へは関係者以外立ち入り禁止とさせていただいております。
 そのため既存の2階男性のトイレを工事期間中はお使いいただけませんので、外に仮設を設置しての対応とさせていただきます。ご不便をおかけしますがどうぞ、ご理解とご協力をお願いします。また、通常自転車やバイクの方は裏の駐輪場にお停めいただいておりましたが、車路の上部が階段部分になっているために工事期間中はこちらも安全確保のため全面通行止めとさせていただきます。自転車やバイクについては入り口付近にお停めいただけるようにご案内致しますのでこちらもどうぞよろしくお願い致します。
 12月中旬のオープンに向けて全員で一丸となって進んでおります。一ヶ月ほどさまざまな変更や対応をさせていただく事になりますがその点どうぞよろしくお願い致します。その都度、HPや館内表示等でお知らせしていきます。
 2スクリーン目のオープン、どうぞ楽しみにお待ちください。

改装工事

 昨日から、シネマテークたかさき2スクリーン目の着工に入りました。
銀行の建物を映画館に改築する、というのは高さや強度ではこの上なく好条件なのだそうです。銀行はとても頑丈に出来ていて、それは無線LANが館内をきっちり飛ばない事でも証明されていました…。銀行として使う為に作られた建物を映画館にする、わけですから、全てが万事OKなはずもないわけで、集合施設として使う為のトイレの数や、とりわけ、避難経路の確保については幅なども決まっております。1スクリーン目の設置の際には、古くからある昭和40年の建物は年度を経て変わった建築基準法に対応する為に耐震補強壁を入れるなどしました。
 今回は2スクリーン目、2階に設置する、ということで最大の問題点が階段でした。階段の幅というのが、銀行では大丈夫な幅が映画館では足りないのだそうで、しかも消防法の避難経路の確保の為に既存の階段を壊す事になりました…。壊して幅を広げるのです。また、外には非常階段を設置する事にもなっておりまして…ここが最大の工事ポイントのようです。ということで。
解体工事、ともう言うべく凄まじい音とがれきの山と砂埃(?)です。ここから始まり2スクリーン目の劇場を作る訳ですが、「通常この手の工事は2ヶ月半から3ヶ月かかるんですよ!」
っと、工事業者さんにきつーく言われながら、そんなに映画館をお休み出来ません!というこちらの主張を汲んで頂いてのものすごいハードスケジュール工事になっております。というわけで、22日から26日までの5日間はとにかく 壊す 作業に追われている模様です。
 その後も、営業をしながら工事を進めて頂く関係上、お客様にも工事業者さんにも、多大なるご迷惑をおかけすながらの変則営業ですがどうぞご理解とご協力の程、よろしくお願い致します。
そんなこんなで、やはり今回も当初予定の予算が大幅に上回る結果となりました。
しかし、2スクリーン目の設置は今以上に豊かな映画環境を約束するためにどうしても目指したいものでもあります。今回も1スクリーン目同様に、地域の皆さんと一緒に映画館を作りたい、そのために私たちも頑張りたいと思います。2スクリーン目設立の為の賛助会員をただ今募集しております。詳しくは、http://takasaki-cc.jp/sanjyo.html  でご確認頂くか、当館までご連絡ください。
 どうぞよろしくお願い致します。

追伸ですが、26日までは営業お休みとなっておりますので、基本的にお電話でのお問い合せについては、27日以降にお寄せください。よろしくお願い致します。

転校生-さよならあなた- :

 071014_101903 13日からの上映の『転校生-さよならあなた-』ただいま館内にて撮影風景の写真展示、及びロケ地マップを配布しております。

 この作品はいうまでもない、大林宣彦監督の愛にあふれた傑作です。大監督の作品をわざわざそんなこというのもおこがましいですが…、リメイクがたどる道など払拭したすばらしい作品です。しかしながら、この作品はとても小さな環境での上映となりました。興行的な大きなラインに乗らないからこその味わいのある上映を重ねて、高崎にたどり着いたものでもあります。

 本作は、長野県で撮影されました。「50年後の長野の子どもたちに見せたい映画をつくりたい。」という地元の声で立ち上がった企画なんだそうです。その気持ちに感銘をうけた大林監督の手腕と、地元の方々のその土地を愛し、人を愛し、映画を愛する気持ちにあふれた心がふれあった『転校生-さよならあなた-』です。80年代一世を風靡した大林作品の良さ、素晴らしさは寸分も違うことなく、むしろ 時代を重ねたものにしか作り出せない、<皺>のある、作品。

 さまざまな色合いを持った映画がある中で、こんな大きくて小粒な良品を人々にお届けするにはどうしたらいいものかと、頭を悩ませていたところ、 大林監督の大ファンのYさんが、それはファン同士の嗅覚というのか…、すばらしいフットワークでどんどん長野の方々に連絡を取ってくれました。直々に、ロケ地の撮影風景の写真をお借りし、ロケ地マップを送っていただき、シネマテークたかさきにお越しいただくお客様に映画の誕生やそれに触れるさまざまな想いを一緒にお届けすることが出来ています。21世紀長野映画の会の方々、長野の皆さんありがとうございます。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 映画を通して隣県の人々と、私たち小さな映画館がこんな風につながり触れ合えるとは、なんとも嬉しいことだと思っています。

 映画のストーリーはもちろんですが、そこに生きている主人公たちの少し古めかしいような新しいような若さがいいのです。そして、映し出される町並みは、近代的な建物が立ち並ぶいわゆる洗練さと総称される綺麗感ではないし、大自然に裏づけされた美しさ、というのとは一味もふた味も違って、人が生活しているその生活がにじみ出ている素朴な光景であり、それを表現するにはやっぱり、<美しい町並み>というんだろうな、という風合いに彩られています。思えば、邦画界でこういった町並みや人の皺 年季の皺を じっくりと作品に投影できる監督さんって少ないんだろうなとふとそんなことを感じてしまいました。

 映画の良し悪しも自分の中にあるとするなら、それはどんな判断でも基準でもいいのでしょうが、映画をモノとしてというよりも、作品として映画を作った人々の裏側も感じつつ上映していきたいと、こんなときに強く思うのです。もちろん、それが作品としての完成度や質が高ければいうことありません。

 前職場の先生があるとき、こんな言葉をおっしゃいまいた。

「これから先は、懐かしい未来でありたいとぼくは思うんだ。」と。全てが新しく機能的であることが未来というのではない。人が知恵と心を使って生きてきた時代は、懐かしいと感じてしまうけれど、それこそが未来への光に成るのだろうと。『転校生-さよならあなた-』に、その言葉の重みを感じてしまいました。

 小・中・高校生のみなさん、是非足を運んでみてください。そしてお母さんお父さん是非これご覧になって、お子さんたちにご紹介ください。 そしてそして、多くの方々にご覧頂きたいと思います。21日までの上映です。

 

作家生命を賭ける、ということ

Photo_2  "遂に"、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が「カチンの森事件」を映画化しました。本日の朝日新聞朝刊「ひと」のコーナーに、ワイダ監督の記事が掲載されています。「カチンの森事件」とは、第二次世界大戦中にソ連軍の捕虜となったポーランド人将校らおよそ20,000人が秘密裏に惨殺され、ソビエト・スモレンスク地方、カチン近くの森に埋められたという事件です。この事件は長い間、ソ連によって、ナチスの手によるものだという嘘に染められてきました。そして、この事件について詮索することは、共産主義政権下のポーランドではタブーとされてきました。しかし、ポーランド国内ではこの事件の取り扱いが「タブー」であるが故に、真の犯人が赤軍であるということは暗黙の事実となっていたのです。学生時代、僕はこの事件の詳細について知ってしまったがために、ワイダ作品の虜になっていきました。実はワイダの父親はこの事件の犠牲者のひとりでした。そしてこの事件は、ヒトラーとスターリンの間に挟まれ、不遇なまでの歴史を辿ったポーランドという国をあまりにも象徴する事件であったと言えます。ワイダは父親の死をきっかけに、レジスタンスに身を投じます。つまり、「抵抗の人」といわれた巨匠アンジェイ・ワイダ誕生のきっかけになった事件、それがこの「カチンの森事件」だったです。

 ワイダの映画はあまりにも献身的です。ポーランドの現代史とポーランド国民の動向を研究観察し、その結果、今自分が何を撮らなければならないか、という回答を導き出しているように感じます。そのすべてが紛れもない芸術家の手法です。だから他の誰でもないポーランド国民のために撮られた映画が、不思議なまでの普遍性を携えることができる。ワイダ作品の最大の魅力はまさにこの点です。では何故に、こうまで映画に対して献身的になれるのか。ワイダはこう言っています。「ワルシャワ蜂起で死にきれなかった私の仕事だ」と。ワイダが『地下水道』で描いた、二十万人のワルシャワ市民が命を落としたといわれるあのワルシャワ蜂起。自らが映画を撮る理由を、この映画人ははっきりと自覚しているのです。アンジェイ・ワイダほど、その映画作品と自国の現代史とが密接に絡み合う映画人を僕は他に知りません。

 ある映画監督が作家生命を賭けて撮ったという映画があるとして、それを観ることで僕らが得る経験はただの経験ではなく、観客は計り知れない何かを背負うことになるかもしれません。アントニオーニ、そしてベルイマンという巨匠がこの世を去った今、遠くポーランドから81歳になるアンジェイ・ワイダが恐らくは"作家生命を賭けた"と思われるテーマで、ひとつの作品を完成させました。その映画の名は『カチン』。未だ観ぬこの映画に僕は心を奪われています。ワイダ自身の人生の道程と、残された時間を明らかに意識したこの映画(冒頭で"遂に"と書いたのはそういう意味です)を観ることで、僕はとてつもない何かを背負うことにもなるだろう、そんなことさえ思っています。明らかにそれは、僕自身がアンジェイ・ワイダという映画作家、その人を追いかけてきたことで得た嗅覚であると認識しています。映画はやはり、作家で観るもの。今そのことを強く感じています。

 『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』『約束の土地』『大理石の男』『鉄の男』…、そして『カチン』。アイジェイ・ワイダ監督特集、やりたいですねえ。これは、2スクリーン目完成後の僕の夢。いやあ、長々とすいませんでした。新聞記事ひとつでこんなことになってしまいまして・・・。