『いのちの食べ方』:余白のある人生を
なんとも、あっという間に今日は大晦日です。
数年前までは年末は家にいるのが当たり前で、お家の用事でセキチューにお掃除道具を買いにいく、とか、お正月のお花生け忘れていた!とかあわてて花屋さんへ、以外は外へ出掛ける事はなく大掃除やら年越し準備に追われている、というのが大抵のご家庭の姿だったのではないでしょうか。
私もそんな一人だったけれど、シネマテークたかさきで一年を締めくくる方々が多くいらっしゃる事に驚くのと嬉しいのと、時代が変わって来ているのかなーなんていう気もしています。
皆さま、本年本当にお世話になりました。また、来年もシネマテークたかさきでお会いしましょう。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
そこでひとつ。
年始第一弾でこのタイミングに選んだ、『いのちの食べ方』を少しご紹介を。
食する ということは、生きる事と直結しています。血となり肉となる ひいては健全な体をつくるわけです。また、年越しにおそばを食べたり、お正月におせち料理をたべたり、お重の中に詰められた食品には祝いや長寿や繁栄を願ったさまざまな意味合いのある食品で埋め尽くされます。
生きるために私たちが食べているものたちは、さて、どうやって育てられ飼育され出荷されスーパーに並び私たちの手元に届くのでしょうか。
それを知る鍵が、この『いのちの食べ方』には記されています。
オーストリアのドキュメンタリー作家、ニコラウス・ゲイハルター監督によるこの作品。自国では作家性の強いドキュメンタリーを数々手がけている監督さんですが、日本に紹介される作品としては本作が始めてです。
原題は『OUR DAILY BREAD』私たちの日々の糧 という意味です。これはナレーションもなければインタビューもない、ただ、生産現場にカメラが侵入し、その様子を収めています。
広大な畑、食肉加工工場、家畜の飼育現場などなどでのオンラインシステムや飼育状況、収穫の模様などが映し出される訳ですが、そこに私たちの想像力というものが加味される事でこの<不思議な世界>を個々が噛み砕き理解するに至ります。
ナレーションなどを一切省く事で、物事を知り理解するという自分自身でしかなし得ない余白を、観客に与えてくれる訳です。これはなかなかすぐれたドキュメンタリー作品だと思います。
昨今の世間を騒がしている食事情を考えてみても、ともすると、大量生産だからこその問題点や、機械科への危惧などを喚起してしまいそうなネタではありますが、それをただ<映し出す事>で返って私たちは、その余白によって自分の力で考えられるに至るのです。
知らない事は山ほどあり、その世界を垣間みる事で知らされる事の大きさ。私たちは自分たちが生きる為に命あるものをどのように食しているのか、そしてそれらは私たちが生きる為に生まれ加工されるのか。そう思えば、やはりそれは いのちをいただく 事につきるのかもしれません。
食べ物を前に手を合わせて言う「いただきます」に一層心をこめたくなります。
是非是非ご覧頂きたい一品です。
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