ドキュメンタリーの神髄
5日からの『いのちの食べかた』上映に際して、
森達也著 理論社YA新書 『いのちの食べかた』という本を販売します。
これは、身近な出来事や題材についてさまざまな著名人たちが、噛み砕きながら尚かつきっちりと書き下ろしていく子どもたち向けのシリーズ、<よりみちパン!セ>の一冊です。
この『いのちの食べかた』はドキュメンタリー作家の森達也監督が担当しています。2004年に刊行されているのですが、その時は全く知りませんで、今回の上映に際して私は始めてこの本を手に取り読む事になるのですが、いやあ、面白いです。子ども向けということで、子どもたちに語りかけるように、そして非常にわかりやすい言葉で、想像力を手助けするように説明をしてくれます。
ここではお肉についてを中心に触れています。魚は丸ごと売っているけれど、お肉は丸ごとというわけにはいかない。そういえば、お魚が出荷される様子や市場の様子はTVなどでも映し出される事はあるけれど、お肉ははて、あっただろうか。それはなんでだろうか…。
私たちが目に見えているものは、例えばスーパーに並んでいるお肉のパックの姿で、次に考えていくとそれは豚だったり牛だったりという<動物>の姿がある。けれどその「あいだ」を私たちは知らない。想像はつくけれど、どこで、どんなふうに、どうやって、と細かく考えていくとわからない。そういった「あいだ」を知る事が大事なんじゃないかと、この本でも森監督は言います。
<そういえばそうだね>という<知っている事実>に囲まれて私たちは生活しているけれど、<そういえば、なんでそうなんだろうね>という事にまで踏み込まないでいる日常があることが、
するすると紐解かれていくようでした。
そしてそれは同時にさまざまな事にも言えるということもあらためて。
この本を読んでから再度映画を見返してみました。
見えなかった事が更に見えてくるという面白みを感じます。
映像が教えてくれる事、そして活字が教えてくれること…。
ドキュメンタリー映画の神髄にうちひしがれた。そんな気がしました。
映画と合わせて是非ご一読を、お勧めします。
===少なくとも、これだけは言える。何が大切で何がどうでもよいかの判断は、知ってから始めて出来る。知らなければその判断もできない。 森達也『いのちの食べかた』理論社===
「いのちの食べかた」見ました。近年まれにみるドキュメンタリーの傑作。この映画を一言で述べれば、「哲学映画」にして「究極の裏ビデオ」といえるのでないかと思いました。
「哲学」とは難しい事柄をわかりやすく物語ることではなく、いっけん単純な物事がよく見ると複雑怪奇に見えてくるという意味です。この映画は、一切セリフを排除して、余計な説明もつけず、動植物が食べ物として加工され人間の口に入る食材となる過程を「単純」に描いたドキュメンタリーです。しかしその単純さが見ていくうちに地球上の生き物は他の生命を喰らい続けることにおいてしか生きていくことができないという「業の深さ」が浮き彫りになっていきます。
また家畜がベルトコンベアーで機械に切り刻まれ食材に加工されていくシーンなどは、21世紀の「モダンタイムス」(チャップリン)とでも呼べそうで、現代文明批判としても衝撃的です。
さらにこの映画のすごさは、「命の尊さ」を訴えるだけの作品じゃないところにあります。たとえば、牛が脳内麻酔されあっという間に殺され解体されるシーン。かなりの残酷な場面ですが、それはただの残虐ではなく、生き物を殺して食べ続けなければ生活できないというどうしようもなさ、その土台を見せ付けられていることにおいて決して目を背けることができない。
ふだんわれわれが、できれば見たくない「食欲」の根源をもろに見せ付けられているようで、それはたとえれば「性欲」をあからさまに映し出す「裏ビデオ」の手法であるといえるのではないか。スキャンダラスではあるが、同時に目を逸らすことができない。ただ性欲はなくともとりあえず生きていくことはできる。しかし食欲がなければ死に至る。その意味でこれは「究極の裏ビデオ」ではないかと思いました。必見!
投稿: tuti | 2008年1月11日 (金) 19:12