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ゆうしゅうのび

 はじめこの作品を観ようかどうしようか…半年後に白衣を着て病院に勤める人間として複雑な思いがありました。 羽田監督は長年多くのドキュメンタリー作品をお撮りになっていらっしゃり、そのためか偏った作品でないことに感謝と安堵の気持ちが作品を観ていて感じました。

 

 日本における在宅療養の歴史は浅い。そのためなかなか理解されていなかったり福祉先進国と呼ばれるスウェーデンのような制度は整っていないのが現状です。そういった環境の中でもご自宅で最期を迎えたいという方は増えています。

 在宅療養の問題は医療制度に限ったことだけではありません。在宅療養で家族を看取るということがどれだけのことか、映画に出演なさったご家族の方の表情や話、涙を流す姿をご覧頂いて、ご理解いただけたのではないでしょうか。それだけの思いと愛がそこになくてはどんなに制度が整っていても在宅療養は受容できないものだと考えさせられます。私は実際に在宅療養の現場をみて、ご家族の愛や思いの強さこそがその治療になっているのだと感じました。

また、在宅療養は多くの家族の問題を浮き彫りにしてしまいます。映画の中でも林ドクターが「こちらは退院しておめでたいと思うんだけど、本当におめでたいことなんだろうか…」とおっしゃっています。このことを考えてしまう医療従者の方は多いと思います。事実ここ群馬でも介護に疲れてしまい介護者である妻が夫を殺してしまった、というニュースが1年ほど前にあったかと思います。映画にご出演されたご家族も現実ですが、他の現実もあることをお忘れにならないで頂きたいと思います。

 人が生きるためにどこまですることが治療なのか…現場でもそのことに向き合い、日々葛藤しているのは事実だと医学を学んでいて感じます。そのため射水市民病院のような事件がクローズアップされるのだと思います。医療者は一人の人間であり感情があります。そして人間の生命の神秘や力強さに対する知識が入ったパンドラの箱を開けてしまった特別な人間でもあると思います。そのため人間の可能性を知っているがゆえに、まだ助けられるという希望を持っているのだと思います。私の知人のドクターは「僕は家族を手術しない。できない。」とおっしゃっていました。その一方で破水した妊婦さんが病院をたらい回しにされるという事件も起きています。(ここでは話がそれてしまうのでやめておきます…)

 

 最後の監督の言葉こそ現在、日本の在宅療養の課題であると感じます。この作品をご覧になった方は在宅療養の経験がある方や、その仕事につかれているかたが多いのかなと受付で皆様をみて感じました。私はそんな方を本当に心から尊敬します。

 残り1週間の上映ですが少しでも気になった方、是非ご覧頂きたいと思います。

 

 たまには受付のガールズも映画について書かないとですよね、m.watanabeさん!

 m.watanabe氏の次回予告入れておきましょうか?(笑)

前売券追加

 10/6〜『陸(おか)に上がった軍艦』前売券販売しております。
ロビー館内に 『陸に上がった軍艦』パブリコーナーも設けております。
ご鑑賞の手引きに是非、ご覧下さい。

同10/6日からの『街のあかり』前売券も絶賛販売中。特典トートバックがかわいいです。数にかぎりがありますのでこちらもお早めに。

シネマテークスタッフK嬢お手製『街のあかり』を10倍楽しむためのガイドマップ、館内に掲示しております。昨年大ヒットした『かもめ食堂』が舞台となったヘルシンキの物語で、かもめ食堂と、『街のあかり』で登場するお店や場所がほど近くにあることが一目瞭然!違った味わいのフィンランド映画を堪能できること間違いなしです。
是非ご覧下さい。

1994

Kurtcobain  ちょうど2年前、当館ではオアシス、ブラーに代表される90年代ブリットポップ・シーンのドキュメンタリー『リブ・フォーエヴァー』を上映しました。あの時、あの映画を観て、当時の状況をいろいろと思い出したのですが、中でもとりわけはっきりと甦ったのは、ブリットポップを彩った面々にまつわることではなく、1994年のカート・コバーンの自殺によって生じたミュージックシーンの潮境の記憶でした。大して長い時間を生きている訳ではありませんが、あんなにはっきりと音楽界の潮境を体験できたことは、それ以前もそれ以後も僕にはなかったことだったのです。

 1994年という年は映画業界にとっても"潮境"といえる年でした。日本のスクリーン数は1960年にピークに達し、7,457にまでに増加しました(映連統計より)。しかしながら以降は減少の一途をたどり、90年代には1,734にまで落ち込みました。つまり、日本中で映画を観られる場所が、30数年をかけて、ピーク時の1/4以下の数にまで減ってしまったのです。しかし…、ある年を境に、このような急下降線をたどってきたスクリーン数に変化が訪れます。今や全国に溢れるシネコンの登場により、一転して増加傾向に変わったのですが、その潮境と言える年が「1994年」でした。今や全国のスクリーン数は2006年末のデータで3,062。そのうち"主流"のシネコンが2,230を占めています。

 90年代前半、あの頃の文化的スペースの中には、グランジというオルタナティブな音楽ジャンルを受け入れることができるだけのバッファがあったのでしょうね。主流と大勢からの拒絶をアイデンティティとしてきたカートのような存在を受け止められるだけの空き領域みたいなものが。でもそんな領域が、まるで地球温暖化の波にさらされている北極の氷のように、現在の世界で急激に溶けて減り続けているような気がしてならないのです。音楽や映画の文化的側面を支える大切な領域が。その溶解の始まりと言っては言い過ぎかもしれませんが、「1994年」という年にはそのきっかけのいくつかが眠っているように思えてなりません。

 『カート・コバーン アバウト・ア・サン』。カートの肉声で綴られる97分。予告編のナレーションは浅野忠信さんが担当しています。僕と同じ年ですねえ。頭に乗るなと誰かに怒られそうですが、あの仕事を引き受けた浅野さんの気持ちがなんとなく分かる気がしてならないのです。僕は、浅野忠信という映画俳優が『幻の光』(1995)、『PiCNiC』(1996)、『Helpless』(1996)と、日本映画界の中でいわゆる主流から距離を置き、何かにとり憑かれたかのように独自の階段を駆け上がって行った時期が「1994年」以降だったことも、決して偶然の一致ではないと思っています。さて、そこんとこ、どうなんでしょうか、浅野さん?!コメントお待ちしています!(笑)

文化住宅のこと

Hatsuko  1995年の1月17日か、もしくはその数日後か。それまで僕はまったく知りませんでしたねえ、「文化住宅」なんていうコトバは。その日の早朝、突如阪神淡路地域を襲った大地震で、大変な数の「文化住宅」と呼ばれる建物が倒壊しました。当時僕が住んでいた京都は震度5強の揺れでしたが、友人の多くが震度6~7を記録した阪神地域に住んでいました。不幸中の幸いといいましょうか、友人の中に亡くなった者はいませんでしたが、皆さんご存知の通り、人間の造った建造物が崩れ落ちることでそれが凶器となり、多くの方がその下敷きとなって命を落とされました。「文化住宅」というコトバを、関東生まれ・関東育ちの方が、皆さん知っているとは僕には到底思えないので、わかりやすいコトバに置き換えますと、「文化住宅」とはつまり「長屋型の木造アパート」のことです。大阪を中心に、西日本で多く使われるコトバのようです。この「文化住宅」が阪神大震災で片っ端から倒壊した悲劇は、あの地震に大震災という嬉しくもない呼び名が与えられた理由のひとつになっているのです。以来、「文化住宅」というコトバは、僕の内面で暗く長い影を引き摺りながら歩いておりました。
 とまあ、前置きが長くなりましたが、そんな訳で観たいような観たくないような思いで、僕は『赤い文化住宅の初子』と向き合うことになったのです。「観ない方が良かったんじゃないの?」「だから言わんこっちゃない」と自分に向けて思わずひとりごとを呟いてしまいそうになるくらい、『赤い文化住宅の初子』は兄とふたりで「文化住宅」に暮らす幸薄い少女・初子の痛々しい物語です。画面いっぱいに漂う生活臭。そんな生活を照らすのは点滅する切れかけの蛍光灯。初子はそんな毎日を、薄暗がりの中で送っています。こんな夢も希望もないような単語ばかり並べたら、きっと皆さん、引いてしまいますよねえ。ただ僕には、あの日あの時、燃えて崩れ落ちた多くの「文化住宅」にも住んでいたであろう、誰でもない女子中学生の姿が薄幸の少女・初子と重なって見えたのです。蛍光灯の明かりだけでは足らないのでしょう、そんな少女たちが自らを照らすために燃やす小さな小さな炎は、薄暗がりだからこそ見つけることができるのかもしれません。あれから12年。実はこの映画の中に、「恋心」となって燃え続けるそんな小さな炎を見つけられたことが、僕には何となく嬉しかったのです。

 不幸にして起こった様々を肯定できる日が、いつか初子と震災の被災者の皆さまに訪れることを願って。

LA ROSE

Kagayakeru_2

 『黄昏』で名高いマーク・ライデル監督の1979年の作品、『ローズ』。ご覧になった方もきっと多いことでしょう。『ローズ』は薬物中毒が原因で帰らぬ人となったロックシンガー、ジャニス・ジョップリンをモデルとした女性・ローズの生き様を描いた作品で、ローズ役を演じたベット・ミドラーのスクリーンデビュー作でした。男と仕事と薬物の囚われの身と化したローズは、ラストシーンでそれまで帰りたくても帰ることが出来なかった念願の地・故郷フロリダのライブ会場に辿り着きます。大歓声の中、1曲を歌い終えたローズは最後の曲を、最後の最後のちからを振り絞って声にすると、ステージ上にばさりと崩れ落ちます。ロックシンガーの命の灯が消えようとしているそのとき、動かぬ彼女ををやさしく包み込むかのように、あの映画音楽史に残る名曲「THE ROSE」が流れ出すのです。この曲は夭折したシンガーの人生の暗闇を照らす光。それは死に向かう彼女を送るレクイエムではなく、彼女の"生"を照らし出す"光"であったと僕は勝手に解釈しています。

 『輝ける女たち』は僕にとって、"今のところの"今年一番の愛すべき作品となりました。この作品では、魅力あふれる女優たちによって様々な名曲が歌われています。歌手役を演じるエマニュエル・ベアールは劇中で歌うことについて、"賭けだった"とコメントしています。歌うことについてはわずかな経験しかなかった彼女でしたが、見事、その賭けに勝ったといえるでしょう。「THE ROSE」はこのフランス映画の中で「LA ROSE」となり、物語のクライマックスで、とある女優によって歌われます(あえて女優名は伏せます)。そしてこの曲をバックに、互いの気持ちを伝えたくても伝えられなかった家族ひとりひとりの積年の想いが、ニースにあるキャバレー"青いオウム"のステージと客席で交錯するのです。言葉ではなく、歌を通して、そしてまなざしを交わすことで。

 「LA ROSE」が"生の賛歌"として、これからを生きる家族のために歌われたことが妙に嬉しかったのです。これで「LA ROSE」はジャニスとローズの死のイメージを振り切り、生きるための曲として生まれ変わる機会を得ました。『輝ける女たち』という映画は、演じる女優や、観客としての僕らだけでなく、名曲の運命までをも変えたのだと、僕はこれまた勝手に解釈しています。きっとこれもまた、映画の魔力なのでしょう。