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かもめ食堂#1

我がシネマテークたかさきでもようやく”かもめ食堂”が公開となる。私はこの日をどれほど待っていたか!まずは一足先に東京で見てきた私であるが、まず最初になんてずるい映画なんだろうと思った。なにがって、キャスティングがずるい。小林聡美、もたいまさこではないか。以前深夜番組で“やっぱり猫がすき”という番組があったが、(この2人に室井滋が加わり3人姉妹という設定だが)彼女たちのやりとりが面白可笑しく、果たしてこの姉妹たちのやりとりには、台詞があるのか、それともアドリブなのか?といつも不思議に思ってテレビの前にいた。それほど息のあったやりとりであった。なのでこの“かもめ食堂”のキャスティングを聞いて、ついついその深夜番組を思い出してしまった。もちろん当時そのドラマに片桐はいりが出ていたわけではないが、出ていたってきっとその場に溶け込んでしまうに違いない、と思った。この映画にその3人の女優が出ていると聞けば、惹きつけられてしまう。なんともずるい、と思ってしまったのだ。(因みに荻上直子監督は、“やっぱり猫がすき2005”の脚本を手掛けている)この映画のずるいところは他にもある。それは“オールフィンランドロケ”と銘打っているところだ。フィンランド?ムーミンがいるじゃないか。イッタラの皿だって作られているじゃないか!森や湖といった自然に囲まれている国。フィンランドには行った事はないけれど、これは見てみたい。いや、見なくては!とにかく私は、ワクワクしながら映画館の中へ入っていった。

 この“かもめ食堂”は、三十代のサチエという日本人女性がフィンランドのヘルシンキの街角に「かもめ食堂」という小さな食堂をオープンさせるところから物語が始まる。来る日も来る日も客が来ない。それでもサチエは、動じることなく毎日食器を磨き、夕方になるとプールで泳ぎ、家に帰って食事を作り、翌朝になると市場に寄って買い物をし、毎日きちんと店を開けるという生活を繰り返している。ある日、日本人かぶれの青年がお客第1号としてやってくることから、事態は少しずつ変わっていく。そしてそこへ惹きつけられるかの様に、ミドリ、そしてマサコという日本人女性たちがやってくるのであるが、とにかくこの3人の女優が良い。サチエとミドリが出会うシーンというのも笑えるが、マサコが出てくるシーンは私の周りの観客が声を上げて笑っていた。マサコは一言も発していないというのに、観客が声を出して笑っているのである。出てくるだけで笑いが起こる。これは女優冥利につきるのではないか。彼女たちの一挙手一投足は見逃せない。

サチエは商売がうまくいかなくても、まったく動じない。うまくいかなければそれまでだ、とあっさりと言う。しかしその言葉に、あせりも何も感じない。自分のペースでゆっくりと、そして着実に何かを築き上げている。こつこつと生活を営むサチエの姿は見ていてとても心地よい。彼女は声高に何かをいう人ではないが、自分の信念を貫いて店を構えているその姿は、潔ささえ感じさせる。

“かもめ食堂”は見ているすべての人を幸せにする。映画を見る前にちょっと嫌なことがあったとしても、見終わった後は自分の気持ちがゆったりしているのに気付くだろう。このシネマテークたかさきで、どれだけ多くのお客様が映画を見て声を出して笑っていただけるだろう。見終わってどれだけたくさんの笑顔を見ることができるだろう。今からとても楽しみである。Kamome_1

※8月6日(日)「かもめ食堂」の荻上直子監督の舞台挨拶を予定しております。11時の回の上映終了後と3時20分の回の上映前の2回です。事前に電話予約が必要となります。皆様のお越しをお待ちしております。

『ラストデイズ』

Lastdays

 グランジという新しいジャンルの音楽が大流行した90年代初め。私の周りでも音楽好きの人間が、あるバンドの話をよくしていた。私も、赤ん坊が水の中で、釣り針に掛かった1ドル紙幣を目指して泳ぐアルバムを始めて買ってみた。”NEVERMIND”というアルバム。バンド名はニルヴァーナ。その後、彼らのアルバムは何枚か購入していたものの、それほどに熱狂はしていなかった。ただ、1994年4月5日にニルヴァーナのメンバーで、ヴォーカルを担当していたカート・コバーンが、シアトルの自宅のバスルームに閉じこもり、頭をライフルで打ちぬき無残な遺体で発見された、というニュースが流れた。(いろいろと問題はあったものの)愛する妻のコートニー・ラブ、そして2人の間にはフランシス・ビーンという子供もいて、人気も絶頂であったはずなのに、なぜ彼は自殺に至ったのか、一体何があったのか、そのニュースを聞いて、私自身軽いショックと疑問を抱いたのを覚えている。

 カートが自ら命を絶つ少し前、リヴァー・フェニックスという親友の死を、ガス・ヴァン・サント監督は経験していた。両者の共通点は、薬物の過剰摂取、そして突然の死。彼らが問題を抱えていたということは誰もが知っていたはずなのに誰1人として彼らを助けることができず、彼らがどこにいて最後の瞬間に何をしていたかさえ分からない。親友の死の状況に酷使しているカートの"誰も知らない最後の日々”に監督は思いを馳せ、この映画は誕生した。

 ガス・ヴァン・サント監督の前作は、1999年にアメリカで起きたコロンバイン高校の銃乱射事件がモチーフの『エレファント』という作品であったが、これを見たとき、想像していたものとは異なり、なんとも静かな映画であった。学生たちを銃で、どんどん撃ち殺していくことは考えればもちろん恐ろしい光景なのだが、淡々としていて静かな中での狂気という感じを抱いた。

 この『ラストデイズ』の主人公ブレイクは、ガス・ヴァン・サント監督の頭の中で創り出された人物で、自殺までの2日間は監督の想像上の物語なのだ。しかし、そのように頭では分かっているものの私自身、先入観を抱いて観てしまった。というのは、この主人公のモデルはカートであり、彼は最後にライフルで自殺をする、きっと壮絶な死が待っているのだ、と。しかし見終わってみると、それはあっさりと裏切られる。1人のミュージシャンの死に至るまでの物語だというのに、そこには壮絶なものを感じさせない。(自殺を美化しているわけでは決してないのだが)とても美しいのだ。その過程はまるで様々なメロディーが折り重なって、最後にはひとつの美しい曲が出来上がっているかのようにさえ思うのだ。

 この映画はライフル自殺をした、悲惨な最期を遂げたカート・コバーンをイメージして見に来る者を、裏切るかもしれない。これをご覧になる方には、”ニルヴァーナのカート・コバーン”の死までのストーリーという事は、一切考えない方が良いかもしれない。そのような先入観などは一切持たず、映像に身を委ねたほうが良いだろう。しかし見終わった後にこう思うかもしれない。もしかしたら、カートの残された2日間もこうだったのかもしれない、と。