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システムに立ち向かう「卵」 ~大丈夫であるように -Cocco 終わらない旅-~

一人のcoccoファンとして、この作品が上映されるのをずっと心待ちにしていたのですが、本日やっと鑑賞することができました。

この作品を観る前から、彼女の歌やエッセイ、雑誌の特集などでその言葉に触れ、「ライブアース」のイベントでもcoccoの歌う「ジュゴンの見える丘」を聴いていたので、同じ経験をした是枝監督がcoccoをどう見せてくれるのか、観る前から非常に興味を持っていました。

是枝監督は泣きながらカメラを回したらしいのですが、その涙の理由は、理屈ではきっと説明が出来ないのかと思います。

ただ、在日米軍や六ヶ所村の原発などが象徴する強大な相手に対して、「歌」だけを武器にして、傷ついても倒れても、それでも立ち向かうcoccoの姿に心を動かされたのかもしれません。

また、是枝監督はこれまで、「誰も知らない」「花よりもなほ」など、弱者の立場に立って強者の支配する「社会」を見つめる、そんな作品を多く生み出してきました。

弱者の立場から強者を糾弾する。同じ想いを持つ二人の魂が共鳴して、この作品が生み出されたように思えます。

今年2月、小説家の村上春樹さんがイスラエルで「エルサレム賞」を受賞し、スピーチを行いました。

その中で、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」というくだりがありました。

これは、イスラエル軍のガザ侵攻を批判した言葉だと言われていますが、映画を鑑賞している最中に、この言葉がなんども頭をよぎりました。

作中のライブで、何度もcoccoが「生きろ!」と叫ぶのですが、これは「壁」にぶち当たり、傷つきおびえ、生きる気力を無くしつつある人をなんとか救いたいという想いで絞り出した言葉なのでしょう。

強すぎる想いが、彼女自身を傷つけても、それでも歌うことをやめないcocco。

1時間47分のこの作品で、彼女の想いを感じることが出来ると思います。

ファンの方にはもちろん観ていただきたいのですが、coccoを知らない方にこそ、彼女のような「歌うたい」がまだこの日本に存在していることを、作品を通して知っていただきたいと強く感じます。

最後に。昨年亡くなったシネマテークたかさきの総支配人茂木さんも、coccoの曲をよく聴いていたようでした。

生前、この作品を見ることが出来たのかは分からないのですが、この作品をこの劇場で上映することが出来て、とてもよかったと思います。

花よりも美しいドブネズミたち

「花よりもなほ」。なんとも意味深なタイトルの映画である。花よりもなお、なんなのか。
「ワンダフルライフ」「ディスタンス」「誰も知らない」など、他の是枝作品と違わず、この作品でも監督の出した答えは明確には伝わってこない。
 答えが(言い換えれば監督のメッセージが)見えにくいからといって、この映画を難しく考える必要はない。ただ劇場に行ってシートに座りだまってスクリーンを見つめれば、満ち足りた2時間を過ごせることは間違いない。イケメンかつ演技派の岡田准一、なんだか着物の似合う宮沢りえ、時代劇でも相変わらず妖しい魅力を見せつける浅野忠信…。主要な役者3人だけとっても、これだけ豪華な顔ぶれである。脇を固める原田芳雄、石橋蓮司などいぶし銀俳優や木村祐一、上島竜平などの異色な顔ぶれがそれぞれどう絡むのか、これもこの映画の見所の一つである。
 キャスト陣からこの映画を自分なりに一言で評するならば、多国籍料理、アイスクリームのてんぷら、わさびソフトクリームである。
 つまり、ジャニーズ、強面系いぶし銀俳優、お笑い芸人などのそれぞれ全く分野の異なるフィールドに存在するキャストを、シェフ是枝裕和がうまくまとめて一つの料理にしたという感じ。それぞれの素材の強烈な持ち味を殺すことなく、極上の一つの料理に仕上げたといえばいいのか。劇中でフィクションとノンフィクションが混然一体になっているのも、多国籍感を感じさせる一因である。
 また、この映画の根底を流れているテーマから考えてみるのも面白い。この映画を形作るものは人の温かさ、優しさ、弱さ、哀しさなどである。永遠にして深遠なこれらのモチーフは、それだけで「美味しい素材」となりうる。食材で言えばインドマグロの大トロか松坂牛の霜降り。鮨か刺身かあるいはレア・ステーキで素材の味だけを楽しみたくなる。
 それを、あえて初挑戦の時代劇という調理法でさばくシェフ是枝裕和。フレンチの鉄人が突然、懐石料理を作り出したように思える。前作「誰も知らない」で監督の得意な調理法が「社会派」だと考えていると、少々不安になる。
…が、しかし、食べてみるとこれがうまい。極上の素材を世界の是枝監督が調理しているのだから、当たり前なのだが。超絶料理人の前では、調理法の違いなんて関係ないのだ。
 さて、監督のメッセージが見えにくいと前述したが、映画を見ればおぼろげに見えてくるものがある。宗左衛門が住んでるおんぼろ長屋、長屋に住んでいるおんぼろな人々、タイトルの花が桜を意味するなら、おんぼろな彼らはまさしく野に咲くぺんぺん草である。
 華やかな桜の世界の武士道に背を向け、ぺんぺん草に潜り込む生き方を選んだ宗左衛門は花よりもなにを選んだのか。
 また、劇中で何度も出てくるセリフがある。「糞を餅に変える」という言葉。桜の世界の住人は糞を糞としか見られないが、ぺんぺん草として生きる人々は糞を餅に変えるすべを知っている。本当に強く美しいのはどちらなのか。
 ちなみに、自分はこの映画、ブルーハーツの名曲「リンダリンダリンダ」に通じるところがあるのではないかと思いました。的外れな気もするけれど、そんな解釈を許してくれる心の広さがこの映画にはあります。
 リストランテ・シネマテークたかさきにて、是枝シェフの一押しメニュー「花よりもなほ」8月4日までご賞味いただけます。まだ味わっていない方、ぜひともお越しください。